【すい臓癌の母とそれに向き合う家族の日記】⑨その子供に戻る
【子供に戻る】
最近、母がほぼ片言しか話さなくなってきた。
「いや、できてない、美味しい、お腹すいた、気持ちいい、温かい、冷たい、かわいい、うるさい、、、」
とてもシンプルな言葉しか使わない。
理性がなくなると人はシンプルになるんだな。
そういえば、
私も同じような体験をしたことがあるのを思い出した。
【ちゃんとしなくちゃいけない。
やらなくちゃならない。
しっかりしなくちゃいけない。
がまんしなくちゃいけない。】
いつのまにかそういう事が当たり前に体に染みついてしまっていて、それが苦しくなって、
そういうことを手放した時期があった。
その時の私は、
飛龍に今まで我慢していたことを言いまくった。
最初は飛龍を責めるような言葉を言っていたけれど、
一通り我慢していたことを伝えきったら、
あぁ、これは自分の中の問題でしかないなー、、、と気づき、
「ごめん。これ私の中のものだった。」と誤った。
聞かされていた飛龍はうんざりしていただろうけれど、
ちゃんと聞いていてる(ふり)をしてくれていた。
ありがたや。
全部吐き出したら、
ちゃんとしなくちゃ。という理性が壊れてしまった。
いや、、、やろうとしてもできないのだ。
まるで今までの私は死んで生まれかわった感じだった。
それからの私は何週間か、
言葉使いは子供のようになり、
子供のような行動になり、
視点も子供のようになり、
世界が喜びや遊びに満ち溢れ、
嫌なものは嫌、
好きなものは好き。
とシンプルになった。
【今】この瞬間しかその時の私にはなかった。
私は布をひっぱりだしそれにくるまり、
太陽を浴びながら隙間からもれてくる光がとても綺麗で、
ずっと遊んでいたのを覚えている。
そんなヘンテコな私を飛龍は否定もせず、
何もせず、
そんな私を笑いながら見守ってくれていた。
その行動や言葉使いなどは、
満足したのか日常を送っていたら、
元に戻った。
でも、
前みたいじゃなく、
自分に正直に、不平不満がでてきても、
自分の中にいる小さな子供とちゃんと向き合って話をして、手を取り合い一緒に成長するようになり、
私の中の【何か】が揺るがなくなり、
無垢な大人ぬなった私は、
生きるのがとても楽になった。
ちゃんと私を見てくれている(愛してくれている)存在がいるという事は、
安心と平和をもたらせてくれるのだと体感した。
それは他人に求めがちだけど、
結局最後は自分自身でちゃんと自分を見つめ、
向き合う事が大切なんだと思った出来事だった。
母はあの時の私のようだ。
ボケる前は、今まで我慢したことや、
ちゃんとしていたことなどをいっぱい吐き出した。
落ち着いたと思ったら、そのあと子供みたいになってしまった。
そして、まるで子供が愛をたしかめるように、
「一緒に寝て。手を握って。ギューッとして。」と毎日言うのだ。
私はそんな母をただ見守り、
やりたいという事はなるべく叶えてあげる。
うん。これこそワガママだ。
私は我がまま=我のまま
と思っている。
手はかかるけれど、なんだかいいよね。
シンプルで♪
面白いなー人間って。
再生と破壊を繰り返しながら、
日々が過ぎていく。
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