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永久の星よ。愛しい星よ。 #クリスマス金曜トワイライト

パイプオルガンの音が耳鳴りのようにガンガンと頭に響いている。いくつものパイプに下から風を思いっきり送り込む。規則性のない激しい音が体の中を閃光のように貫く。踏んで踏んで踏みまくるたびに最強爆音が炸裂する。

俺は限界に思われるスピードで上り坂を疾走している。メーターに表示される心拍数は198、時速は56km。あの坂を越えればゴールが見える。ゴール直前にエースを送り出せばチームは優勝できる。仕事やプライベート全てを犠牲にしてきたんだ。それだけじゃない、恋人の由香のことも。俺はやる。パイプオルガンが破裂するほどの爆風を送り込んでみせる。

これが最後の自転車ロードレース。

あきらめるわけにはいかないんだ。

強く奥歯を噛みしめ全身の力を脚に集約させ、ペダルを目いっぱい踏み込んだ。

・・・・・

手が柔らかく包み込まれた。握る手は温かく優しい。でも胸は苦しい。これは幻覚なのだろうか。いや夢なのか。

息も絶え絶えに、もがきつづける意識の上にふわりと穏やかな何かが降りてきた。

再び手が優しく握られ、じっとりと汗をかいている俺の手を包み込む。

握られた手がピクリと反応し、その小さな刺激が体の隅々までじわじわと伝わり、俺は目を覚ました。

寝てたのか。疲れでいつの間にか眠ってしまっていたらしい。意識がはっきりするにつれ、優しい音楽が流れていることに気付いた。柔らかなパイプオルガンの音色と子供たちの歌声だ。その聖なる歌声は徐々に終わりに近づき、パイプオルガンの音も小さくなり、最後には消えた。教会には静寂だけが残った。

噛みしめていた奥歯を徐々に緩め、慎重に「ふぅー」と息を吐いた。鼓膜を破るようなパイプオルガンの音は夢だったのか。目が覚めて聞こえてきた音色は厳かで穏やかで、まるで違う楽器のようだった。

強張っていた体が少しずつ解けていく。と同時に何か布のようなものが俺の口元に触れた。俺の手に手を重ねている由香が反対の手を伸ばし、ハンカチで俺の下唇のあたりを拭おうとしている。ヨダレが出てるのか。大人のくせに教会で寝落ちしてヨダレを垂らしてしまうなんて、イエス様に失礼すぎるだろ。恥ずかしくてハンカチを押し戻したら、由香が俺の手にそっとハンカチを握らせてくれた。

・・・・・

あの頃、俺は広告代理店に勤めていてCM制作やキャンペーン企画に追われる日々を送っていた。上司にもクライアントにも振り回されるばかりで賞もなかなか取れずに焦っていた。当然のことながら由香とゆっくり話す時間も思うように作れない毎日だった。

それなのにある日、自転車ロードレースを始めたいという話を由香にしたら何の躊躇いもなく「応援する」と言ってくれた。一緒に過ごす時間がもっと少なくなるのに一言も文句を言わず、笑顔を見せてくれた。彼女は走り出したら鉄砲玉みたいな俺をいつも穏やかに見つめてくれていた。

由香との出会いはスタンドコーヒー屋で、赤い自転車に乗って現れた彼女に恋をした。明るい雰囲気の彼女に一目惚れだった。でも2度目に会った時の彼女は痩せ細っていて、明らかに何かつらいことを抱えているんだと思って心配になった。放っておけなかった。まだそれほど仕事に追われていなかった俺は由香を誘い、少しでも彼女が栄養をつけられるように一生懸命ご飯を作ってあげたりした。そんな日が続いて次第に彼女は笑顔を取り戻し、しばらくして一緒に住むようになった。

数学が得意で設計図も描ける由香はインテリアを選ぶセンスが良かった。新しく買ったIKEAのテーブルの図面は彼女に渡し、俺は指示されるがまま電動ドリルでボルトをとめた。そして正確に仕上がった白いテーブルには明るい色の花を飾った。部屋が見違えるように華やいだ。

由香はいつもニコニコしていた。インテリアデザインの仕事が大変な時でも毎朝早くに起きてコーヒーを淹れてくれた。もっと余裕がなさそうな俺のために、いつも気を使ってくれていた。長いことそんな時間が普通になっていた気がする。由香が俺に何かを要求することはなかったし、怒ることもなかった。そんな由香とゆっくり向き合う時間は持てなかったけど、夜には俺のそばであどけない寝顔を見せてスヤスヤ眠る彼女を守ってあげたいと思っていた。

・・・・・

自転車ロードレースの出場を決めた時も、由香は落ち着いた表情でこう言ってくれた。

「あなたならできる。あなたが決めた道を行けばいい」

由香は俺をいつも励ましてくれた。

それなのに俺はどうだっただろう。終わりが見えない時代に、希望が信じられない時代に、俺は由香に優しくできていただろうか。

もう今年も終わろうとしている。今日はすごく大事な日で、今日こそ伝えなければならないと思っているのに、俺はまた教会で寝落ちしてしまった。こんな日に、さすがにダメすぎるだろ。

・・・・・

教会を出て歩く俺たちの影は長く伸びている。もうすぐ日が暮れる。

「今年もいい年だったね。ありがとう」

由香が歩きながら俺のほうを向いて静かに言った。彼女の茶色くて青い淵の瞳が夕陽に照らされている。すごく綺麗だ。

「いい年だった。ありがとう」

どこまでも続く川沿いの道を二人並んでゆっくり歩いた。こんな風に過ごす二人の時間は久しぶりだと改めて気付く。

それから川沿いにあるバルに入り、窓際に座った。その頃にはもう日が暮れていて、窓から見える景色は夜の闇に包まれていた。ビールと生ハムとチーズを注文した。ブルーのエプロンが似合う優しそうな顔の店員がすぐにビールを持ってきてくれた。

「乾杯」

グラスを軽く当てた後、自転車ロードレースは今年で辞めることを話した。あの日の最終レースは2位に終わった。来年はチームのスポンサーが降りるために、やむなくチームは解散となった。メンバーは転勤や転職するもの、自転車ロードレース本場のフランスに渡るもの、みんなバラバラに世界へ散っていく。「最後のレースで優勝したかったけどな」と言ったら、由香は少し寂しげに笑った。

生ハムとチーズがテーブルに来た時、俺は姿勢を正した。そして礼拝に寝坊したことや、いつも仕事で疲れ切って寝落ちすること、生活がだらしないことやたくさん迷惑をかけてきたことを謝った。自分のやりたいことばかりを追いかけて、由香との時間を優先できてなかったことも謝った。突然の謝罪に由香は驚いた顔をした。

そして俺は静かにポケットから指輪の入った青い箱を出し、手紙とともに由香の前にそっと置いた。

・・・・・

ささやかな想いと願いが叶わない時代。わかち合う想いと抱きしめたいエゴが葛藤する。限りある時間や希望が信じられない時代に俺は愛する恋人に何と言えばいいのだろう。由香は俺の星。人生の航海に必要な目印だから。そんな俺らしくない歯の浮くような言葉が浮かんできたけど、言えるはずもない。

これだけ好き勝手してきた俺が突然プロポーズするなんて、バカだと思う。由香がYESと言ってくれるかの自信もない。でも真っ直ぐに想いを伝えてみたい。こんな時代だからこそ一緒に生きていきたい。

「結婚してくれないか」

バルに流れる音楽がちょうど途切れ、俺のプロポーズの声は思ったより大きく響いて恥ずかしさで耳が熱くなった。

由香は何も答えずにじっと俺を見つめている。その沈黙の数秒が永遠の宇宙のように感じる。

由香の瞳から星の雫が流れた。雫はどこまでも透明で美しい。思わず俺は力を込めて言った。

「約束する。この気持ちが永遠だと」

緊張で冷たくなっている手を由香の手に重ね、力強く彼女の手を握った。

「・・・はい」

いっぱいの笑みが広がる。由香の照れくさそうで、だけど幸せに満ち溢れた笑顔が俺の心に鮮明に焼きつく。彼女のこの笑顔を俺は一生忘れない。絶対に大切にする。俺はいま生きている。由香と一緒に生きている。体の奥から熱く深い愛が湧き上がった。

心から愛している。心から愛しい。

その瞬間、窓の外がキラリと明るく光った。俺たちは、いや店にいる全員が一気に川を見た。ライトアップされた見事なクリスマスツリーが川沿いに姿を現した。なんて神々しいのか。一瞬でその美しさに魅了された俺たちの瞳には眩いばかりの光が映し出された。その光の一つ一つが輝く未来に思えた。全てが満たされていく。

由香とクリスマスを一緒に過ごせる幸せに感謝します。いま愛していると伝えたい。いつまでも愛し続けると伝えたい。俺の愛の真ん中にはいつも由香がいるから。

俺たちは互いを見つめ合った。由香の瞳がうるんでいる。

俺は由香と手を繋いだままもう片方の手でグラスを取り、しっかりとビールを口に含んでゴクリと飲み込む。愛する由香を見つめながら飲むビールの味は爽やかでほんのりと蒼く苦い。そんな味が体にゆっくりと広がっていく。キンキンに冷えたビールだけが美味しいビールじゃないと由香が教えてくれた気がした。

・・・・・

今年、チャレンジする気持ちをくれた由香に、溢れる想いを伝えたい。

今年、迷わず突き進める力をくれた由香に、言葉にならない想いを伝えたい。 

今年、もっと大好きになれた由香に、どこまでも届くほどの熱い想いを伝えたい。

いつもありがとう。

愛する由香へ。

俺は静かにペンを置き、手紙の封を閉じた。口下手な俺がプロポーズの時に全部の気持ちを言えるとは思えない。だから手紙で愛を伝えよう。

そうだ、もう一つ大事なことを書き忘れていた。

メリークリスマス!






こちらの企画に参加しています。

【追記】

・なぜその作品をリライトに選んだのか?

何か別れのような悪いことが起こるのかと思いつつ読み進めましたが、大きな出来事はなく静かに幸せに幕を閉じました。詩的で穏やかな二人の物語、リライトが難しそうだと感じました。それであえて、こちらにチャレンジすることにしました。

・どこにフォーカスしてリライトしたのか?

変化を持たせるような内容を組み込むことを意識しました。静と動のようなイメージです。男女の性格もその対比を意識しました。ほかにはクリスマスらしい描写を入れるようにしました。

・リライトの感想

2本目のリライトです。今回もおおまかなあらすじを踏まえる形でリライトを進めようと思いましたが、ポンポンと差し込まれてくる部分の時系列が少し掴みにくかったので、順番をあちこち入れ替えました。また前回よりは原文を多めに残しました。実は1本目の原作にあった印象的な一文もひっそり入れました。
自分がわりと好きな疾走感を持たせつつ、途中主人公の男性の昂ぶる気持ちを落ち着かせるような箇所を作りながら書き進めました。思ったより難しく文章も長かったため、早い段階で挫折しかけましたが何とか頑張りました。執筆時間は1時間半で、手直しは2時間ぐらいでした。
実は仲さんに1本目を褒めていただいて、あの1本で終わっておこうと思いましたが、仲さんに褒めてもらったために1本になってしまうと、なんだか仲さんの責任みたいになっちゃう気がして気になってきたのでもう1本頑張ることにしました。(喜んで、焦って、頑張って、ぜんぶ一人芝居ですね。すみません)
池松さんにもツイッターで「ほかの作品にも挑戦」を促す言葉をいただいたので、やらねばと。そんな理由でこの作品のリライトに挑戦しました。(お二方と親しいわけではないのですが、なんだか親しげな文章になってしまって、すみません)
参加させてもらってありがとうございました。また一つnoteでの素敵な思い出ができました。



お気持ち嬉しいです。ありがとうございます✨