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復興シンドローム【2015/06/05~】⑮

夏らしくムシムシし始める季節。

僕は半年に1回の血液検査に向かった。放射線手帳に累積線量が書かれる。警備員程度では累積線量が危険域になることなどまずありえないが、一般生活している人たちよりははるかに高い線量を受けていた。

1日6時間の仕事を週3~4日しているだけでこうも違うのかと思うと、やはりこの地域の復興など夢のまた夢なのではないかと疑念が生まれる。

新しい年配の隊員が入ったと思うと、また一人辞めていく。毎日宿舎になっているホテルに行く度「○○が辞めた」だの「○○がとんだ」だの耳にする。日本国中の出稼ぎポイントを旅人のように周るのだろうか?福島が地元でない人は腰も軽く、次々と消えていった。

地元出身で働いているのが自分だけだと思うと、彼らの行動のすべてを理解しようとは思わない。所詮出稼ぎで、ここの人間じゃないんだ「恥のかき捨て」で、ここでは好き勝手振舞っても彼らの心には何にも残らないのだろう。

今日も長雨のジメジメ天気で汗かどうかも分からない湿りっ気が朝からの仕事のやる気を奪う。

「そういえば、国道近くは居住制限が解除されるらしいぞ」

そんな話はここ最近のもっぱらの噂。ただ6時間ぼーっと通行証確認の単調な仕事は伯母さんの井戸端会議のようなマインドになるものだ。どんな根拠がないうわさ話でも話を盛ってどんどん面白く派手にデフォルメして盛り上げるのだ。

「俺らの仕事はどうなっちゃうの?」

「山際の仕事はまだ大丈夫だ。ここは帰還困難区域の狭間だからな。まだまだ線量も高いし解除はもっと先になるよ」

「……よかった」

こんな隊員同士の会話を何十回と聞いてる。出稼ぎの彼らにとっては危険手当の付く仕事の終了は即死活問題につながる。そんなどこから流れてきたとも知らない話題に一喜一憂する姿は何とも滑稽で悲哀に満ちている。

「作業員の宿舎巡回の仕事を取ってきたよ」

見回りに来た部長が唐突にそんな話を切り出した。出稼ぎの隊員には仕事が増えてwelcomeだろうけど、どうして作業員宿舎の見回りなんて必要なのだろう。

部長が言うには

①平日は夜の外出禁止だが、抜け出して悪さをしている作業員がいる。

②体調不良で現場を休んだ作業員が、病院に行かず遊んでいることが多い。

等の理由から、宿舎に警備員をつけて作業員の素行を監視するそうだ。

一晩中この仕事は作業員の宿舎を巡回する。朝になると欠勤の作業員に行員に行くことを進めて、在室確認をするそうだ。

自分はここ以外の仕事をする気はないが、それなりに出稼ぎ隊員はそちらの仕事に流れていくようだ。

復興の作業員が、いかにこの街の厄介者であるかがよく分かる一日だった。そう、監視していなければならない人たちが働かないと、この地域に人が住めないままだってことだ。そのくらい大切な仕事をこんな人たちに任せている。


そう、何重にも重なった悲劇がこの街にはあった。

そこら中に朽ち果てていく民家。それを横目に他県ナンバーのバンが通り過ぎていく。


福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》