プロレスに詳しい人の意見を聞きたい、昭和プロレスの「ん?」その3

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『昭和53年9月マスカラスの国際プロレス参戦が実現していたら&昭和55年1月ダイナマイト・キッドの国際プロレス日本陣営加入が実現していたら、それぞれどんなカードを組んでいたか』

 昭和プロレスと銘打って全日本、新日本と書いて来たからには、三番目は国際プロレスを取り上げようとするも、よいネタがない(汗)。
 最初、『ラッシャー木村は犬を何頭飼ったのか。熱狂的な猪木ファンの投石等により、愛犬が死去したのはいつのことで、何頭亡くなったのか』を考えるつもりでしたが、資料に乏しい。
 筆者自身は、木村の愛犬が亡くなったと伝える記事を国際プロレス崩壊よりも前に発売された専門誌で読んだ覚えがあったため、猪木ファンが愛犬を死なせた件が世に出た際には「またまた~、新日本てば創作しちゃって」と思っていたのですが、複数飼っているか、飼っていたのが一頭でもその犬が亡くなるとすぐに次の犬を飼う程の愛犬家だとすれば、話は違ってくる。検索で調べてみると、熊五郎と大五郎という二匹を同時期に飼われていた頃があったのは確かなようです。あと、『ニッポン縦断プロレスラー列伝』(門馬忠雄 エンターブレイン)という書籍に関連する記述があるみたいなのですが、入手できていません。
 かような具合で、木村の愛犬についてはとりあえず棚上げにせざるを得ませんでした。ほぼ新日本ネタという気もしますし。

 そうして悩んだ末に捻り出したのが、“もしもあの選手が予定通り参戦していたらどうなっていたか”。検証する余地はほとんどなく、これまでの二回以上に希望や妄想に満ち満ちた文章になるかと思いますが、ご容赦ください。
 ということで今回は、国際プロレスのカラーにあまり似合わないけど参加しそうになった外国人選手二人について。

 まずはミル・マスカラス。昭和53年の夏に全日本プロレスに参戦したマスカラスを、国際プロレスの社長・吉原が全日本の馬場に、「全日のシリーズが終了後、うちにマスカラスを貸し出してくれないか」と頼んだそうで。対する馬場は「マスカラス当人に聞いとくよ」というニュアンスの返事をしたらしい。これを吉原社長、OKをもらったと早合点したのか、決定しない内から国際プロレスのダイナマイトシリーズのポスターとして、マスカラスの写真と名前を載せた物を新しく刷り、街角に張り出してしまったとか。
 結局、マスカラス自身が断ったため、国際参戦は幻に終わり、特製ポスターだけが珍品として残った……。
 で、仮に参戦が実現していたとして、国際プロレスはどのようなマッチメイクをしたんでしょう? 当時の国際の主力メンバーは、ラッシャー木村をエースに、マイティ井上、グレート草津、アニマル浜口、寺西勇という顔ぶれ。同シリーズの他の外人は、オックス・ベーカー、デビッド・シュルツ、リップ・タイラー、レッドデビルス1号&2号、キース・ハート、ダニー・バビッチ。日本陣営で手が合いそうなのは井上と寺西が筆頭で、浜口がこれに続く。草津は微妙、木村とは想像しにくいけど合いそうにない。外人組はヒールが多く、ぎりぎりキース・ハートならパートナーが務まるかな、でもキャリア浅いよねってところでしょうか。
 第一戦は寺西とのシングル戦が有力か。でなければ、メキシコ遠征経験があって幻のNWA世界ライトヘビー級王者になった経歴の持ち主、鶴見五郎が抜擢されていたかも。
 その後は浜口、井上と順に撃破。間にキース・ハートと組んでのタッグマッチで、木村と初顔合わせ。木村のパートナーは井上で(実際には、キースは負傷により帰国しているため、タッグを組むタイミングが合わなかった可能性も)。そして中盤辺りで木村とのIWA世界ヘビーを賭けてのタイトルマッチ。吉原社長にしてみれば、マスカラスの参戦はこれっきりになるかもしれないので、手が合わないからと言ってシングル戦を組むのを躊躇しますまい。何ならマスカラスの保持する同名のIWAタイトルも賭けさせたりして。試合展開の想像は難しいので省きまして、結果はベーカーとシュルツが乱入してのノーコンテストが妥当でしょう。そしてプロレスのお約束的展開、最終戦で木村とマスカラスがタッグを結成し、ベーカー&シュルツ組を退治するという流れに。
 ああ、デビル紫がもう少し上位陣で使われていたら、マスカラス&紫vsレッドデビルス1号&2号なんてのも組んでいたかも? 何故なら実現していたら、昭和54年全日本プロレス最強タッグ開幕戦のマスカラス&ドスカラスvsミスターレスリング&マスクド・ストラングラーに先んじて、“日本初の全員マスクマンのタッグマッチ”の称号を得られたから(笑)。

 続いてダイナマイト・キッド。
 キッドの場合、二度目の国際参戦が発表されていながら、キッドの与り知らないところで新日本とのダブルブッキングが発生し、問題に。新日本の営業部長・新間寿が「1月は国際、2月はうちに参加する形でもいい」と解決案を提示したが、結局はこれまたキッド自身に選ばせることになり、国際プロレスは振られたと。
 でももし国際に参加していたら、シリーズ前に吉原社長が「キッドを日本側から出す案がある」旨を語っており、実行されていたでしょう。マッチメイクを妄想してみると、同シリーズの他の外人選手は、ジプシー・ジョー、キラー・カール・クラップ、チーフ・フェザー。ケビン・ヒューズ……うーん、と頭を抱えたくなる弱体二名がいます。日本サイドはマスカラスのときと主力に阿修羅原とマッハ隼人が加わり、また、鶴見が大位山勝三と組んで独立愚連隊を結成してヒール化、外人と組むこともあった。
 開幕戦では、前回の来日初戦で引き分けた寺西と一騎打ちし、快勝。翌週の大阪大会で阿修羅原のジュニア王座に挑戦。押し気味に進めたが、いいところでジプシー・ジョーが乱入。キッドの反則負けになってしまう。激怒したキッドがジョーと小競り合いになり、外人組から孤立。そこへ原が援軍に周り、キッドの日本組加入につながる。
 翌週がキッド&原vsジョー&鶴見ぐらいかな。キッドが鶴見をフォールして勝ちを収めるも、ジョーとの因縁は深まり、シングルで決着戦へ。しかし原のジュニア王座に再挑戦を目論むジョーを、タイトル戦前に負けさせられないため、キッドvsジョーはドロー。その後、原がジョーを倒して王座防衛。キッドは井上と組んで独立愚連隊に勝利。
 最終戦は、史実ではジョーはクラップと組み、井上&浜口のIWA世界タッグに挑戦しているのでこれを尊重すると、適切な相手がいない。ここは原とノンタイトルで再戦かな。初来日のノンタイトル戦で原に屈しているキッドに、日本側に付いてくれたお礼も兼ねて、ここで星を返しておく。
 木村とキッドのタッグが実現したかどうかは微妙に思いますが、もし組んだら、二人掛かりのヘッドバッドが見せ場になる?
 ただし、吉原社長はマッチメイク以前に、頭を痛めることになっていたと思います。初来日時のキッドは長髪で貴公子然としたハンサムタイプで、女性人気を当て込んでいたでしょう。なのに、来日したキッドは長髪をバッサリ切り、ほとんど坊主に近かったのですから。ロン毛のかつらを急いで用意させていたかもしれません(苦笑)。

 それでは。

「その4」はこちら。

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