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救急医から在宅医へ~生と死の狭間で見えたこと、伝えたいこと〜


◆すべての人に共通する“老化の尺度”
「この頃、やけに疲れやすくて・・・。歳かなあ。」「最近、夫(妻)が寝てばかり。会話もろくに成り立たなくて・・・」といったような言葉を、あちこちで耳にします。「老化ですね」と、ばっさり申し上げるのはいささか気がひけるので、「一種の加齢現象でしょうか」とやんわり済ますわけですが、実は内心、抵抗を感じていました。“老化ってどこが?”根拠あるの?“という、モヤモヤした疑問です。そこで、改めて「老化の尺度」について考えてみました。

 日本人の死亡理由の第1位は悪性新生物(がん)ですが、第2位は心疾患です。心不全の有病率は80歳以降、急速に増えます。<出典 「平原、心不全の緩和ケア 改定2版  C.在宅医療の視点から(P17)」 南山堂> 老化とは心臓が弱ること?ならば老化の尺度とは心機能の検査なのか?というと、いや、それは飛躍した考えです。

 心機能だけでなく、腎機能、肝機能、造血機能なども老化に伴って低下し、人によっては死因となります。人それぞれ色々な臓器が経年劣化します。それぞれの検査値はいわば各パーツの耐用年数にすぎないことに気づくのです。重要なのは“すべての人に共通する老化の尺度とはなにか”ということ。私は“それは筋肉量である”に行き着きました。

◆救急医の頃は臓器機能を追いかけていた。
 ひたすら救命に没頭し、なぜ亡くなってしまうのか、仕方ないと諦め納得がつくまで、時には病状が改善するまで、ただひたすら続けていました。パーツの機能をモニタリングし、人工的な補助(サポート)をしていたのです。わずかな改善兆候を待って、繰り返し何かを選んでは、また変更していた気がします。いつしか敗血症という、感染症に起因する多臓器障害に関心を持っていました。

 5年が過ぎた頃、思わぬ結果が現れました。治療のターゲットにしてきた心臓と肺の循環ではなく、意外にも肝臓の循環の良し悪しで、生死がくっきりと分かれていました。逆に、肝臓の循環を見れば、生死の予測ができる。でもそれをどうやって改善するのかは分かりませんでした。この後まもなく在宅医療に転向し15年が流れました。

 どんな事でも、ものさし、尺度がないと、やっている事が良いのか悪いのか、何も役立っていないのかが分からない。やみくもに選ぶことになる。だからまず尺度が必要。この思いはずっと持ち続けてきました。

 肝臓の循環の大半は、腸粘膜を通して良いもの悪いものが溶け込んだ門脈血流に由来しています。今日では様々な病気で腸内環境が果たす役割の大きさが広く知られるようになってきました。悪いものが入るから、いろんな病気が起こる。とても分かりやすい理屈で、20年を経て、発症予防という観点に目を開かされた最初でした。

◆老化・老衰のカギは“筋肉量”
 加齢に伴い、筋量が減っていく現象は、サルコペニア(加齢性筋肉崩壊症)と呼ばれています。サルコペニアは、元々脚力の衰えと筋量の減少によって定義されました。以来サルコペニアは、なった人よりも、なる前の人が対象とされてきた傾向があり、現在では世界中で健康運動が推奨され、サルコペニアの予防が図られています。その一方で、実際に加齢に伴って筋量が低下する経過や実態を追跡した研究業績は意外に乏しいのが現状なのです。サルコペニアになると回復はまず難しい、という認識はある意味医療従事者の暗黙のコンセンサスになっていると思います。

 そこで私は、すでにサルコペニアに該当する高齢の人達を対象に、半年単位で筋量の推移を調べてみました。すると、筋量は加齢に伴い、予想以上に急速に減少してゆくことが明らかになりました。さらに、筋量が半減すると、突然、高い確率で誤嚥性肺炎を発症することも分かりました。嚥下に関連する筋肉は、呼吸や発語にも関与するため、他の筋肉に比べると衰えるのが遅いはずというのが常識です。しかし、筋量が半減すると、さすがに代償作用(機能を補完する体の自然の働き、嚥下の場合は咳や喀出で誤嚥を最小限にしようとする働き)が効かなくなるようです。老化という漠然としか見えなかった変化、運命を、目の当たりにした思いで愕然としました。

◆老いてゆく自分と他の人達に一番必要なもの。
 急になんですが、私はこれから老後に突入します。そんな大袈裟なものでもないですがちょっと考えてみました。老後に備えて何が必要かと言うことが、ちょくちょく議論になっています。少し前にはさる政治家がお金が2千万円必要とのたまい、物議をかもしていました。でもその方も十分老後と言っていいお歳なんですね。でも他人事のようにそんなことをおっしゃるのは、月並みですが現役でいらっしゃるからです。老後も末長く仕事をすることが推奨されますが、それは国にとっても自分にとっても都合のいいことで、働いておれば認知症にもなりにくい、とも言われています。

 このところクリニックの継承案件のご案内と、第三者への承継のお勧めとが、同時に届くようになりました。多くは、徐々に診療日数を減らしてきて、赤字に転じたので、体力的に限界、後継者が居ないので、という理由は共通しています。若ければ赤字を黒転する意欲もあったけど、もうここらでおしまいに、という感じです。外来に座る、話をすることも負担になってきて、意欲減退してくると、おそらく若い患者さんには分かります。時間が遅くなると余計にえらくなる、午後の外来は早々に閉じておられる例が多くみられます。おまけに昨今、デジタル化や保険点数削減も重なり、余計に憂鬱な気持ちが強くなり、引退の肩を押されると思います。

 そうした財務状況が良くない不利を払拭するために、仲介業者さんは、立地がいいので伸びしろがある、今は患者数が減っているがすぐに回復する、という説明をされます。売り上げや患者数が少ないのは、伸びる余地がある、成績が悪いけど勉強すれば良くなる素質があるという、塾で聞く月並みのセリフを言うなあ、と聞いています。そして必ず付け足されるのは、周辺住民は高齢化しているので、訪問診療のニーズも相当高い、と。そして売り手の退職金と仲介手数料を確保するために、結構な金額を伝えてこられます。

 先だっての案件は、周りに昭和の高度成長期に建てられた公団住宅や集合住宅が密集していて、まさに訪問診療にうってつけの地域でした。4階以上になると高齢の住民の方は階段を下りれないので、外来に行けません。当たり前ですが、この頃の集合住宅はエレベーターがないんですね。すでに100件近い往診のニーズがあるが、今は断っておられます、と。

 ただ、私は首を振って答えました。申し訳ないが、こちらはその、、、4階以上に上がるのが自分がひと苦労なので、それはあまり有り難くないなあ、と。夏の暑い最中はトライアスロンになるんですよ、と。向こうも二の句が継げませんでした。最近のお断り方法はこれにしています。

 長々何を言いたいかと言うと、老後に必要なのはお金ではなく。体力、脚力です。現役継続の意欲の源泉であり、お金の元になります。アウトドアはもとより、インドアの趣味を続けるのにも、意外に体力気力が前提です。今つくづく感じるのは、体力さえあればどうにでもなる。こう思います。そして、体力気力を分析すると、歩く力、食べる力、排泄する力に尽きると思います。この脚力、嚥(古くは臙)下力、腸力の3つの力は、全て筋肉によって作られていますので、月編(にくづき)の字があてられています。これらのどれ一つが衰えるても、他の人の手を借りる介護を要します。

◆筋肉量計測の有効利用を。
 今日ではサルコペニアによる嚥下障害の概念が提唱されています。脚力の衰えに次いで、高齢者の第2の特徴とも言える誤嚥性肺炎の発症に、サルコペニアが直接関与していることを偶然目の当たりにしました。おそらく第3の特徴の腸力にも少なからず関与していると思われます。呼吸障害や膀胱直腸障害など他臓器への影響もまた学会で注目されるようになりました。筋量を計測するのは、まさに今現在の、老化・老衰度を測ることに繋がるのです。

 さらにもう一つ。従来は、回復困難とされていたサルコペニアですが、実は、筋量減少がある程度進んでも、回復の余地が残されていることが明らかになりました。これは画期的な、とても嬉しい結果であると思います。“老化・老衰”は万人に共通するさだめ(運命)ですが、回復つまり若返りの余地がある。当たり前に行なっていたリハビリテーション、筋肉運動、栄養療法の成果や再考の目安にもなります。

 何より自分の老化・老衰を知ることは、生きるための一つの『ものさし』を手に入れる意味で、計り知れないほど有益であると考えています。

#創作大賞2024

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