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戦略的モラトリアム【大学生活編】⑰

「○○君、ちょっといい?」



英語の非常勤講師の先生に呼び止められた。授業後、先生方に呼び止められるなんて、不思議なこともあるもんだ。大学では出来るだけ目立たず、普通に生活していたのに、何かやらかしたのだろうか。身に覚えは・・・・・・ない。


「君さぁ、教職課程取ってるよね。教職に興味があるの?」


「・・・・・・はい、まぁ・・・・・・」


言葉に詰まる。そんな崇高な目標があって履修している訳ではない。だが、それをおおっぴらに言うのも憚られる。そのくらいの社会性は自分にだってある。


「○○県出身なんだ。ふーん」


性格のからっとした中年の女性の先生だ。小柄でスラッとした姿だが、どことなく風格があって格好いい。キャリアウーマン?バリバリの学者?そんな雰囲気の先生だった。


「でも、高校出ていないんです。大検なんです。他の教職取ってる人とは違います。」


自信なさげに言った。元気な人に自分の昔話をするのはあまり好きではないが、後々ややこしい集団行動に巻き込まれては元も子もない。ここは正直に言おう。


「面白いじゃん!いい刺激になると思うから夏の学会手伝ってよ!」


不思議と流れるように自然なリアクションで返ってきた。なんて清々しい女性だろう。普通なら途中でドロップアウトした学生なんて希有な目で見がちだが、本当に上手に聞き流してくれた。いや、受け入れてくれたのか?とっさに手渡されたプリントには「KATE:関東甲信越英語科教育学会」と書いてあった。


「学会?これって・・・・・・」


とてつもなく難しい会なのだろう。自分には縁のない場所ではないだろうか。先生方や教育関係者・研究者が集まる会なのだろう。一瞬で気が引けた。


「・・・あの・・・でも」
「じゃあ、また連絡するから」


遮るように、その場から足早に先生は去って行った。
手に残ったプリントを鞄にしまい、自転車でアルバイトに向かった。
考えるのは後にしよう。

その日は何事もなくバイトをし、深夜のアパートで少し考えた。今まであれだけ嫌いだった学校の先生が数多来るところになんか顔を出して良いのだろうか。そもそも不登校で自主退学の学生が教職課程を履修することなんて想定していないのだろう。あーあ、その場で断れば良かった。

深夜3時
松屋で麻婆茄子を食べ漁る愚行をしながら、愚にもつかない自分の浅ましさを恥じた。

夏も本格的になってきた。ジリジリと照り刺す太陽光が痛い。東北の夏とは確かに違う。また、この季節がやってきた。どの授業を受けていても、あのことが頭から離れない。

関東甲信越英語科教育学会
カランカラン

「いらっしゃい」

またあの喫茶店に来てしまった。


「今日はなににする?」
「ハムチーズトーストと・・・・・・コーヒーは・・・何でもいいです。」


オーダーした後に暫く項垂れていた。

コトッ・・・・・・

カウンターにメニューが置かれると、徐にコーヒーを啜った。

「さぁ、このコーヒーは何でしょう」

笑顔でマスターのおばさんが語りかける。

ちょっとしたミニクイズだったが、気晴らしになる。

「う~ん・・・・・・難しいですね。キリマンジャロですか?」

「残念。モカでした。」

ちょっとした談笑の後に、さらっと今悩んでいることを打ち明けようと思った。なぜかは分からないがここにいると自分のことを何でも話してしまいたくなるような包み込む空間と時間の流れを感じさせるのだ。不思議なことだが、コーヒーのミニクイズが僕の心の岩戸を開いた。

福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》