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ペンネームで書くということ。

「椿」と名乗っていますがもちろん本名ではなく、私はリアルな世界の誰かに自分を特定されるのをかなり恐れています。

ああいう小説を書いているから恥ずかしいというのがあるんですが、一番の理由は別にあります。あんまり書きたくないのでその理由は書きません。ずっと昔にはじめのころに書いたんですが、いまはもう読んでくれている人が多いので、書きません。

noteでは書きたくないことを書かずに、書きたいことを書きます。そのため描きたい自分でいつづけることができます。ある意味ここは私にとってはパラレルワールドです。

リアルな私とは少し違う私。嘘や作り話をエッセイで書いているわけではないので「椿」も私であることは間違いないんですが、伝わる雰囲気はリアルな私とはかなり違うようです。一人だけここの私を知っているリアルな世界の友人によると「椿があなただと言われなければみんな絶対気づかないと思うよ」とのことですから。

私はやんわりした雰囲気で文章を書いています。自分が守りたい雰囲気を大切にして「椿」として毎日書いています。無理しているわけではないんですよ。ただ誰からもすんなり受け入れてもらえるような丁寧な書き方を意識している感じはあります。

読んでくれる人が増えたからということも影響しているのかもしれません。強い口調の言葉は誰かを傷つける可能性があがります。私は私の文章を読んでホッとしてもらいたいし、そのほうが私自身もホッとできるので、これからもやわらかい空気がただよう文章を書きつづけたいなと思っています。

本名で書かないということは、自由に自分を作れるということでもあります。ある意味、どんな自分にでもなれる世界ですよね。


一方で、本名でnoteを書かれているかたもいらっしゃいます。お顔を出されているかたもね。

先日「たなかともこ@みかんせい人さん」の「みくりや佐代子さん」へのインタビュー動画を拝見しました。「本名で書くこと」について語られています。

みくりやさんは、本名で書くことで、恥ずかしいけど家族に誇ってもらえる活動をしようと思ったとおっしゃっていて、本名で書いてらっしゃるからこそ書けるもの、高められるものみたいなのがあるんだろうなと感じました。偽名で活動するほうが余計なことを書いてしまうという点にも、なるほどと思いました。

私は感想を書くのは苦手なのでこのくらいしか書きませんが、その動画の影響で本名だとか匿名だとかについて考えていました。もちろんほかのお話もたくさんされていますよ。読まれることへの意識とかね。

知っているお名前のかたのインタビュー動画って楽しいものですね。勝手に心の距離が近づいちゃいます。途中でほかのかたも登場されて、わー、○○さんだーとかって楽しかったです。「岩代ゆいさん」のインタビューも最初から最後まで聞かせていただきました。

ということを伝えたかった感じでもあります。

なお「verdeさん」のインタビュー動画はどこで見れるんだろうと探しております。



お気持ち嬉しいです。ありがとうございます✨