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「うらやましい」なんて。

誰かをうらやましいとそれほど思うタイプではないと、自分のことを思っていたけど、この前なんか心の底近くから「うらやましい」と思ってしまった。

「心の底から」でいいんじゃないかと思ったけど、「心の底近く」と書きたくなるのはなぜだろう。人を「うらやましい」と思いたくないという気持ちがあるからかも。「心の底から」だと「うらやまし度」が強すぎて抵抗がある。だから「心の底近く」になった。どうでもいい細かい話だけど。

「うらやましい」と同時に「どうして私は」という感情も浮かぶ。この流れはあるあるだけど、嫌だな。今の自分が置かれている状況は自分が選んできた道。なのに誰かを「うらやましい」とか「それに比べて自分は」とか、なんかそんな自分の人生が残念だ。

でもそこを原動力として、なんとかしようとするのもまた大切なプロセスかもしれない。なんの迷いもなくさくさく進むだけの人なんていないよね。モヤモヤしたものを抱える時期は誰でもあるはずでそこを抜けるまでは「うらやましい」とかも感じるもんだよ、人間だもん。

私はわりと多様な価値観を受け入れてしまうところがあって、だから相手に合わせるのも比較的できるほうだと思っている。なるほどそういう考えも分かるね、あなたはこう思ってるんだよね、一理あるね、そういう感じで理解を示す。だってどんな事柄でも正解がどれなのかはっきりしない。

いまは不正解に見えることでもそれが10年先には正解になるかもしれない。悪意を持ってされたわけではないことなら誰かの何かにどこかのタイミングで良い影響を及ぼす可能性もあるだろう。物事で完全に悪なことは少ない。ないわけではなくてあるけど、どの考えも一理あることのほうが圧倒的に多いと私は思う。

でもこの考え方が仇になるんだと気付いた。自分に合わない誰かの価値観も認めようとし続けた。でも結局、流せてなくて心に溜まってしまった。

さまざまな価値観を受け入れられるということは、逆にいうと価値観を押し付けられるのが好きではない、納得できないという性格でもあるんだと分かった。どうして特定の価値観を私に押し付けようとするのか、押し付けてくれるなと、そういう拒否反応も生まれている。

カウンセリングもそうだし、友達との会話もそうだし、ここのところ、いろんなことを感じている。そうして見えてくるかたまりみたいなものがあるようだ。どの感情が一番強いのか。その感情をどうしたら手放せるのか。そういうこととか考えている。



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