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30代で感じた知性格差の正体とは?


はじめに

社会人10年目も経過し、ゴールデンウィークに久しぶりに学生時代の友人や前職の同僚などと再会しました。久しぶりの再会で、楽しい時間を過ごせましたし、何かコロナでの自粛時代がだいぶ終わりを迎えつつあるのを感じました。今のこの状況の「有り難さ」に感謝しながら日々生活していきたいお気持ちです。
本題ですが、コロナで数年間疎遠になっていたこともあってなのか、明らかに知性や精神レベルが上がっている人、上がっていない人が30歳過ぎて可視化してきたなと感じたので、自分なりにまとめてみました。
大人になると、学生時代のように学習過程の「パッケージ」が用意されてそれを消化すれば、次のステージにいけると言うようなものはないと思いますし、接している相手がどのステージなのかというのは一見するとわからないと思います。仕事で成果が出て昇進・昇格している、結婚して子供を生まれて家庭を持っているというのは一つの成長・成熟の指標になるかもしれませんが、あくまでそれは表層的な現象や結果でありますし、価値観が多様化している今の時代ではそれだけでは大人としての成長・成熟を測るのは難しくなってきています。別に成長・成熟することが絶対に必要だというわけではないですが、個人的な感性としてある程度年齢にあった形で成長・成熟していない人を見るとどうしてもダサいなと感じてしまいますし、それが30代になると感じ始めるのかもしれません。
この記事では、大人の成熟度合いを私なりに言語化・整理した上で、成長する人間としない人間の特徴をまとめてみました。やや大きいテーマで言うと30代で感じた「知性格差」の正体です。また、成長・成熟故に訪れるものも少しまとめてみましたので、どなたかの参考になれば嬉しく思います。まだまだ私も未熟なところがあり、勘違いや、深掘りできていないところはあるかと思いますが、その点は大目に見ていただけると幸いです。

学生時代の友人との久しぶりの再会にて

What is the identity of the intelligence gap?

ゴールデンウィークに中高大の友人、前職の元同僚と久しぶりに飲みにいきました。貴重な休みの中、わざわざ会っていくれる友人・元同僚には感謝していますが、少し考えさせられる出来事がありました。大学の友人がマッチングアプリで出会った女性と旅行に出かけ、その後、その女性は旅費などを支払わずにばっくれてしまったそうです。もう一人の共通の友人がLINEグループ上で、こういう女性を野放しにしていると社会は良くならないから復讐しようぜと言い出しました。私は、復讐や恨みは良くないし、自分に責任があると捉えて自己研鑽しつつ、次に進んだ方がいいと助言をしましたが、その復讐を言い出した友人は、私の考えは社会的責任を放棄していると言って復讐を進めようとしていました。色々聞いてみると、社会的責任というのはどうやら建前のようで、自分がむかつくから復讐したいとのことで、漫画か何かでプライドを持つのが大事だと読んできたからとのこと。そして大事だと言っていたプライドとやらも私が対話の中で言語化して気づいたのか、もう自分の気が済んだからもう復讐はいいやと言い出しました。何かそれっぽい大義名分を掲げて、結局は自分がむかつくという感情で動くのに稚拙さを感じてしまい、よくよくその友人たちのグループの会話を眺めていると、学生のレベルのまま少しも成長していないなと感じてしまい、急速に何か「冷め」のような感覚になり、少し距離を取ろうと決めました。他方で、仕事や家族や他者との関わりや新しい環境での挑戦などの中からの学びをシェアしあえる友人も数は少ないですが、出会うことができました。学生時代などはおそらく同じような会話・経験をして同じレベル感であったのに、何が大きく違うのでしょうか?と私の中で大きな疑問と好奇心が湧きました。

大人の成長・成熟度合い

“Objective Axis” x “Stage of Protecting and Breaking Thoughts”

私なりの解釈としては、「目的軸」×「思考の守破離のステージ段階」で整理できるかなと思っています。それぞれまとめてみます。

目的軸とは?

目的軸とは、シンプルに「誰のために行動・発言しているのか?」という点です。
おそらくレベル段階としては以下かなと考えています。

レベル1:自分のため
・レベル2:家族・友人のため
・レベル3:他人のため

レベル1の「自分のため」は、最低レベルですが、大人になると巧妙な話術でカモフラージュしているケースが多々あるかと思います。具体的には、周囲に迷惑だから、マナー違反だから、みんなのために楽しいことしようぜというような大義名分を掲げながら、本音は自分がむかつくから、嫉妬している、自分が楽しみたいから、などという本音のパターンです。大義自体それ自体は悪くないのですが、よくよく発言のコアを咀嚼すると、自分のためという大人は非常に多い気がします。映画「湯を沸かすほどの熱い愛」の夫というはまさにこのような段階だと思います。
次の段階は、家族・友人のためという段階です。こちらは自分軸から移行していて成熟しているのですが、自分のコミュニティさえ良ければ良いなどの考えに発展しかねないので、まだまだ成長余地があると考えてます。
最後の「他人のため」というのは最上位の段階です。よく女性が男性を見るときに、店員さんに対する態度をみるという話をよく耳にしますが、ここの段階に達しているかどうかは1つの判断材料になるのではないかと思います。ただ、こういうHowのTipsは世の中に溢れているので、表面的にみていては判断がつかないところもあるかと思います。
ちなみにこのレベル段階は、一人の人の中で100%パッキリ分かれるようなものではないと思います。具体的にいうと、レベル3の人もレベル1の自分のために時間を使うことはありますし、レベル1の人も何か未曾有の状況に置かれたときはレベル3の行動を起こします。どちらかというと日々の生活の中でのシェア割合で成熟している人はレベル2や3の比率が高くなる傾向にあるのかなと解釈しております。レベル3のみというのはブッタやマザーテレサの領域なのかなと思いますし、先日、話題のインド映画「RRR」を見てきたのですが、主人公の二人やインド側で登場する人物はこの領域の人たちですかね。

守破離のステージ段階とは?

次に「守破離のステージ段階」をまとめてみます。別の言葉を使用していますが、こちらは、成人の発達段階の理論に近しい概念です。
第1ステージ:守
こちらは世間の常識や先生や親の価値観や良いとされる倫理観を遵守することです。あまり疑問を持たずに従順に従う段階です。
第2ステージ:破
こちらの段階は、自分の頭で考えられるようになった段階で、今まで信じていた価値観や常識を疑い、自分なりの価値観を信じ始める段階です。思想として排他的になりがちなデメリットもあります。
第3ステージ:離
こちらの段階は、自分の信じていた価値観自体も何か空虚なものであったり、他の価値観も受容できる段階です。自分の意見は持ちつつ、断定や絶対表現はしない段階だと解釈しています。
詳しくは成人発達段階の理論を参考にしてみてください。

目的軸×守破離のステージ

これまでまとめていた、目的軸と守破離のステージは掛け合わせが必要なのかなと感じています。具体的にいうと、守破離のステージ1の先人の教えを疑うことなく盲目的に信じて、目的軸のレベル3の他人のために動いているのは、良いことではありますが、何か深みみたいなものも感じませんし、応用が効きにくいのかなと思っています。また、守破離のステージ3で色々な価値観を受け入れられるけど、結局は自分のためとなると少し卑しい感じがしてなりません。もう少し私も解像度が上がればシンプルに表現できるのかもしれませんが、現時点ではこの掛け合わせの整理がしっくりきています。

成長・成熟している人、していない人の差とは?

What is the difference between adult growth and maturity?

同じような身体・脳を持ちながら、大人の成長・成熟段階になぜ差が出るのでしょうか?
私の視界から見えてきた解釈は言語化すると以下のプロセスをした施行回数なのではないかなと感じています。

  • 常に新しい挑戦をしたり、新しい環境や人と触れ合っている

  • 挑戦の中の成功・失敗体験から自ら謙虚に振り返り、深い学びにつなげている

  • 深い学びからまた次の挑戦やアクションを実行する

逆に、成長・成熟していない特徴として、同じコミュニティに居続け、大した挑戦をせずに、居心地の良いコンフォートゾーンに留まり続けている特徴があると考えています。挑戦をしたりすると、当然、失敗もしますし、自分の未熟さを体感します。そしてその未熟さを環境のせい、まわりのせいにせず、絶えず謙虚に振り返り、次のアクションに繋げていくことが必要なのかなと思います。20代で大した挑戦をしないまま30代になると、プライドが邪魔をして次の挑戦をできなくなる体になってしまうのかなと考えています。
学生のうちに海外経験をしたり、アルバイトをしたり、インターンをしたり、ボランティア活動をしたり、違う環境や価値観に触れている人間はこの良い癖がついている気がします。
よく成功するためには、挑戦しなさいと言われています。こちらは私も同意です。ただ、もっと残酷な話ですが、挑戦をしない人は人間的な成長・成熟もせず、ザンネンな大人に成りかねないのかなと思っています。挑戦は別に仕事などでなくても良いと考えています。自分自身も、今何かに新しい挑戦をしているか?何か安定したところにとどまっていないかは振り返りながら残りの人生を送っていきたいなと強く思っています。

社会が成熟すると、人間が未熟になる説

Isn't it true that when society matures, humans become immature?

これは私の仮説ですが、社会が発達・成熟すると、人間がある種未熟な状態でも許されるようになるのではないかと考えています。自分が心地よいものもすぐに手に入りますし、成長しなくても自分を受け入れてくれる学生時代の友人ともすぐに連絡を取れるのが今の時代だと思います。加えて、今後、大きく変わってくるかもしれませんが、経済合理性のみを考えて、プライベートでもコスパ・タイパを追及していく流れだと、人間は考えなくても生活できるようになっているのかなと思います。意識高く色々考えようぜというような単純な話でもない何か抗えない時代の流れなのかなと思っています。また、おそらく多くの人間は、「自分のため」×「盲目的に常識を信じる」タイプが世間のマジョリティです。なぜなら、低いところにとどまっている方が心地よいですし、自分で考えない方が楽だからです。そして、この数のパワーは非常に強力です。ただ、私はものを考えるのが好きですので、利他的であったり、色々な価値観を受け入れられるような人間でいたいと考えてますので、少しこの流れに一部乗りつつ、一部抗っていきたいなと思っている今日この頃でございます。

成長・成熟していると訪れるもの

meeting and parting, loneliness and happiness

おそらく自分自身が成長・成熟すると、これまでの人間関係が変わります。自分の親しい人5人の平均が自分だという有名な理論がありますが、こちらはかなり芯を食っているかなと思いますし、仮に自分が成長・成熟してしまうとこれまでの友人や恋人などとどうしても釣り合わなくなってきてしまうかなと思います。
離れる際に「あいつは冷たいやつだな」「友達を大切にしようぜ」というような言葉を浴びせられる可能性もあるかと思いますが、気にしないのが一番です。いずれ新しい出会いが生まれると思います。そして、大切にしているからこそ少し距離をとるということかもしれませんね。
「諸行無常」であるが故に「一期一会」を大切に生きていきたいなと思っています。
読んでいただきありがとうございました。
拙い文章ですが、こちらの記事が誰かの何かのお役に立てれば幸甚です。


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