報われるかどうかは考え方次第
努力は報われる。
この言葉を聞いて、綺麗事だと感じてしまうでしょうか。
努力をすれば、きっと誰かが見てくれているやいつか報われるなど祈るような思いを込めているならば、そう感じてもおかしくないと思います。
しかし、それでは主体性がなく、最終問題は100万点です!みたいなクイズ番組を見ているようで、自分の影響力の及ぶ範囲意外も含まれてしまうのであれば、とてもやりきれない。
私は努力が報われるためには、報われるための努力が必要だと思ってます。
むむ。ややこしい言葉ですね。
言っていることは簡単です。
報われるための心の置き方や考え方を持っている必要があって、それを備えておかなければいけないと言うことです。
努力をするのは目的や目標を達成するためです。
努力をすれば、その分だけゴールに近づき、目に見える成果が得られるのであれば、努力のしがいがあるってもので、継続できる可能性は上がると考えます。
これがもし、努力しても報われない可能性がある。もしくは、努力のすることによって欲しい成果が得られるのか分からない。
やらないよりはやった方がいいよね。と言われることは続かなかったりします。
成果や報酬といった原動力が得られづらいからだと思います。
報われない状態や報われるのか分からない不確実な状態です。
この状態を報われるものにするのか、報われないまま終わるのかは、神に祈るような自分の外の出来事、天災のようなものではなく、自分の影響力の及ぶ範囲で自分で操作する必要があります。
目標の設定方法には、大きな目標に向かって小さな目標で設定して、小さな目標をクリアしながら少しづつ大きな目標に近づける。小さな目標の中には、少ない努力で成功できる目標も設定して、成功体験を味わっていく。
このような設定ができれば分かりやすいのですが、全部がそうとは限りません。
目標や成果を設定しづらい場合は、努力する自分を肯定し、律して過ごせた時間を認めることです。
誰でも周りの環境に感情が左右され、時に怠惰な生活になる事もあります。
人間は基本的に怠ける生きもので、楽な方に流されるし、変化する事も嫌います。
本能的な人間の特徴を理解した上で、その中でも努力することができた。我慢することができた。やるじゃん自分!と褒めるまでいかなくても、1日の終わりに認めてあげることが明日の自分につながるんだと思います。
一日じゃなくてもいいです。人間の行動は、選択の連続です。
勉強するのかしないかの判断は一瞬で、その瞬間です。運動するのか、お菓子を食べるのか、読書をするのか、スマホを見るのか、判断するその瞬間に自分を律することができるのかが勝負です。負けるな自分
それらの誘惑と戦い、判断する瞬間に打ち勝つ自分がいることを認識してください。そして、打ち勝った時には褒めてあげてください。
そうした瞬間の積み重ねが、とんでもない自分を築き上げると思います。
最初は負けてもいいんです。責めないでください。
勝ち越せばいいんです。
ウルフルズが昔言っていました。
今日1日の終わりに、ハハハと笑えれば。って
私にとっては、noteは律した自分かもしれません。
よくやった自分
今日もいい1日です。