見出し画像

イチローの話がなぜか教育の話へと。

遅ればせながらですが、イチローの思い出を書きます。

イチローのすごさなんて私が書くまでもないのでそういうのは書きませんが、シアトルの球場でイチローの試合を見たのはもう15年くらい前です。

まだ世界のイチローとまではいってなかったあのころに、いくつかグッズを買いました。開封せずに取っておいたら将来高く売れるだろうなんて、ほくそ笑んでいたことがなつかしく思い出されます。

イチローのサイン入りのボールはすでにかなり高額で、1万とか2万とか払って購入しましたね。

それと、当時、新聞の読者の投稿欄にイチローについての文章を書いて送ったことがあります。実は新聞に文章を投稿するのがけっこう好きで、最近はやってませんが細々と載せてもらっていました。

いまはメールで簡単に投稿できますが、その頃はハガキに手書きで書いていました。

昨日、スクラップしていたイチローに関するその投稿を久しぶりにまた読みました。

絶対に負けたくないという闘志丸出しのイチローの言葉に感銘を受け、私も子供に「頑張ったから悔いはない」ではなくて「次は絶対に負けたくない」という気持ちを持ってほしいといった内容を文章にしたためていました。

運動会などでも勝ち負けを競うことを疑問視する風潮が少し以前からありますが、こういうのも移り変わる価値観だろうな、と思って眺めています。

国がゆとり教育をやってみて、いや失敗だったとまた厳しめに戻してみたりするように、いま良いとされる方針が10年後も同じとは限らない。

昨今はデジタル時代の真っ只中で、教育業界でもまだもうしばらくこの流行り(あえて流行りと言いたい)が進みそうに感じますが、これに関しては早めに子供の身体的負担をかんがみて、スマホもそうですが電子機器の使用制限に真剣に取り組んでほしいなぁとひそかに思っています。

紙ではなく電子機器での学習なんて、荷物が軽くなるメリットはあるけど子供の眼や首の健康をどう守るんですか、と私はまったく納得してません。

教科書にQRコードですか。

「お母さん、資料集のQRコードを読み込みたいからスマホ貸して」と言われスマホを渡したあと、なかなか返してくれないとかに日々対処するの大変ですよ。

スマホもそうですがiPadとかの電子機器をどう制限するかにどれほど今の時代の母親は苦労してることか。

ほんとに電子機器を教育現場に導入するのが遅れると世界で遅れをとるんでしょうか。早ければいいというものでもないと思いますが。

あ、完全にイチローから話がそれてしまいました。すみません。でももうちょっと。

前々から紙が電子機器に変わっていくのが嫌だなーと思っているんです。

大人はいいですよ。どちらかを自分で選べばいい。でも子供はね、大人から与えられるものを使わないといけない。

電子機器の情報量は紙よりはるかに多いというメリットは確かにありますが、何をどう与えるか、どれだけの時間をそこに費やさせるかをもっと考えてあげないと、と常々気になっているんです。

noteで小さい声をあげたところで、ですけどね。文科省かなんかがどんどん進めてますから。

さて、話をぐっと戻してイチロー関係のさわやかな小話で締めくくります。

先日の両親の会話がなかなかおもしろかったです。

母「チチローさんはまだ生きてるの?」

父「生きてる生きてる。あのなー、チチローってな、イチローの父親だからチチローって言われてるんだぞ」

母「そんな説明されんでも知ってるよ」

なんだかいかにも俺は知ってるぞの空気で母に語る父がおもしろかったです。けっこうみんな知ってると思うし、言われなくても分かるよね。

#エッセイ #イチロー #新聞 #チチロー #読者 #投稿 #文章 #電子機器 #スマホ #教育

新聞の投稿ってね、ほぼそのまま掲載する社もあれば、そこまで変える?  と大幅な変更を加える社もあるんです。自社の方向性に沿うように修正するということです。前半と後半で文体の雰囲気が変わったこともあります。

逆にいうと上手な文章でなくてもいけるということです。視点が社の欲しい論点であれば、下手な文章でもピックアップしてくれて、勝手に字数に収まるように洗練された文章にまとめてくれる感じもあります。

でもまあ、こうやって世の中は小さいながらも情報操作されていくんだなぁなんて思います。

お気持ち嬉しいです。ありがとうございます✨