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復興シンドローム【2015/01/01~】⑦

2015年1月1日
早朝  
初日の出もまだ出ない暗闇の中、地元に帰らない数少ない隊員さんと、唯一の地元の隊員の自分が、車に乗り込む。帰還困難区域と居住制限区域に今年も向かっている。新年の装いはどこにもない淡々とした車窓が徐々に薄暗い中から浮かび上がってくる。コンビニはいつもと違い、混雑していない。ゆっくりと朝食と昼食を買い、車内で粗挽きフランクフルトに舌鼓を打つ。無言だが「明けましておめでとう」の社交辞令だけは忘れずに終始車の中は和やかな雰囲気で危険地帯へと今日も向かうのでする。

「どうせ、今日は出ねぇだろうなぁ」

パチンコの話である。後部座席の老人の隊員さんが呟く。

「まぁ、回収日でしょうからねぇ。鴨が葱背負って行くようなものですよ」

自分の心ない一言が虚しく響く。(心の中ではどうせ行くんだろと思いながら)

「1パチで時間潰すかな......」
どうやら行かずにはいられないらしい。自分も少なからず言ってしまうので、同じ穴の狢だ。彼に四の五の言う権利はない。

「地元には帰らないんですか」

自分は続けざまに話しかけた。

「かぁちゃんに『稼いでこい』って言われてるから、家に帰ってもすることはないのよ。働くのは別にいいけど、パチンコはこっちじゃないといけないからな。こっちで年明けはパチンコ屋に行って正月を過ごすよ」

彼は60代。板前料理人かって思ってしまうほど、粗雑で不躾なことを言う。ゆえに他の隊員さんたちと諍いが絶えなかった。所謂「めんどくさいヤツ」だ。彼と同じ勤務場所は嫌だという隊員さんも少なくない。自分は特に実害はないので、一緒でも構わないが。とりあえずは毎日の勤務を恙なく完了出来ればそれでいいのだ。

彼はいつも一人だった。そう、誰と話すこともなく、一人でぶつぶつ言っている。そんな小言の多い老人といった印象だ。しかし、時折口論になっていることもチラホラ。
「うるせぇ、死ね!」
「やかましい!」
「くせぇんだ!しゃべるな!」

ボキャ貧の最たるもので、この幼稚ワードの並び替えで、彼の口げんかは成り立っていた。

でも、ボクは知っている。彼は字が書けない。正確に言えば、漢字の全てと平仮名カタカナに至るまで、全てだ。彼の報告書を見たことがある。文節の「は→わ」「を→お」「へ→え」の間違いは勿論、平仮名の「あ」と「お」や「れ」「ね」「わ」の間違いも多い。勿論他の平仮名も間違っているところがある。単に乱筆、悪筆といった類いの話ではない。一目見たときから普通ではないと感じた。漢字はさらにその上をいっており、最早何を書いているのかも分からない。どのような学生時代を送っていたのかは定かでないが、本当に日常生活に支障を来さないのか心配になるほどである。話しているぶんにはまともな受け答えをするが、いざ文章になると最早何を書いているのか分かるものではない。このようなことをネタに他の隊員さんがからかうのだ。

「新聞見てらぁ、字読めないくせに」

茶化したつもりが当然大げんかになる。一ヶ月に何度かはこのようなことが発端で隊員さん同士の喧嘩が起こるのだ。
彼は今までどうやって生きてきたのだろう。震災を機にどのような経路をたどってこの職場にたどり着いたのだろう。考えれば、自分の気持ちも沈んでしまう。

「○○さんはどうやってこの職場に来たんですか」

年始の車通りが全くない道路を横目に彼に尋ねてみた。

「昔は板前やってたんだけどなぁ。その後は転々として、震災の後は除染やってた。除染よりも楽な仕事が見つかったんで、ここに来たって訳だ」

笑顔で話す彼には嘘はないだろう。しかし、その話を聞いていた別の隊員さんが後で自分の所にやってきて、小声で話す。
「○○さんは除染の現場追い出されたんだよ。同僚と喧嘩してな。居場所がなくなってこっちに来たという話さ」
やはりな。なんとなく腑に落ちた。彼の毎日の行動を見るに、そんな綺麗な辞め方ではないとうすうすは気づいていた。
聞いても聞かないふりをして、彼とは接することにした。昼過ぎに勤務が終わるとボクらは宿舎ホテルに向かう。彼は足早に部屋のキーを受け取ると、着替えて颯爽とパチンコ屋に出かける。

見慣れた風景がもの悲しい。彼の笑顔とは裏腹に不幸が幾重にも重なってとてつもない悲劇がここにある。日本の闇というか、その狭間に埋もれていた彼は震災を機にそれなりに高給な仕事にありついたというわけである。

福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》