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韓国と私⑤ 国文科大学生のキャンパスライフ

0.noteはじめました こんばんは🌹お久しぶりです 韓国と私⑤

 前回の投稿からだいぶ時間が過ぎてしまいました。前回の投稿ではBTSのJINくんがパリオリンピックの五輪聖火ランナーとしてルーヴル美術館の前を走る直前でしたので、実際のルーヴル美術館を映画の舞台のロケ地として撮影された数少ない作品『ダ・ヴィンチ・コード』(2006年)や、今年7月7日のフランス国民議会下院選で、左派連合の「新人民戦線(NFP)」が勝利し、マクロン大統領の与党連合が2位、先の予想で勝利が予想されていた極右「国民連合(RN)」の3位を退け、最大勢力になったことについて書こうと思っていましたが、遂にパリ五輪も閉会式が終わり、時期を逸してしまいました。
 パリ、フランスといえば、今回のJINくんのトーチリレー参加と共に、忘れられないのは2016年のKCON フランスでBTSが披露したアリランのアレンジパフォーマンス。どちらも思い出深く、本当に、素晴らしい!のひとことでした。

1.韓国と私⑤ 仏文科出身の脚本家たち

 そして、韓国と私、韓国とパリ、フランスで思い出すのは、文学部仏文科出身の韓国の女性の脚本家たちです。有名なKBSドラマ『冬のソナタ』の脚本家コンビ、キム・ウニ氏とユン・ウンギョン氏はそれぞれ漢南大学仏文科卒、西江大学英文科卒ですし、同じくペ・ヨンジュン氏主演のKBSドラマ『Papa』の脚本家オ・スヨン氏は梨花女子大仏文科卒でした。『冬のソナタ』では、仏文科卒英文科卒の脚本家コンビらしく、そのシナリオの中には海外の文学作品や詩作品への言及が数多く織り込まれており、私にとって最も印象深いのは、フランス出身の詩人アーデベルト・フォン・シャミッソーの短篇「影をなくした男」池内紀訳(岩波書店、1985年)引用の場面でした。端的に、主人公の寂しさを語るための、小粋なファクターとして台詞に絶大な効果を与えていたからです。
 更に『Papa』は私がノベライズを書かせていただき、拙著『Papa-パパ<上>』(竹書房、2005年)『Papa-パパ<下>』(竹書房、2005年)は上下巻の二巻セットとして版元の竹書房さんから刊行させていただき、下巻の巻末に脚本家のオ・スヨン氏へのインタビューが掲載されています。
 韓国のソウルでお会いした時にお話しさせていただいたのですが、梨花女子大仏文科出身の彼女はいかにも仏文ご出身といったお洒落な雰囲気の知的な女性で当時はフランス、パリ在住。普段は、建築家の夫の赴任先のパリで暮らしているそうで、たまたま韓国に帰省中で運よくお会いすることができたのでした。優美な振る舞いと品格漂う柔和な表情、何より温厚でお優しいご性格と知性溢れる印象でフランス文学の薫り高く、若い男性が家事や子育てをするという『Papa』執筆の動機や問題意識、作品に込めた脚本家独自の深い想いに触れた私は、仏文科ご出身ならではの、ご趣味の良質さの真髄を感じ、思わず息を呑んだのでした。

2.韓国と私⑤ 国文科という舞台装置

 前回、韓国と私④でご紹介した韓国ドラマ『愛の挨拶』(1994年)ですが、大学院修士時代の2001年に初めて見た時は、同時代にペ・ヨンジュン氏が出演していた『ホテリアー』(2001年)の動画も同時に見せていただいたので、同じ2001年放送の映像に比べて、とても古めかしく、どこか懐かしく感じたのですが、実は、この作品全体をきちんと精査しつつ見ていないことに今更乍ら気づき、過日から少しずつ再視聴をしています。
 2024年の現在から30年前の、1994年に制作された韓国KBS2のドラマ『愛の挨拶』は、俳優ペ・ヨンジュン氏のデビュー作です。何しろ、全25話あるので、全体を把握するのは時間がかかりますが、まずは最初の5話分を丹念に鑑賞した感想を。この『愛の挨拶』は、先ほど挙げた脚本家の方々の仏文科とは異なり、国文科専攻の学生たちの大学生活が中心に描かれています。
 実際、監督のユン・ソクホ氏は、檀国大学演劇科出身のBTSのJINくんと同じ、檀国大学国文科出身です。卒業年は其々2017年1980年と、大きく離れていますが、おそらく、劇中で詳しく描かれる授業内容ーー韓国文学史、評論、現代詩論、批評史などの授業を見る限り、個人的な感想ですが、当時は脚本も担当していた監督ユン・ソクホ氏の肝煎りのシラバス、という感じが伝わってきます。 
 国文科なので、自然文学の祖とされる作家蓮想渉の代表作『萬歳前』(1923年)について、教授が漢字で題名を板書することが印象的ですし、大学新聞の記者や文学会のサークルで読書会をする国文科の大学生は大抵研究熱心で、講義も休まずに出席しています。主人公のペ・ヨンジュン氏をはじめとする国文科の学生たちは自分の専攻に誇りを持ち、将来は作家か新聞記者か脚本家、若しくは出版社勤務新聞社勤務を夢見ているように思えます。高校生向けにオープンキャンパスが盛んなこの夏休み、30年前の国文科大学生のキャンパスライフはとても真摯で牧歌的、文学を志す大学生の純粋さが感じられ、30年前のキャンパスにタイムワープしたような錯覚さえ感じます。

3.韓国と私⑤ 映画『エンジェル・アット・マイ・テーブル』

 もちろんスマホもない当時は、待ち合わせ方もアナログ。主人公のペ・ヨンジュン演じるヨンミンは、姉に譲ってもらった映画『エンジェル・アット・マイ・テーブル(An Angel At My Table)』(1990年)の招待券をひそかに思いを寄せる同級生ヘインに渡して一緒に映画館へ誘おうとしますが、あいにくヘインは先に別の先輩の男性と観てしまい、「作家になるすてきな話よ、ぜひ観てね」と言われがっかりします。さびしく観に行ったヨンミンが見上げる映画館の建物の正面には、大きく引き伸ばされた『パルプ・フィクション』(1994年)のポスターと、同じサイズに引き伸ばされた、この『エンジェル・アット・マイ・テーブル』のポスターが並んで掲げられていました。
 このドラマ『愛の挨拶』は1994年の韓国が舞台設定で、前者のアメリカ映画、クエンティン・タランテイーノ監督の『パルプ・フィクション』は韓国も日本もアメリカも1994年に公開されていたようですが、ニュージーランドの女性監督ジェーン・カンピオンが名作『ピアノ・レッスン』(1993年)の前に、1990年に撮った『エンジェル・アット・マイ・テーブル』が、ハリウッド映画『パルプ・フィクション』と同じ上映館で放映されている場面の描写が示唆的です。
 いわゆる文学青年、国文科の学生であるヨンミンたちは派手なアクション映画『パルプ・フィクション』ではなく、ポスター写真にあるような赤毛の貧しい少女がやがて文学に目覚めるものの、彼女の繊細な感性は周囲の人に理解されず精神病院に入れられてしまう妨害にあっても彼女は書くことを止めず、のちにニュージーランドを代表する作家へと大成するジャネット・フレイムの姿を描いた自伝的作品『エンジェル・アット・マイ・テーブル』を映画化した、いわば文学的な作品を観るわけです。
 劇中、1994年当時の韓国では『ピアノ・レッスン』(1993年)が先に公開されていたようで、ヨンミンにヘリンが「『ピアノ』も良かったけど、こちらのほうが作家をめざす映画だからおすすめ」と言い添えます。『ピアノ・レッスン』の原題はThe Pianoですから、韓国では英語の原題通りに、劇場公開されていたのかもしれません。

4.韓国と私⑤ 書くことを志す大学生たち

 『エンジェル・アット・マイ・テーブル』は、創造的で繊細な感性を持つ赤毛の少女が周囲の無理解に大きく傷つき悩みながら、作家へと成長する姿が描かれています。ニュージーランドの大作家ジャネット・フレイムの自伝的小説『ある自伝』3部作を原作に、ジェーン・カンピオンが映画化したこの作品は、国文科で学びつつ、執筆を志す主人公たちの姿とどこか重なる、引用としても暗喩としても最適な映画作品ではないか、と感じました。
 書くことに無理解な環境と、それに抵抗できない無力な自分へのふがいなさ、筆力のある先輩への劣等感。それでも教授に叱られながら何かを書こうと葛藤する大学生たち。それは、大学新聞の記事だったり、文学会の会報誌の投稿原稿だったり、それぞれが苦労を重ねます。
 何より、国文学科で文学史や批評史を教えている教授の下で研究室の校正のアルバイトをするヨンミンは、実は、その教授自身がかつて作家として小説を書いていて、以前は本も刊行されていたものの、今は国文科の大学生むけに講義をしつつ、かつての小説とは違い売れ行きの悪い文学評論の本を執筆している、という事実を出版社の社長から聞かされる、という場面も暗示的です。
 『愛の挨拶』の劇中に描かれる、国文科で書くことを志す大学生たちのひたむきさに、30年前の作品を今回丁寧に観ることで再接近でき、実に、心が洗われました。『愛の挨拶』には、当時は不思議に感じた韓国ドラマの謎=なぜ初雪が大切なのか、など今ではわかりきっていることもあるのですが、2001年当時初めて見たこの作品を、今になって深く観る機会に恵まれ、ますますこの作品の今後が楽しみになりました。
 次回は、この『愛の挨拶』に描かれる音楽、特にクラシック音楽や欧米の、いわゆる洋楽を当時の大学生がどのように受容していたか、レコード店やステレオセットなど、いろいろと細かく出てくるので、そのあたりをご紹介したいと思います。やっぱり、韓国ドラマは、古い作品でも、新しい作品でも、総て奥が深いと感じます。(韓国と私⑥に続く)

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