KISS
「キスはダメなんだって」
男友達の伊藤が口角を少しだけ歪ませて私に言った。伊藤は私が紹介した友達のサキと関係を持った。そしてサキから体は許すけど口にキスはしないでほしいと言われたらしい。
「付き合ってるわけ?」
「たぶん」
「伊藤はサキに好きって言った?」
「言ってはない」
「好きは言わずにそういうことになってるってこと?」
「そうだな」
伊藤らしいゆるい感じだけど、その寂しげな苦笑いはサキを好きになったことを滲ませている。体はいいけどキスはさせてくれない。それが何を意味するのか、分かる気がしたけど分からなかった。そんな感情で私は誰かとしたことがなかったから。
伊藤の唇を見た。
それはキスしたくなる唇だった。でもサキは伊藤とはキスしない。
したらいいのに。
伊藤、キスうまいんだよ。
一番うまかったんだけどね。
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
そういえば伊藤はあのときも「好き」もなく、「付き合って」もなく、キスしようとしてきた。誰もいない暗い公園で、二人で並んで座っていたときに。
私は伊藤を止めて言った。
「どうしてキスするん?」
そしたら伊藤が小さく笑って「ダメ?」って聞いた。悪戯好きな男の子みたいな顔で。だから私は「付き合ってないとダメ」って答えた。
伊藤は切れ長の目で私をじっと見て「じゃあ付き合おう」って言いながら私の唇に視線を泳がせた。私はその視線を追いながら唇をわずかに開いた。伊藤が彼氏になった瞬間に伊藤の唇と私の唇が重なった。
しっとりと私の唇をもてあぞぶようなキスに、体が、頭がくらくらする。こんな官能的なキスは初めてだ。私は伊藤にキスの味を教え込まれた。キスがうまい男は危険。でも好き。
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
私はあれからもうずっと大人になった。たくさんの恋を経験した。結婚もしたし離婚もした。人に言えない恋もした。
淡い恋、弾ける恋、切ない恋、寂しい恋、震える恋。
たくさんの恋を越えて、体はいいけどキスはしたくないというサキのあのときの気持ちも分かるようになった。
こういうことだったんだ。
そんなの、分からなくてもいいことだけどね。
お気持ち嬉しいです。ありがとうございます✨