復興シンドローム【2016/10/01~】㉑
「ここから山沿いに離れた広場で移動販売をしようと思っていてさ。マスコミも来るからいい宣伝だよ」
オーナーが事務所でこう言う。
「どうやって品物を運ぶんですか?」
「軽トラを移動販売車にしてさ。本部も乗り気だし。試験的にドローンも飛ばすから」
「え、店舗から飛ばすんですか」
「そうなるね」
「へ~。なんか時代は変わりましたね」
「テレビでも地方ニュースでやるはずだよ」
復興は進んでいる!!
こう叫びたい人たちには絶好のプロパガンダになるだろう。だいたい、この地域には何があるって言うんだ。屋内退避ではなく、そもそも1年前まで居住制限だったのに……。
この町あるものといえば……
廃墟となった幼稚園、保育所、小学校、中学校、高校
そして、作業員のための借り上げ住宅。人気(ひとけ)のない民家が無数にある。そこにコンビニが1件あるだけ。しかも24時間営業ではない。
もちろんここは復興作業員たちにとって貴重な場所であることには間違いないのだか……
老人たちが十数人山沿いの広場で体操やら何かをしている。そこに昼間、移動販売をしたからって何が変わるというのか。
コスト面からみてマイナスだし。ただ宣伝するにはいいだろう。言いにくい何かをオブラートに隠すためにね。
このコンビニには早朝グルーブがある。自分を含めて3人。1人は50歳過ぎの福岡さん(仮)。母親と二人暮らしで、復興住宅に住んでいる。数少ないこの地域の住人だ。ビンテージ物のジーンズ。びしっときまっている腕時計。きっと高価なのだろう。とにかく身なりがとてもお洒落で小奇麗な中年といった感じだ。
「オレ、あんまり働きたくないんだよ」
福岡さんの口癖はこれだ。週に4回コンビニで働き、1日の勤務時間は4時間から6時間。昼前には帰宅する。それだけで彼の1日はいっぱいだ。どうもガツガツ働こうとか、稼ごうとか、そういう気持ちはほとんどないといっていい。ただ、毎日明け方のコンビニに来て、ドリンクを並べる。
前の仕事を聞くと、工場勤務だったそうだ。それが震災になり、会社がなくなり、原発事故の補償金や賠償金で今まで暮らしてきたそうだ。復興住宅はほとんど生活費がかからず、スマホの料金やら生活にかかるありとあらゆるものは東京電力に請求できるという。
厳罰からの距離20キロ以内に住み続ける彼の生き方が良いとは思わない。しかし、彼にはこうして生きていくほか道がないのだ。毎日、少しづつ死んでいく、ボクらと同じように。しかも生かされる形で。毎日毎日、えらい誰かに培養されて生きているようなものだ。生活するだけのお金と少しの贅沢を与えられ、ただそれを貪っていくだけの毎日。決してここから出ていこうとする選択肢はない。福島県のこの被災地に縛り付けて、培養しているんだ。
自分は彼の羽振りの良さに不思議と羨望は湧かなかった。ただ、哀れみをもって彼の話に頷くだけだった。そして今日もコンビニが始まる。
福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》