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親の機嫌


をとることを覚えたのはいつからだっただろうか。

思い返してみると中学、高校の頃は「昨日親機嫌悪くて~」という友達にそうなんだーと返しつつも親って機嫌の悪さを子供にぶつけるべきじゃないよな、と思っていた。どれだけ親を聖人君子のようなものだと思っていたのだろうか、、、

大学に入ってから割と自分の中で絶対的だった親の価値観、物事への態度に違和感を覚えることが多くなり議論する機会も増えた。ただ、この間言われたことからするとその私が議論だと思っていたものたちは親にとっては

「何事にも斜に構える子」「高校まではそんな感じじゃなかった」

という印象を持たせる原因になっていたにすぎないと知った。私個人は興味深く議論できていた感触があっただけにこの言葉はとても刺さった。もしかすると親にとっては親の価値観を否定せずなんでもうんうんと言ってくれる子どものほうが良かったのかもしれない。そんな子供じゃなくてごめんね。もう戻る気もないけど。

親の機嫌。

正直とるのは疲れる。朝起きてすぐ家の中の空気と親の顔色を窺い必要に応じて適当な会話を投げる。冷戦状態のような空気だったらできるだけクスッとするような話題を。

昼間も在宅勤務も相まって黙々と食べるだけになり勝ちなのでこちらとしても(家で過ごしているだけなので)特に話題はないが何とかひねり出す。

夕飯は一番大変。時間が長いこともあって無言があまりにも続くと何か気を遣わなければならないのではないかという強迫観念に駆られる。ただ、アルコールが入るとなんとなくテンションが上がってくれるので話しやすくなる。

というのが先週あたりまでの私の家での姿勢。その後就活に関してあまりにも衝撃的なことばかり言われるので自分を守るためにも気を遣うのは最小限に切り替えた、だって結局自分が一番大事だし。朝食は無言、昼食も無言、夕食で酒が入った後にやっと話す、みたいな日もざらにあるけど私は過ごしやすい、なんで他人でもないのに無言であることを恐れたり無理やり話したりしていたのか今となっては分からない。ただでさえ外で気を遣っているのに帰ってきてまでそれをしなければならないのははっきり言って苦痛。

だったら親が機嫌の悪さを出すのもいいのでは、と思うかもしれないがそれはまた別。いい大人なんだから自分の機嫌くらい自分でとったらと思う。それは相手が他人/家族かかわらず外に出すものではないし外に出しても解決されるわけではないと思っている。根本的な原因を見つけなければ外に当たることで一時的に和らぐ→上昇する→和らぐの繰り返しのままでそれって生きるのに辛くないのかなと思う。

少なくとも私は理不尽な機嫌の悪さ、親に関係ないことで自分が機嫌が悪くなってもそれを親にはぶつけないし、自分で処理する。それを周りの人や家族にまき散らすってどうなんだろうと思ってしまう。とてもいい反面教師がいると思って過ごせばいいのか。「私は人とは違う」と思っている節が見受けられると親から言われたけど思ってるしそれが問題?って思う。その親の意見がどのような示唆を持って発せられたものなのか図りかねるけれど人は一人一人違うし個性的だと評されることも多いから違う、というのは主観的のみならず客観的な意見でもあると思ってきたけどそれはいけないことなのだろうか。

そしてここまですぐイライラしたり空気を悪くする人間を見ているともはやかわいそうになってくる、生きていて楽しいのかなって。余計なお世話と言われるかもしれないけど何でそんな風になっちゃったんだろう。中高まで親の機嫌とかとった利器にしたりしたことがなかったことからおそらく(変える気はないけど)自分の言っていることに素直に賛成しない子供の存在は親の慢性的な機嫌の悪さにつながっているのではないかという仮説を立ててみたい。

そうなるとできるだけ家にいない方がお互いのためだと思うのだがいかんせんコロナの影響で外出も気軽にできず大学もオンライン授業ということでお互いに逃げ場がない。就職先によってはこのまま実家暮らしになるかもしれない。本当に先が見えない、この家で暮らすのもそろそろ限界。




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