「僕とマルコとユキと白鳥」

「結婚前にはペットを飼っちゃダメよ」と僕の母はよく言っていた。

「ペットを飼ってしまうと結婚が遅れる」そんな言葉を何度か母以外の人からも聞いたことがある。だから同じ理由で母がそう言っているんだと思っていた。

別に結婚が遅れることはないよ、そう思って僕は就職して2年経ったころに、犬を飼いはじめた。名前はマルコ。小型犬で2キロほどしかない小さな犬だ。かわいくて人懐っこくて、そのつぶらな瞳でいつも僕を癒してくれる。

でも僕には彼女もちゃんといる。ユキとは、マルコを飼い始めて2年後に出会った。僕たちは結婚した。幸せな生活のはじまりだ。僕とマルコとユキ。きっと近いうちに赤ちゃんだって授かるだろう。

それからあっという間に1年が過ぎた。今日は結婚記念日だからマルコとユキと一緒に近くの公園に行こうと思う。

マルコもユキもこの公園が好きで、これまでも週末になると僕たちは来ていたんだ。かなり大きな公園で、中央には青くて深い池がある。春には満開の桜、夏には小さな小川で水遊びをする子供たち、秋にはマラソン大会があって、冬には雪合戦、そんな公園。

池にはボートが浮かんでいて、白鳥のボートもいくつかある。家族連れやカップルを乗せたボートがキラキラ光る水の上で行き来する。

「結婚前に二人で乗ったね?」

ユキが笑顔で僕に言った。僕はマルコを抱きあげて、僕たちも乗ろうかと答えた。

僕たちは、白鳥だけど水色のボートに乗り込んだ。僕がマルコを抱いて、ユキと並んでボートを漕ぎ始めた。行き交うボートに乗っている子供たちがマルコを見て手を振ってきた。あぁ、穏やかな時間だ。

そんなとき、一隻のボートがすぐ近くにやってきた。高校生くらいのカップルが乗っていてオールで漕ぎあいっこしていた。バシャバシャと水しぶきがたつ。

その瞬間、水がひとかたまり、僕たちのボートに飛んできた。その水がマルコにかかり、驚いたマルコが僕の腕から飛びだし、ユキのほうに飛び移り、カップルに吠えたて、ボートのふちに前足をかけた。

「あ、マルコ!」

ぐらりとマルコの体が傾き、ボートから落ちる。慌てたユキも手を伸ばし、落ちるマルコを捕まえようとして乗り出したからユキまでもが! バシャンと巨大な音を立て、マルコとユキが池に落ちていく。周りの人が悲鳴をあげる。

この池は深いんだっ。

僕はすぐに池に飛び込んだ。水の中で暴れたのか、マルコは思う以上に遠くの水面に顔を出した。必死で水を掻き、なんとか体を立てている。マルコが苦しそうだ。パニックを起こしている。僕の鼓動が高鳴る。まとわりつくジーパンの重さに足を取られながらも、少し離れてしまったマルコを追って必死で泳いだ。

もう大丈夫だ、マルコ!

マルコに手を伸ばし、抱きかかえ、ボートを振り返った。僕がバシャバシャと片腕を動かす音と、周りの騒がしい声が聞こえる。

振り向いた先にはユキが力なく水面にうつ伏せに浮かんでいた。ボートのオールをユキに持たせようとする人や泣き出す人。子供を抱きしめる母親、必死でスマホで電話をする人。大勢が集まってきていて、そしてみんながパニックだった。なんとか助けようとユキに向かって泳いでくる人もいる。

ユキの靴がバラバラと水面に浮かんでいる。救急車の音が遠くに聞こえた。そうだ、ユキは泳げなかったんだ。心が激しく揺さぶられた。

マルコ、マルコ、ユキは泳げなかったのに。

マルコ、マルコ、マルコは生きている。

マルコ、マルコ、ユキはもうダメだ。

あぁ、そうか、そういうことだったんだ。ユキの葬儀の朝に、母の言葉を思い出した。

「結婚前にはペットを飼っちゃダメよ」

僕はユキよりマルコが大事だった。マルコを本当に愛している。いつも文句も言わず、僕に無償の愛をくれ、つらいときは慰めてくれたマルコ。

ユキはもういない。

だけどマルコは僕のそばにいる。

僕は大丈夫だ。

マルコが悲しみを癒してくれるだろうから。

1587文字

#短編小説 #結婚 #妻 #犬 #マルコ #悲しみ

犬を眺めてて思いついた話です。まさかの2作目。

お気持ち嬉しいです。ありがとうございます✨