見出し画像

戦略的モラトリアム【大学生活編】(34)

大学3年の晩秋
ボクは大学のある駅から30分の見知らぬ街にいた。
朝から空っ風が頬を撫でる。
路肩をトボトボと歩きながら小さな建物の中に入っていく。

知的障碍者授産施設

そう、教職課程ではこの実習体験が必修になっており、自分はまさに今その実習中なのである。そう、これは作業なのか、それとも貴重な体験なのかまだ自分には分からないが、明らかに乗り気ではなかった。しかし、自分は大学に言われるまま、ここにいる。場違いでとても失礼なことは分かっているが、福祉の心などといわれるものは自分にはないのだろう。そう思うことにした。かといって無気力に作業を続けているわけではない。ただ淡々と差表をするのである。施設の皆さんとも少しずつ話すようになり、自分の身の上話もした。少し距離のある作業所に僕らは大きなバンで移動することになったときである。
「あぁ国会議員だけがかかる悪い病気とかはないのかね」
あるスタッフがそう話しかける。
「えっ、突然どうしたんですか」自分が問い返すと、
彼女は言う。
「この業界はどこでもお金がないんだ。これからもっと削られるという。もうやってけないよ」
ここで働いているが給料はさっぱり上がらないし、作業員の皆さんの待遇もよくならない。設備はすでにボロボロだし、壊れているものだってある。でも買い替える余裕もない。そう、福祉業界は政治にとって厄介者扱いされてきたと彼女は矢継ぎ早に話す。そしてこれからも一層そうなっていくとのことである。

「そうだったんですね。自分は戦争とか経済とか国防とかを中心にニュースを見ていたので、福祉のことは全く知りませんでした。確かに扱いがひどいと思います」
僕らが作業している間、スタッフの皆さんは苦虫を噛みしめるかの如く悔しげに語ったのである。ボクは自分の知識のなさからうなずき返すことしかできなかった。そして、スタッフの一人がボクにこう話しかけた。

「もし先生になるんだったら、弱い人の心をちゃんと理解してあげてね。学校とこういう職場とは全く違うと思うけど」

ボクはただ黙ったまま頷くしかなかった。言葉が見つからないというか、彼らのおかれている環境にどんな言葉を投げかけても安っぽくなってしまうだけだったから。
あえて何も言わなかったんだ。
昼食が終わり、僕らはまた作業に入る。

少しずつ時間が過ぎていき、今日も実習が終わる。
帰りのバンの中で作業していた一人がボクにこう言った。

「○○さん実習じゃなく、ここにいればいいのに」

嬉しかった。

ただただ嬉しかった。

黙ってうなずき、所長のハンコをもらってその日も帰路についた。

なにかを考えないといけないけれども、その日のボクにはただ茫然と電車に乗り、風景を眺めることしかできなかったんだ。

福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》