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第九十一話 星空広場

もくじ

 岬公園は、主に二つの広場から成り立っている。トイレや見晴らし台がある多目的広場と、そこから少し坂を上った先にある星空広場だ。花火が見えるのは湾を望む多目的広場だが、もう終わってしまったので上の星空広場を目指した。

 坂が終わって地面が平らになった頃、暗闇の中にざわざわと人の話し声が聞こえた。けっこうな数の人が集まっているようだ。下の広場で花火を観て、まっすぐ帰らなかった人々がここに上って来たのだろう。月のない今夜は、星がよく見えるはずだと岡崎も言っていた。どこへ行こうかと迷っていたら、突然闇の中で、わーっ、と甲高いはしゃぎ声が上がった。複数の笑い声がそれを取り巻く。どこかの大学のサークルだろう。花火大会が終わっても、ここには、まだ祭りの気分が残っている。

「あ、あそこ空いてる」

 真帆が人のいない場所を発見したようだ。人差し指の先には、一見する限り暗闇しかない。しかし、よく目を凝らしてみると、ぼんやりと丸太の柵らしきものが見える。

「野生動物みたいだな」

 闇の中でも目が利く真帆に感心した久寿彦がそう言って、笑いが上がる。西脇と葵がいち早く南側の柵へ駆けて行き、ほかの仲間もぞろぞろ続いた。

「おおっ」
「すごい……」

 柵の前に横並びになると、誰もが目の前の光景に目を瞠った。

 宝石箱をひっくり返したような、圧巻の大パノラマだった。青白い星、白い星、黄色い星、赤っぽい星……漆黒の空に瞬く星屑は、色も輝きの強さもそれぞれ違う。夏の夜空がこんなに華やかなだとは思っていなかった。夜釣りもする真一だが、場所は漁港が中心だし、常夜灯など人工的な光が周りにある。ここが岬の上で、磯や漁港より高いことも、迫力ある星空が眺められることに一役買っているだろう。

 久寿彦がデヴィッド・ボウイの 「スターマン」 を口ずさんでいる。星空に触発されのか、バンド時代を思い出したのか。

 視界の隅がキラッと光って西のほうに目を向けたら、湾口の向かいの岬に、灯台の光が見えた。うっすらと帯状の光跡が、暗闇の中で旋回しているのがわかる。背後の北側は、港町の夜景を山が隠しているので、これが唯一の人工的な陸の光だ。海上には、漁火らしき光もぽつぽつ見えるが、数は多くない。

「天の川もよく見えるね」

 美汐の声に頭上を見上げると、夜空を東西に分断する、ぼんやりと白い帯が目に映った。星空広場と言うだけあって、都会では見ることが難しい天の川もよく見える。昔、理科の授業で習った 「夏の大三角形」 を探してみる。いちばん明るいベガが見つかれば、ほかの二星もすぐに見つかるだろう。ちなみに、夏の大三角形のうち、天の川の両岸に輝くベガとアルタイルは、七夕説話でお馴染みの織姫星と彦星だ。梅雨のさ中の七月上旬には見えなくても、雨雲が抜けた八月なら容易に見つかる。本来の七夕――つまり、旧暦の七夕は、八月に巡ってくることがほとんどだから、彦星と織姫星を探すのも今が本筋のはず。

「知ってるか、南斗六星ってホントにあるんだぜ」

 益田が得意げに言って、南の空を照らした。

「お前、どうでもいいけど、懐中電灯で星を探すのはやめろよな」

 西脇のツッコミはもっともだ。宇宙はそんなに狭くない。

「前からバカな男だはと思ってたけど、まさかここまでだったとは……」

 葵が眉間をつまんで、深刻そうに首を振る。

「北斗の拳の悪党並みだな」

 松浦にも言われてしまう。

「うっせえな、うっかりやっちまっただけだよ」

 みんなに笑われながら、益田は決まり悪そうに、懐中電灯のスイッチを切った。

 南斗六星は、射手座に含まれる六つの星の集まり。天の川の最も明るい部分に位置し、英語で 「ミルクディッパー」 と呼ばれる。「ディッパー」 は柄杓のこと。「ミルキーウェイ」 を掬う柄杓だから、「ミルクディッパー」。一方、中国でも、南斗六星は柄杓に見立てられている。「斗」 は柄杓のこと。南の空に輝く柄杓は、「南斗」。北の空に輝く柄杓は、「北斗」 だ。

「そういや、シンの星って何だったっけ」

 久寿彦の言った 「シン」 とは、べつに真一のことではないだろう。「北斗の拳」 の敵キャラの名前。

「さあ、死兆星じゃないっすかね。早々と 『強敵』 になっちゃったし」

 それでも岡崎は真一のほうを見て、くっく、と肩を震わせた。

「シンってどんなキャラ?」

 夏希が真帆に尋ねる。真帆も真一をじっと見つめ、

「子分がろくでなし揃い。あと、いきなり全裸で登場する」

 真帆は三人兄妹の末っ子。二人の兄が買ってくる漫画を、子供の頃から読んでいた。

「何それ、ダメじゃん」
「全否定かよ」

 いつの間にか 「シン」 にされてしまったようなので抗議しておく。夏希はあたふたと手を振りながら、シンさんのことじゃなくて、と取り繕った。

「サザンクロスじゃなかったっけ」

 遅れて西脇が答えたが、勘違いしている。「サザンクロス」 はシンの星の名前ではなくて、シンが作った街の名前だ。

「サザンクロスってどこにあるの?」

 しかし、それとは関係なしに、美汐は興味を持ったようだ。ただ、美汐も別の意味で勘違いしている。サザンクロス――つまり南十字星は、南斗六星には含まれていない。加えてそれは、単独の星の名前ではなく、十字を成す四つないし五つの星の集まりだ。

「日本からは見えないだろ」

 南十字星は、南半球を代表するアステリズム (星群)。オーストラリアやニュージーランドなど南半球の国々の国旗に描かれ、久寿彦の言う通り、通常、北半球の日本から見ることはできない。

「沖縄まで行けば見えるよ」

 だが、美緒が言うように、場所によって見えることもある。美緒は、数年前、石垣島で結婚式を挙げた知り合いがいて、それに参加したときに見たという。沖縄本島からも見えるらしい。

「へえ、すげえな沖縄」
「あ、流れ星」

 真帆が頭上を見上げている。視線を辿って真一も夜空を見上げたが、無数の星が瞬いているだけだった。だが、星の囁き声が聞こえそうな空を見上げていると、少しして、キラッと短い光跡が横に走った。

「たまやーっ」

 松浦も見たようだ。場違いな掛け声を叫んで、花火じゃないんだから、と美緒にツッコまれている。少し離れた暗闇から、イエーッ、と呼応する声が上がった。真一たち以外にも、流れ星を見た人がいるようだ。七月下旬から八月下旬は、ペルセウス座流星群が現れる時期。今のもその一つだったのかもしれない。

 ふと、広場に満ちる虫の声に気づいた。ずっと鳴いていたはずだが、今まで意識していなかった。スズムシやマツムシの声は、一週間前には聞こえなかった。もうそんな時期か、と少し感傷的に気持ちになる。今日は立秋。日中は夏空が広がっていても、夜には秋の気配が感じられる。

 虫の音がする草むらから南の空に目を移して、天の川にかかる南斗六星を見つめる。

 明代の小説 「三国志演義」 に、こんなエピソードがある。

 管輅という占い師が、趙顔という若者に出会う。

 趙顔には死相が表れていた。管輅はどういう了見か、正直に、残念ながらお前はもうじき死ぬであろう、と伝えた。

 慌てた趙顔は父親と一緒に、何とかしてもらえないか、と懇願した。哀れに思った管輅は、一計を案じ、明日、桑の木の下で碁を打っている老人たちがいるはずだから、酒と干し肉を持って行ってみよ、と言った。父子が言われた通りにすると、確かに、碁を打つ二人の老人がいた。

 北側に座る老人は厳しい顔をしていて、酒と肉を平らげた挙げ句、

「さっさと帰れ。お前の寿命は決まっている」

と言い放った。しかし、南側に座る優しげな老人は、

「まあまあ、せっかくごちそうしてくれたのだから」

と相方を宥めつつ、懐から寿命が載った帳簿を取り出した。老人が趙顔の名前を探すと、確かに十九とあったので、その上に九と書き足してやった。こうして趙顔は、九十九歳まで生きられるようになった。二人の老人は、それぞれ北斗と南斗の仙人だったのだ。

 北斗は 「死」 を、南斗は 「生」 を司るという。

 虫たちの声に一抹の寂しさを感じた真一は、南斗の仙人が夏の寿命を伸ばしてくれたらいいのに、と思った。

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