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だから僕はXをやめた。SNSに分断されゆく人々を考える。

ネットが普及したからといって、世界中の人間が繋がり合う訳ではないことはよく分かった。僕がX(当時はTwitter)を1年前に辞めたのは、そういう意味での絶望感もちょっとある。


互いの趣味や思考の人たちが集まり続けることは、確かに楽しい。「好きなコトを語らうって、いいよね」的な風潮。これは特にオタクを名乗る人の間では強かったように思う。しかしXをやっていてよく感じたのが、「彼らは自分の興味の範囲内でしか活動していない」という事だった。コレが僕にとってはちょっと恐ろしく感じた。


僕の友人に仮面ライダーオタクのK君がいる。彼はとりわけフォロワー数も多く、盛んにネッ友とスペースで夜通し話をしてたという。
とある日、僕は彼にちょっとしたニュースについて会話を振ったことがあった。内容までは覚えてないが、それなりに大きなニュースだった。ところが彼はそれを全く知らない、とか言う。まあそんな事もあるか、と俺も思ったが、同じ事が何回も続いた。僕は
「流石にニュース知らなすぎない?Twitterで流れてくるじゃん。」
と言うと、
「いやぁ、なんか僕の場合全然流れてこんのよね。」
って言われた。

僕は幸いにも多趣味だから流れてくるトピックもそれなりに豊富だったし、ニュースもたまに記事を読むくらいはしてた。でもKは熱心なライダーオタクなもんだから、おそらく同じ趣味の仲間と界隈でしか活動してこなかったのだろう。

別にライダー好きであることは何も悪い事ではないはずだ。だが、彼はその熱心さゆえかそれ以外の情報が意図せずほぼ遮断されていた。ちょっとゾクっとした事実だった。

Xといえば若者が使うSNSのメインストリームに数えられるが、こんな若者が増え続けたらどうなるかなんて想像に難くない。テレビ離れも社会的に進んでるし、僕も実際この数年でほとんど見なくなった。

SNSに将来への希望とか、これまでの社会のしがらみを解消するなにかを求めるのは、絶対に間違ってるとはいえない。でも、僕はSNSの限界がまさに露呈しつつあるとも思ってしまった。だから僕はXを辞めることにした。

社会がSNSありきのシステムにほとんど変容し尽くした今日の、とある絶望の話でした。

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