自分を思い出す旅①歴史
目に見えない世界の始まりシリーズの続編。前回の記事はこちら⑧
1.目に見えない世界の続き
古事記って有名なのに、読んだ事が無い。でも、難しそうだから漫画風を選んでみた。古事記の次に目に入ったのは竹内文書の古事記の宇宙。日本の歴史的な知識の後…次に目に入ったのは、世界の歴史を飛び越えて、なぜか宇宙の歴史だった。
前作シリーズからの続き。時系列的には、②の時期の頃になる。
バイオレットやインディゴ、クリスタル、レインボーチルドレンって言葉を初めて目にした頃、スターシードって言葉も同じように初めて目にした。確か、シートみたいな感じで、書かれている項目から何個当てはまるかみたいな診断サイトだったと思う。
あまり深く考えずに、書かれている項目が当てはまっていたし、自分の人生をとても特殊だと認識していたから、多分、インディゴでスターシードだったんだろうな。と言う直感が自分の中で腑に落ちていた頃。
夢と現実の狭間、緑色の文字が降ってきた。寝ていた状態から意識だけ覚めた瞬間と言うのだろうか、意識だけは覚醒して思考も働くのだけれど、目はつぶったままの状態だからまだ寝ている状態とも言えるのかもしれない。
緑色で多分、サナート・クマ―ラだったと思う。正夢とかではなくて、文字が見えた現象は初めてだったから、起きてからも覚えていなくちゃとは思ってはいたのだけれども、眠かったのと初めて見た名前だったのもあって、起きた時には曖昧になってしまった。
それでも、Wikipediaで似た名前を探してみる事にして、似た感じの文字を入力して調べてみたのだけれども、出て来なくてよく分からなかった。その後、どうやって辿り着いたのかは忘れてしまったのだけれども、その頃に手に取った本の中に鞍馬山の写真が載っていたりした。
2.全てを忘れている
重要な事も何もかも、自分の本体の名前すらも忘れて生まれて来るって凄いよね。だから、一生懸命に必然のタイミングが来た時に、伝えようと色々な形で降って来るみたい。特に、自分の関わりのある人物の名前を教えようと伝えてくる時は、何度か自分が経験したのは、緑色の文字やイメージで夢の中で意識だけが覚醒した現実との狭間に降ってきたりした。
どうやら先に、スターシードって言葉だけを知る事にはなったのだけれども、なぜ自分がそうだったのか。と言う理由はもれなく忘れてしまっている。だから名前が降って来ても覚えてはいないのだけれども、意味が在るのだと思うから、目に付いた事や、気になった事は調べるようにしていた。
どうやら降ってきた名前よりも、アシュタールと言う名前の方が地球では有名みたいだった。2~3年前は、今よりもYouTubeの規制が少なくて文字だけの動画なども多かった。よく分からない事や気になった事は、YouTubeでも動画を探したり調べたりしていてその中に、アシュタールの動画なども在ったりした。
3.歳月
実際の所、有名になった言葉や流行りになった言葉は、いつの日か違った意味の言葉に変換されたり、別の言葉を付け加えて本来の意味が分からなくなったり、別の意図で使用される事もあるだろうし、月日が経つ事で印象に残った一部分だけが伝わって、残ってしまう事だってあるかもしれない。
古事記で言う所の、岩戸閉めみたいな事なのかなとも思うのだけれども、何かを重ねる事で本来の意味を隠すと言う場合で意図的にそうしていると言う働きもきっと在ったりもするだろう。例えそうだったとしても、伝わる人には伝わる方の意味で通じるようにそう出来ていたりするはずには違いない。
ただ、調べて簡単に出て来たりするような事は真実かどうかの判断が難しいと思っている。俯瞰して考えた時に、実際がどうかなんて人間には判断できる要素が狭いから。だから、目では分からないかもしれないけれど、心がそう感じるとか、そういった自分の本来の判断が重要になって来るのでは無いかと思っていたりする。誰かがこう言っているからとかでは無くって、自分の心の中に聞いて自分が信じたいと思ったものを信じればいいと思う。
4.無知
最初は本当かどうかも分からないようなオカルト的なジャンルの動画を見たりする所から始まった。現実的な事では無いと言う事を受け入れる事は難しい。不思議な世界を認識すると言う点で、そういう目線も必要だったりしたのかもしれない。自分では体験談になるから現実的なつもりで書いていたりはするのだけれども(笑)
急に幽体離脱が出来るようになった人が、宇宙の始まりを見に行く事にして確か3色で出来ていたとかって動画だったかな…。ただ、体に戻ろうとした時に、別の存在が入っていると戻れなくなるみたいな恐怖から、二度と辞める事にしたみたいな内容も一緒に目に入って来て、知識が無いままそういった事が出来るようになるのも怖いなって感じたりした。
アニメのシュタインズ・ゲートを連想させるような2chの記事動画も見たりしたけれど、非現実的な事は、実際の所はどうかは分からないけれど、そんな事もあるかもしれないな~とか、思ったりするようにしていた。そうは思えない現実に出会ったとしても、知識や言葉としては認識をしてみる。と言う部分は重要なのかなと思っていたりもする。
人間ではない目線で俯瞰して判断した時に実際がどうかなんて分からないから、人間的にそう見えると言う事をそう認識しているに過ぎない。目に見えない事は目に見えないし、聞こえない事は聞こえないまま、自分が設定してきた違いなのだろうけれども、能力的スピリチュアル系?には進まずに、現実的な知識を調べる方に進んでいった。
5.竹内文書
⑦の古事記を読んだ後の頃、これもYouTubeだったと思う。何かを調べている時、竹内文書って言う言葉を知った。多分先に、動画内に竹内睦泰さんが出てきて「図書館に置いて貰える様な本を書きたい」って夢を語っていて、その言葉が何だか凄く印象に残っている。
実際に図書館に行って借りて読んでみる事にした。
今でも図書館に行けば多分、借りられると思う。当時、他にも書かれていた何種類かの本を一緒に借りてきて読んだりした。
神的な存在は、自分が正しい事を証明しない。と言う持論を持っていたりするのだけれども…。古事記の宇宙は、別の本の存在が在って真実をみたいな形の始まりで書かれていて、証明しようと言う点ではなんか違う気はしてしまうものの、自分の寿命が分かっていて残す事になった本なんだろうなってそんな風に感じたりもしている。当時は生きていたから…。
古事記の邪馬台国の方も読んだのだけれども、最後の方に、古事記の神様の名前一覧リストみたいなのが載っていて、ずっと語り継がれてきたのだと思うと何だかその歴史が凄いな~ってそんな風に思ったりした。
真実は証明しなければいけないモノではなくて勝手に事実としてそこに存在しているモノだと思っている。だから、必然はそうなるべくしてそうなっていくのだろう。色々と降って来たり目に付いた事を調べたり読んだりするようにしていたのだけれども、歴史的な事の知的理解を深めていく必要が在るのかなって感じたりしていた。
6.宇宙の歴史
日本の歴史の本を読んだ後に、次に降ってきたのは世界の歴史の本だった。セガリア・シッチンの本も図書館に置いてあると思う。
図書館に置いてあったこの本の表紙を見た時に、初めて見たはずなのに、子供の頃かな?何処かで見た事があると思った気がしてしまう不思議…教科書のはずは無いし、何の表紙なのだろう?
シッチンの本も一通り読もうと思ったのだけれども、何冊かは読んだのだけれども、全部は読み切れなかった。大体、数か月単位で何かが降って来て読むみたいな形で、少しずつ知識の階段を登っていっているみたいな感覚がしていた。
実際の過去の歴史がどうだったのかは分からないし、実際の時系列的にも、後から何かを重ねて封印されてしまっている事もあるのかもしれないし、そう見せようと見せられた表面だけでは判断のしようが無いから分からない。ただ、人間だけではない別の何かを考えさせられたり、別の時代の自分の事を連想させるようなそんな感覚を持ったりした。
7.感想
一応、読んだ本とかを載せてはみたものの、本の内容に関しては、もしも読む機会が在ったりしたら、各自で何かしらを感じて貰えたらと思う。自分の中に在る世界の現実は、単純に自分がどう思うかで出来ているから。
YouTubeの方でもこのシュメールの時代を掘り下げて、物証から現実的な証明をする為に色々な検証や推理を発表している人の動画を見たりもしたのだけれども、あまりここら辺の内容は、階段を登っている最中は、ここが頂点ぐらいの体感もするのだけれども、蓋を開けてみれば階段の途中だった事に後から気が付く事になる。
階段の始まりの段階になるから、高次元の話だけでは無いのだけれども、階段を登って行くのに行き成り10段目から登るようには出来ていない。一段一段、少しずつ階段を登って行く事になる。
人間は行き成りは心で受け止める事が出来ないから、徐々に知識を重ねていく事になる。一旦、知識を入れた後に頭の中で整理をするなり、心の中に腑に落とすなり個人差が在って千差万別の道が存在する。
また、俯瞰した状態から物事を判断するのと、その情報そのもので判断するのではまたミエカタが違ってくる。
時系列的な最初の頃の話になるから、一旦、読んだ本の内容からさらに修正が降って来たり、自己判断が身に付くようにわざと嫌な気持ちになる本を読まされたりすると言う必然も降ってきたりもするので、その話はまた別の記事になる。
知識の階段を登っていく、最初の数か月ぐらいの出来事。そんな不思議な世界のおとぎ話。
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