戦略的モラトリアム【大学生活編】②

四月某日 春一番の快晴
心は疚しい霙空


入学式の日、年甲斐もなく母親と訪れた大学の体育館。脇にはサークルや部活の勧誘が無数にビラ配り。

「少し鬱陶しいかも」

何がそんなに楽しいのか。いや、楽しいのは自分の心のなかだけで、現実世界に楽しさなんてさほど感じない。ただ、干渉されずに過ごせる毎日だけが自分の至福だった。

「ほら、ほんな(そんな)怖い顔しなさんな」
母が言う。でも、そんなこと関係なかった。やりたいことがあるわけでもないけれど、何でもやってみようという気持ちだけはあった。それは決してポジティブな感情からではなく、空白の時間を埋めるような作業に従事したかったのだ。高校を辞めて、空っぽだったあの日々を今から埋め尽くすことはできないけれども、これからの毎日を埋め尽くすことで、自分の人生を取り戻せるような気がしていた。それが例え無意味なことであっても。

これからの毎日は兎に角今までの時間を取り戻すようにたくさんのことで埋めつくそう。そう、失った時間を取り戻すように。

新しい場所。ここには自分のことを知っている人なんて誰もいない。だからこそ新しい繋がりや新しい世界が見いだせるはずだ。誰も過去のことなんて知らないし、知ろうともしない。煩わしい関係なんて絶ち切れるし、自分の世界に引きこもることだってできるはず。

暗闇の10代にサヨナラ。

そして、モラトリアムの延長戦よ、こんにちは。
20代の始めはモラトリアムをモラトリアムらしく生きることから始めよう。

それは空っぽにすることではなく、自分の時間をモノで一杯にすることだった。

入学式の式辞なんて頭にも心にも響かない。ただ、4年間の猶予だけが自分の心に夢と希望をもたせていた。もちろん邪な思いではあったけれど。


母は無事地元に帰ると、無言の部屋に一人ポツンと夕食を作る自分がいた。明日からの生活がどうなろうとも、新生活の自分には何事も新鮮でどんなことにでも興味を持ってみようと決めていた。ただ、必要以上の繋がりや高校の部活動のような連帯感を強制する足かせのような繋がりなんてまっぴらごめんだ。

アメフト部のビラなんてゴミ箱に捨てちまえ。
部活なんてやらないよ。嫌ってほど不条理な高校柔道部の規則には16才ですでにうんざりしてるんだ。

今さらそんなことができるかよ。


自分は芒のように吹く風に靡きながら毎日を過ごしたいのさ。それが突風であっても、勢いよく吹かれたい。

とにかく新入生のガイダンスは始まったばかり。
不純な新入生は、露骨なまでの強かさを胸に秘め、翌日からのオリエンテーションに心を弾ませていた。

ラジオはつけたまま、無音を嫌がる癖は専門学校のときのまま、閑静な住宅街のアパートで、DJの声だけが部屋中を走り回っていた。自分はその声を枕にしながら、眠りについた。なぜかその日はやけに寝付きがよかった。

「ナインティナインのオールナイトニッポン…………○×△……」

福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》