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バスケW杯に想う~ストリートからスラムダンクまで、私の冒険譚

ベネズエラを相手にした日本の快勝を観て、48年ぶりで自力の五輪出場が叶うかもしれないと考えた時、これは、私とバスケの数奇なご縁について書き残す、良い機会かもしれない…と思い立ちました。時は遡って2006年当時、私はとても特殊な立ち位置から、仕事でバスケに関わっていたのですが、今でも鮮やかに残っているのは、2006年に日本でバスケ世界選手権が行われた時の、象徴的なラストシーンです。

日本は予選で1勝を挙げ、ファイナル進出が懸かった試合で、残り数秒、3点のビハインドで運命を賭けたボールは、当時シューターとして名を馳せたベテラン選手に託されました。相手のマークもそれ程ではない…観る誰もが同点をイメージしたその瞬間、彼はあろうことかパスを選択。それがターンオーバーされて万事休した、その瞬間のことです。

翻って今回は誰も失敗を恐れていませんでした。そして第4Q勝負どころでベテラン選手が大爆発。彼はNBA選手ではありません。でもこの世界の舞台で、自分が何者か…表現することを躊躇わなかった。それがあまりに嬉しくて、この文章を書くことを決意しました。私の個人的な話が中心になりますが、この2006→2023年の変化に多少なりとも寄与できた気がするので、そんな視点で読み進めて頂ければ幸いです。

まず私は、学生時代にバスケを経験していません。ただNBAスラムダンクは好きで、1995年に米国で働く機会を得た際に、街角のコートで覚えた自己流。それでもストリートのピックアップゲーム(勝ち残りシステムで、そこに即席チームが順次挑む仕組み)ではそこそこ誘われたので、下手ではなかったかと思います。

ちなみに1995という数字にピンとくる方もおられると思いますが、この年は「I’m back」の文字が全米で踊りました…そう、神様マイケル・ジョーダンが大リーグからNBAに復帰した年。そんな時期に私は、ブルズの本拠地シカゴにほど近いセントルイスに居たので、その熱気は凄まじいものでした。

当時愛読していたPhil Jackson氏(ブルズ監督)の著書

そんな時代で環境でしたから、ストリートバスケに嵌っていた私はあえなくバスケ狂に。そしてNBAの情報を漁るうちHoop Hysteriaというバスケファンクラブに出会いました。実はこのロゴマーク、スラムダンクの井上雄彦さんがデザインしたそうなのですがそれもそのはず、これを主宰する方はリアル安西先生(実際は月刊バスケットボールの元編集長)だったのです!それを知った私は一も二もなく入会し、米国支局として発信を始めました。

井上雄彦さんデザインのロゴ

2年後、私が仕事でロスアンゼルスに移ると、運命の歯車が回り始めます。安西先生がレイカーズの観戦がてらリトル東京に来た時、残業中の私に連絡が入ったのです…「今から来れる?」。そこにはNBAに指名された最初の日本人とされる方も居て、夢のような一夜でした。別れ際にハグしたら、私の額が彼のベルトのバックルに当たって痛かったことも、いい思い出です。私もバスケのために何かできないか?…そんなことを考え始めた頃でしたね。

当時の私は銀行員でしたが、学生時代からバブルの狂騒を冷ややかに見ていたので、いわゆる「雨が降ると傘を取り上げる」融資ではなく、「運命を共にして事業を育てる」投資に傾倒。特に「赤ん坊の頃から将来に賭ける」ベンチャーキャピタル(VC)に惹かれていた私は、同じカルフォルニアに居た利を生かし、無謀にもシリコンバレーVCへの転職を試みました。ただそこで言われたのは「一流の投資家になりたいなら、自分で事業を成功させることだ」という至極当たり前の理屈で、これが以後、私のキャリアで軸になってゆきます。

そうして2000年に帰国すると、日本もITで社会が大きく変わろうとしていて、ベンチャーブームが巻き起こっていました。その中で私も何とかVCになれて、でもシリコンバレーでの言葉が頭に残っていて、常に起業の機会を窺う毎日でした。そんな時、再び私がバスケと関わることになります。きっかけはプロリーグ化の動きでした。2004年頃、実業団リーグから脱退してプロリーグを興す動きがあって、その準備室に関わることができたのです。これも先述Hoop Hysteriaのおかげで、人生、何がどう作用するやら…不思議なものです。

ただやはり、競技バスケを知らぬ私に貢献できる余地は少なく、資金計画に若干関与した後は別の方向性を考えるようになりました。私にしかできない仕事はないだろうか?と。当時、スラムダンクが1億冊を突破していて、バスケ漫画は成功しないというジンクスを過去のものとしていました。なので、バスケにはもっと人気を博す可能性があるはず…だが、NBAにはなくて日本で生み出せる魅力は何だろう?

そう考えた私は2005年、自分なりの答えを世に問うことになります。「フロム・ザ・ストリート」という、ストリートバスケのプロリーグを運営する会社を立ち上げました。バブル崩壊後の1期生として、敷かれたレールから"外れる才能"が輝く場を作りたかったのです。だから「ストリート」…誰でも表現できるが、輝くのは本物だけ。そんなコンセプトで、3on3だが個人でスコアを競うリーグ「Legend」を考案しました。

リーグ創始時のビジュアル

この「一人のチャンピオンを決めるバスケリーグ」は話題となり、主要な新聞にはすべて掲載。NHK朝のニュースでも生放映されたせいか、新木場のクラブで行った第1シーズン最終戦には2,000人を動員。当時始まったばかりのネットTVでスポーツ部門1位となり、メジャースポーツメーカーの協賛も得て、放映権料とスポンサーというビジネスの両輪を早期に形作ることができました。

しかし喜びも束の間、翌2006年はYouTubeが出てきたことで放映権料はなくなり、スポーツメーカーもグローバルなM&Aによりスポンサー見直しと、両輪があっという間に崩れてしまいました。そんな中でも世界選手権には広報支援の立場で関わり、何とか興行収入で持ちこたえようと頑張りましたが数年で命運が尽き、リーグ売却を決めました。

今思えば過信があったのだと思います。短期で軌道に乗せられる、成功は自然に広がるはず、そして社員は常にモチベーション高くあるはず…そんな風に、図に乗れる才能が起業には必要だとは言うものの、初期の成功を軌道に乗せる丁寧さが、私には欠落していました。そしてそのせいで株主や取引先、何より同じ船に乗ってくれた社員と選手に、多大な傷を負わせてしまったこと…今でも心苦しく、たまに夢にも出てきます。

そのうち最大の傷を負わせてしまった大株主のグループで、有難いことに私は再起の機会を貰い、現在に至るまでご恩返しを続けています。一方で売却したリーグの社員と選手は、数年の後、結局ばらばらになってしまいました。それでも皆、逞しく生き抜いてくれていて、中にはbjリーグで活躍した選手NBAの来日ゲームで会場を盛り上げたMC、そして今日の試合でも解説でコメントしていた元選手など、それぞれの立場でバスケに関わり続けてくれていること、知るたびに心が温まります。

インターハイやインカレで活躍した人にしか、プロへの道がなかった時代…一つのバイパスを作れたと思います(写真はBASKETBALL SHOP forgame さんのYouTubeチャンネルから。他にもインタビュー等を通じて、Legend選手のその後を追いかけてくれていますので、ぜひご覧ください)

なかでも一番心を震わされたのが冒頭の写真です。日本でストリートバスケの聖地となっている代々木公園のコートを改修したクラウドファンディング。このプロジェクトを立ち上げたチームに、共にLegendを立ち上げた仲間が多くいたので、今は亡き会社名で寄付をしました。そうして、その会社名(フロム・ザ・ストリート)をコートサイドに刻んで貰ったのです。

冒頭の写真(山口貴久さん撮影)を拡大したもの。実物は代々木公園でご確認ください。

そしてもう一つ、私の挑戦が無駄ではなかったと思わせてくれたのが、まさに昨日、上映を終了した映画「THE FIRST SLAM DUNK」でした。何気なく観ていたエンドロールに流れる「Motion Actors」の欄に、Legendにいた選手たちの名前が!実はこれをアレンジしたのが当時の副社長だったらしく、Legendの晩年に、スラムダンクのアニメDVD販促で井上雄彦さんと一緒したご縁から依頼された話で、制作に13年かけたのだと。その間は一切、この映画のことを誰にも話せず、大変だったそうです。

こうして、いろんな人がいろんな思いでバスケに関わった結果が、2006→2023年の変化だったのではないでしょうか。そしてそれを昨晩、これ以上ないほど見事に、選手達が表現してくれました。きっと皆の心の中に、常に「スラムダンク」の世界観があったことでしょう。その証拠に、リアルな激闘から作中のシーンを想起して心震わせる人が、なんと多かったことか!井上雄彦さんという一人の天才が、かつてNBAを夢見ることすら夢物語だった時代に、日本人がそこに辿り着く世界を描いてくれたおかげで、皆がそこを目指して歩んで来られたのだと思うのです。井上さんが「バスケを好きでよかったですよね皆さん!」とコメントしてくれましたが、私はそれにこう返したい…「スラムダンクを好きでよかったです!」と。

映画鑑賞のノベルティ。素晴らしい作品をありがとう!

最後に「Legend」で一番人気だった選手をご紹介しましょう。リアル仙道と呼ばれた選手で、彼なくしてGyaoとYahoo動画のスポーツ部門1位はなかったと思います。井上さんご自身が、かつてラジオでそう言ったとか言わないとか…

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