見出し画像

価値観の違い

今日は「人が傷つく言葉」について
考えてみたいと思います。


言葉は人を喜ばせたり、悲しませたりします。
できるなら、言葉を選びつつ
相手に喜んでもらえる言葉をかけたい!と
努力しています。

それは
相手が喜ぶと自分も嬉しいし、
周りも嬉しいと思うから、ですが
言葉の選び方1つで、
相手を「認める」と「褒める」の違いも
生まれますし
相手を傷つける言葉もでてしまったりします。


ですが、
相手に「喜んでほしいから」と
心にもない嘘を重ねたり、
やめてほしいことを「やめてほしい」と
言わずに(言えずに)
自分がずっと我慢をしているのは、
それはそれで、
自分自身が辛くなってしまいます。


価値観の違い


人を傷つけないように、相手に合わせようと
いろいろ言葉や態度を考えすぎているのは、
じつは「自分を傷つけている」のです。

人はそれぞれ個性があるので、
全員が全員100%の人に好かれることは
難しいです。


食べ物の好みは、人によって違います。
なので、
誰にでも好き嫌いがあってOKです。

それと同じように
相手のことを好きか嫌いか。
たとえば
私はAさんを好きだけど、
BさんはAさんを嫌い…とか。
それもOKです。

なので
私を知っている全員の人に
私を好きになってもらわなくていいんです。

自分を嫌う人がいても
「ただその方の価値観と合わないだけ」
なので「そういう人なんだなぁ」と
受け止めればいいだけです。


人と接するときには自然と
・出来るだけ感じよく
・正直に
・マイナス感情を出さずに

こんなふうに
自分の意見を伝えられたらいいなぁ、と
思いますが
なかなかうまくいかないことも多いです。


ただ、
言いたいことを出来るだけ感じよく
伝える工夫を
日々努力しているのであれば
「あとは受け取り方の問題」と思えます。


自分自身を嫌いにならず、
相手からどう思われても、
自分は相手のことを嫌いにならない。

それが「自己承認」と「他者承認」です。

自分を責める


私は数年前、
転職したてで女性と2人の職場でした。
ある日、遅番だった私は
商業施設への報告をして退社。
翌朝、早番だったその女性は
私が出社するなり大激怒しています。

その女性から いきなり
「朝から大変だった!」
「なんで余計なことするの!?」
「何度いったらわかるの!?」と、
売り場に響くくらいの剣幕で怒鳴られました。
(私は転職してすぐ、
 役職は私のほうが上でした…)
(何度も、ではなく初めて間違えました…)


冷静に状況を聞いたところ、
・朝から数字の訂正をしなくてはならず、
・余計な仕事をし、
・自分のミスではないのに
 謝罪しなくてはならなかった
・そのため恥をかいた、
・こんなことが何でわからないの?
 (できないの?)

ということが
どうやら怒りの原因のようでした。

私のミスであることは理解したので
・申し訳ない(ごめんなさい)
・次からはその通りにやりますね
・朝の忙しいところ施設への訂正もしてくれて
 ありがとう
・私はほかに何かやることはありますか
(ほかにもいろいろ言った…)

…そんな私の言葉は、火に油を注ぐようで
ヒステリーってこういうことなんだ、と
へんに納得するも、
彼女の怒りの炎はどんどん
ヒートアップしていきます。


挙句には重箱の隅に追いつめられ
そして
サルマタで逃げ場をなくす犯人のように
動けなくなり
息もできないくらい追いつめられたようで…

私は、どんどん自己嫌悪に陥り、
涙がでてきました。
「悔しい」は通り越して
自分を責め、果てしなく傷つきました。。


言葉でやり込める
言葉で追いつめる
感情で人を追いつめる
…他人からこんなふうに、
ヒステリックさをまともに受けたのは
本当に久しぶりの出来事でした。


これは価値観の違いかもしれません。

私がもし、彼女の立場だったら
同じ職場なので「直しといたよ」で
済ませられますが、


やっとの思いで返した私の言葉は


『自分が間違っていた、と認めているし
 何度も謝っている。
 自分は悪くない、なんて全く思ってないし
 言ってもいない。

 それで何度も謝り次からは間違えない、と
 話しているのに
 いつまでも感情でモノ言うその言葉が
 イヤだし、もう聞きたくない!』


と、声を振り絞って言ってしまいました。

ここで言わなければ、さらに自己否定に陥り、
明日から出社できなくなる、と
思ったからです…


初めは悔しかったけど、
言われ続けているうちに

自分が自分のことを
「本当に役に立っていない、最低だ」と
思い始めたからです。


そうなんです。
自分でそう思ってしまったから、
その女性と一緒になって、
自分を責め始めたから傷ついたんですよね。

自己承認と他者承認…ができなかった


私はひどく落ち込み、
数日その女性と口を利くことができませんでした。

自分が平静でいられなかったことと
自己否定と、
自律神経が不安定になったことによる
自己防衛本能です。


数日後、その女性から
「なんで話をしないの?」と聞かれました。

ここで考えたのは、
「叱る」と「諭す」と「怒る」の違いです。

彼女が「怒る」ではなく
「諭す」または「叱る」を選択してくれていれば
私はその後も、普通に対応できたと思います。

「彼女自身」は私は、苦手意識はなかったです。
いいところもたくさんありました。

私はこのできごとにおいて、
自己承認も他者承認もできていなかったです。

それは、自己肯定して自己承認する間もなく
自分自身を打ち砕かれたから、です。

自分自身を打ち砕いていたのは
「自分で自分を責めていたから」
です。
自分が守るべきは「自分」であるにも関わらず。


「怒り」のその先


怒っているときは、か~っと頭に血がのぼり
感情のみで、それを一気に吐き出すので
一時はスッキリします。

でも、そのあとは、気まずい感情と後悔しか残らず
関係性も、感情がもつれるか、別離しかないです。


私は、1年足らずで母の介護のため
離職したので
彼女がその後どうなっているのか、は
わかりません。


正々堂々


もし今、同じ状況になったとしたら
(嫌ですけど)

次の日から、「おはよう!」とこちらから
声をかけます。
相手がどう思おうと、反応しようがしまいが、
正々堂々、普通に接します。

…だって私はちゃんと謝ったもん。
…だって私はもう同じ間違いはしないもん。

どんな状況でも、絶対に
自分を守り味方してくれる自分がいますから!


誰かの言葉に傷つくとしたら、
「自分自身もそう思っている(しまった)」
から
自分を責めてしまうのかもしれません。

だとすれば、
「今の言葉に傷ついた!」と
自分の傷に気が付けるのも、自分だけです。


ぜひ自分を労い、認めて、感謝して
自分の味方を、自分自身を
大事にしていただきたいな、と思います。



✥昨日よりも今日
 またひとつ笑顔をふやしましょう!


最後までお読みいただき
ありがとうございました。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?