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大学職員ってぶっちゃけ何してるん?

初めまして。まずはじめにこの記事をクリックいただきありがとうございます。
某大学で職員をしているネコです。
私は新卒で職員になり、今年の春に4年目を迎えました。
もちろん社会経験はこの大学だけなので、偏見の塊で話をしていることをご承知おき願います笑
3年間、理不尽だなぁ、しんどいなぁという思いももちろんありますが、
それ以上の達成感や感動を与えてもらいました。
いい面はもちろん、こんなヤベェ奴がおるんやで〜というお話も小バサミに入れていきたいです笑(ほんとにすごいんだから⭐️)

大学職員って何してんねん

そんな疑問にお答えします。
一口に「何でも屋」この一言に限ります。
大学事務職員だし、どうせ事務なんやろ…学生相手に楽やろ…通ってた大学の職員最悪だったしそんな感じやろ…
最後以外は、正解ですね笑 ただ複数回答の一部正解って感じです。

大学職員とは

表向きの大学には学生対応部門、管理部門、広報部門、研究推進部門の4つがあります。そして、採用に制限がない(特定の職種で採用でない)場合、基本的にはこれら4つの部門、すべてに異動する可能性があります。
なので入職から10年間総務、財務、人事(管理部門)を担ってきたが、ここにきて11年目に急に学生対応部署で地域の町おこしを学生としろとか言われます。

PCスキルあった方がええな

次にPCスキルについて、これは必要ですね笑
PCが使えると圧倒的に仕事の効率化が図れます。(私もまだまだですが…)
しかし資格がないと採用されないというわけではなく、内定後勉強します!の熱意があればいいと思います。

どうせ楽やろ

楽か楽じゃないか…
これは正直、両方の面があります。ここでは、人間関係の側面を省いて話します。
人間関係の側面を入れると、どんな仕事も大変だね〜の一言で片付いてしまうためです。(でも最後に触れます)
業務は思った以上に、タフにやり抜ける人が求められると思います。
答えは簡単です。相手が若い大学生だからです。いい意味でも悪い意味でも「元気」です。いい意味では、やりたいことに120%で取り組み、そのサポートを職員に求めるため、私たちが先に諦めるなんてことはもってのほかです。
悪い意味では、的を外した質問が多く、軌道修正しようとしてもなかなか伝わりません。これは一概に学生が悪いわけでなく、大学が提示するシステムが複雑な場合があります。履修なんてそのいい代表例です。 そんな学生がひとりならいいですが、ひとりわからないものは大多数の学生は分かりません笑
やっと説明し終えたと思った頃に、あの時相談できなかったんですが…と個別に相談にきます。また1から説明スタートです。
まぁでもどの仕事もタフにできる人が重宝されますよね….

ちなみに体力いりまっせ

ちなみに肉体作業も多いですよ!例えば、オーキャンなんかは灼熱の中大声で呼びかける、入試は極寒の中で場外整備をする、重たい本を並べる、チラシの配下、学生が倒れたら現場まで急行(人生最速記録を毎回更新してるのでは?というくらい走ります)など…。
人間関係については、そりゃ複雑ですヨ💧顧客(大学生)は目の前にいる、同僚とは異なる立ち位置に教員がいる、保護者からの問い合わせ、地域の方とのやりとり…そりゃもう若手女子なんて…また需要があれば追って話しますね笑

昇進について

基本的にはどの大学も「年功序列」である程度のレールがあると思います。
35歳前後で最初の役職「係長・主任」になる。その後は、ご自身の活躍の幅に応じてマネージャー(管理者)へなっていくという構成です。
給料も年功序列で年を取れば、大した結果を残さなくとも普通に増えていきます。
皮肉な言い方をしますが、いくら入社1年目がアイデアを振り絞ってあれやこれやと最善を尽くしても採用時の年収以上になることはあんまりありません。
一方でなーーーーーーんもしていないおばさま(50)が高給取りです。
若手からしたら頭にくる面でもありますが、自分も歳をとったらそうなれる可能性があります。
ここまででは、大学職員になりたい、転職したいと思う要素ゼロの紹介なので今からいい面を…(私の体験ベースです)

いい面(ここ読んでお願い笑)

まずボーナスがしっっっっっかりでます!1年目からいい感じです。
次に、これまでの人生で感じたことのない感動を与えてもらえます。
大学には夢を追う学生もいる一方で、周囲の学生と馴染めず日々生きづらさを抱える学生もいます。職員はそのどちらとも対峙します。
彼らがそれぞれのゴール(大きいものから小さいものまで)を達成した時、またその報告をわざわざしにきてくれたとき、信じられないほど嬉しいです。
私は大学職員のここが好きで、こんな仕事やめよう!クソッタレ!!!と思ってもやめずに3年が経ちました。
またそのような一生懸命な学生が目の前に(顧客として)いるということは、自分も諦めてはいけないとモチベーションを上げてくれます。
上司がどんなに嫌味っぽくて、パワハラ気質でも、同僚が非協力的でも、自分が学生としっかりと向き合えば必ずしっかりと答えてくれます。
思わぬところで、これまでのがんばりが評価されます。そしてその唐突な評価や感謝は、またこれからも頑張ろうと思わせてくれる内容が多いです。

私の話

じゃあそんな筆者はなぜ大学職員になったのか、そこを話せやですよね笑
私は、大学4年生当初、民間企業しかも大手でバリキャリとして働くことを夢見ていました。なんなら、海外とか飛び回っちゃって、環境に配慮した製品の説明とかして、顧客は海外の方で、社内言語は英語で…とは本気で思っていました笑

でも20歳の夏、母をガンで亡くしました。
母の病は高校2年生の時に発覚し、発覚当初からステージ4で完治は難しいと告げられていました。もしかしたらそれ以上のことも告げられていたかもしれません。
発覚から母が亡くなるまで、漠然といつか母がいなくなる悲しみにが怖かったです。海外留学に1年行ってる間に病状が急変したら?という理由で長期留学は諦めました。
また当時、同じ状況の友人や知り合いが全くいませんでした。そのため自分の不安や恐怖を誰にもいうことができず、この成長過程でどんなに辛くても気丈に振る舞ってしまう、我慢強すぎる子になりました。
就職を5月に終えて、大手JTCから内定をもらい、いわゆる勝ち組ルートには乗ったものの、これからの仕事への楽しみや展望が全く感じられませんでした。
給料や福利厚生の手厚さに対する得意げな感情はあったのですが、それ以外は何も…そんな時に、自分は寂しさに気づかないふりをこれまでして、頑張ってきたんだ、このまま何も考えずに入社をしたら自分が壊れるまで何も気づかずにいるんじゃないかと思い、入社について再度検討するようになりました。
じゃあどうする??そんな時に就活サイトで某大学の採用を知りました。
ダメ元で出したらまさかの採用!
採用時は「学生は脆い。そんな学生を支える仕事がしたい」これだけで乗り切りました。これは自分のことを言っています。
大丈夫大丈夫って笑う裏には、全然大丈夫じゃない、どうやってしんどいかを表現したらいいかわからない子がもっといるんじゃないか、、、という思いから出てきた言葉です。
それから3年。まずはこの思いを胸にしっかりと学生と向き合えたと思います。
傾聴やカウンセリングの研修、PCの資格、日々の業務を諦めず一生懸命に取り組んできました。
4年目になると同時に人事異動となりました。辛い思い出ももちろんあった、早くこんな部署出ていきたいと思っていたにも関わらず、涙が出ました。
いろんなことを学ばせていただいた、仕事だけではなく、人として成長した3年間でした。
そして、4月の半ばに気づいたことがあります。母が亡くなってからの5年間、辛い悲しい助けてを言えずに過ごしてもがいて…第一回人生のどん底でした。
でもそのどん底が終わりました。

3年間頑張ったことはが全て自分に帰ってきて、よかった。
これは大学職員じゃないとできないことだと思います。
私にとっては転職です。仕事に腐らず、なんとかやりきっていきたい方には絶対に向いてます。そして、いつかそんな方と仕事でご一緒できることを楽しみに明日からの仕事も最善を尽くします。


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