復興シンドローム【2014/11/01~】②

バリケードの鍵を開け、車を乗り入れる。輪留めをして、颯爽と降りると発電機を動かす作業。各々が車止めの準備やナンバー控え簿、そしてプレハブの中で一日の作業準備をする。空はまだ薄暗い。


安全靴の中にはカイロを貼り、防寒対策は万全だ。後はマスクをして6時間の勤務を無事にこなすだけだ。時間になれば全てのゲート(バリケード)が開く。


開門してから30分後、薄暗い山際からヘッドライトが見えてくる。反対側のゲートから車が一台、また一台とやって来る。ボクらはその車を止め、通行許可証と名簿、身分証明書を確認してから、車を帰還困難区域から退域させる。こちらから入域させる場合も同じように通行証、名簿、身分証明書を確認してから入れる。どちらもナンバーを補助簿に記録しながらの作業である。勿論、許可証なしは入域することが出来ない。高放射線地帯の入域、退域の管理が自分たちの仕事である。勿論ガラスバッジは各自持っているし、放射線量の計測バッジも身につけている。この小さなバッジに記録されている放射線量がある一定量を超えると数ヶ月勤務出来なくなるらしい。まぁ、自分はいつ超えても良いのだが・・・・・・。他の出稼ぎに来ている隊員さんたちは死活問題であるらしい。できるだけ線量の低いところにいることを心がけて勤務している人もいる。

土の上に立たないように(除染していないから)

休憩中は出来るだけ詰所の中にいるように(室内だと空間線量が低い)

上番する時は出来るだけ30分前ギリギリに(放射線の高い区域にいる時間を極力短くする)

日本全国から色々な人々が出稼ぎにやって来る。もちろん警備員だけでなく、除染作業員、解体作業員などがそうだ。自分は珍しく地元で働く人。みんな宿舎から出ていく。ホテルから、仮設宿舎から、そして民間アパートから……。

色々なバックグラウンドをもった人がいる。
自己破産した人。
事情があって実家に帰れない人。
一家離散した人。
経営していた工場が倒産して、稼がなければならない人。
パチンコ・パチスロで首が回らなくなった人。
連帯保証人になって、お金が必要な人。

共通して言えるのは、皆「多額の借金」を抱えているのだ。

「福島があって本当に良かった……」

同じ隊員さんがシミジミ自分に言ったことがある。複雑な気持ちだったが、きっとこの状況が彼らの人生を少しばかり好転させたのだろう。そう思って黙って頷いた。

複雑な気持ちだったが、現実はそうだ。東日本大震災における原発事故がどうしようもなくなった人々に活路を見出していたのは間違いない事実だった。

寒空の下、少しずつ太陽の明かりが僕らを照らす。6時過ぎると、山から雪崩のように車がやってくる。復興の工事や後始末が今日も始まる。


福島はまだ起き上がってはいない。僕らは必死に福島を支えているだけだ。すぐにでも倒れてしまいそうな巨人を必死に支えて、また1日が始まっていく。

福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》