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事情

夜、11時を過ぎてタクシー乗り場に並んでいた私の後ろに30歳前後と思われる男性が並んだ。

雨が降りそうだ。湿った冬の夜風が私の頬に吹き付ける。マフラーを少し深くかぶって、ちょっと首をすくめながら前に並ぶ人の数を数えた。5人か。半時間以上はかかるだろうか。

後ろの男性がスマホを何度もチェックしている。何か急いでいるようだ。せわしない空気の中に幾分緊張した雰囲気もなんとなく伝わってきた。

私の順番が回ってきたのは思ったより遅かった。もう時刻は12時前だ。

手袋をしててもすっかり冷えてしまった手をこすりあわせながら暖かそうなタクシーに乗ろうと身をかがめたときに、後ろの男性が私に声をかけた。

「あの、あの、すみません」

体をかがめかけていた私はまた少し上半身を起こし、振り向いた。

「あの、実は12時までに家に帰らないといけないんです。どうしても」

「え?」

私に順番を代わってほしいということなのか。何か慌てていた様子だったけど本当に急いでいるんだ。

私は戸惑いながら尋ねた。よほどの急ぎの用事なんだろう。事情次第では代わってあげなくもない。

「どうされたんですか?」

だが彼はこう答えた。

「信じてもらえないので話せません」

思ってもない返事になんと答えてよいのかわからない。

「あの、本当に時間がないんです。どちらへ向かいますか? 僕は桂の方へ行きます。もし方向が同じなら一緒に乗せてください。お金は僕が払いますから」

彼は必死の表情でグイと体を近づけ迫ってきたけど、私はやっぱり理由を聞きたかった。こんな夜中に納得できないままタクシーを譲りたくなんてないし、知らない男性とタクシーを乗り合うわけにもいかない。

「理由を聞かせてくれればタクシーをお譲りしますよ」

彼は一瞬ひるんだものの、よほど何かのタイムリミットが迫っているんだろう。意を決して勢い込んで話し始めた。

「僕は実はカタツムリなんです。魔法の力で人間の姿になっています。でも12時を過ぎてしまうとカタツムリに戻ってしまうんです。そうなると、うっかり人間の姿で遠出をしてしまったので、カタツムリに戻ってから自宅に帰るまでにどれほどの時間がかかるのかと考えると恐ろしいです。カタツムリの歩くスピードと残り数ヶ月程度の寿命を考えると、二度と自宅には帰れないかもしれなくて、そうすると家で待っている妻とまだ生後間もない娘に二度と会えなくなるかもしれません。だから僕は自宅に、自宅に」

わかりました。

どうぞ、タクシーにお乗りください。

ご事情よくわかりました。

私はとても納得して、この男性にタクシーを譲った。

人は見かけによらないな。この人カタツムリやったんやね。

1138文字

#短編小説 #超短編小説 #男性 #魔法 #タクシー #自宅 #時間 #タイムリミット

カタツムリの寿命は1年程度だそうです。よかったらこちらのお話も覗いていってくださいね。


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