震災クロニクル【2012/7/1~】(61)

今年の夏も茹だるように暑い。海水浴もない夏到来だ。線路は最早草の中に覆われている。

暫くは使われないことが間違いないが、一旦停止無視のネズミ取りは相変わらずやっている。警察もアコギなことをするものだ。廃線同然の踏切の一旦停止を見張ることに何の意味があるのだろう。
法令遵守?いや、被災者に対する嫌がらせにしか思われない。

「あー、また捕まっているよ」

車に乗りながら前方の不幸を可哀想に見つめる。どうせ、「あなたのためを思って、踏切でもし列車が来たらどうするの?」なんて言っているのだろうか。

逆に「その列車はいつ動くのですか」と聞いてみたい。

草に覆われた線路を踏み切り越し脇目に見る度、絶望的な気持ちになる。北も南も移動手段が道路だけ。仙台も東京も車、バスのみで移動が出来るちょうどそんなとき、常磐道の開通が急ピッチで進められていた。高速道路が開通すれば物資の輸送が格段に良くなる。産業系には心待ちにしている道路だろう。しかし、一般人の私からしてみれば、そんなことよりも、物資を気兼ねなく運べるように原発近くの放射線管理と除染、インフラと整備してもらっ
た方がいい。しかし、原発から 20 キロの所には各地に検問所が設けられ、許可証がない車両は入れない。未だにそれほど危険な土地なのだ。警察車両が物々しさを際立たせ、バリケード越しに各車両に身分確認書と通行証を確認する。そんな地域に線路を引いたところで原発の前はきっと通れないだろう。もしくは鉛のトンネルでも作るのか??


そういえば、東電から入金あったのかな。通帳を確認してみると、しっかりと振り込まれていた。来年までの月 10 万円の精神的苦痛の損害の賠償金。それと申請書で認められた賠償費用と仮払金の差額分をそれで相殺し、差額分が振り込まれていた。何とも情けない話である。そのお金がないと生活が成り立たないほど、生活は荒れていた。仕事も期間が決まっているもの。そして、決して景気がいいわけではないこの状況。復刻関連だけが潤い、それに伴う飲食業がその恩恵を得ている。それ以外のサービス業には震災前よりも一層つらい状況になっている。住民が戻ってきていない。そして、街中には見知らぬ流れ者ばかり、作業員や警備員は出稼ぎ労働者だ。昔のバブルの頃とはそのあたりが全く違っていた。

浮き足だった表面上の景気の良さが僕らの状況を包み隠す。復興に銘打った大規模な補正予算や増税は大手ゼネコンのポケットの中に消えていったのだろう。僕らは時限付きの安
心を与えられているに過ぎない。保険料、医療費の免除だって、年金の免除だってどれも 1年単位の安心を 年に 1 回与えられているのだ。そう、檻の中の動物に餌を与えるように。

どうやら原発近くの一部では海開きをするらしい。震災から 2 年足らずでそんなことを・・・・・・。復興アピールすると何かご褒美でも出るのか?そう勘ぐりたくなるような早さでそれはやってきた。テレビでは不安なコメントは一切出ず、ただ、楽しそうな若者の様子を映すだけ。そんなことだから、危機感も徐々に薄くなる。マスク姿が徐々に姿を消してい
ったのもこの時期だ。

電車の代わりに代替えバスが走り、その生活にも慣れてきた。作業員の需要を満たすほどたくさんのコンビニ計画が街に上がっているという。そこら中で復興とは関係のない建築工事が始まり、ローソン、セブンイレブンなどが新規でできはじめた。混雑が緩和されると思いきや、仮設の宿舎から無尽蔵にはき出される作業員はマイクロバスや各自家用車で莫大な量の労働力を運んでいる。とても今あるコンビニで賄いきれるわけはなかった。混雑は解消されるどころか、原発から遠く離れた場所から通勤する作業員にとってはコンビニの街になり、どの店も混雑するようになってしまった。知り合いから

「コンビニで働かないか」

と声がかかる。どこでも人手不足だそうだ。
はぁ、この街の混沌と世の中の移り変わりは見事なコントラストを装い、僕らを呑み込んでいった。

福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》