掌編小説『あいどるのふあん』

        あらすじ

一番のファンになるはずの元彼が不安の種なった。だから芽吹かない内に処分した――。
 アイドルの上地幸音鈴かみじさおりは、今が売り出しの大事なとき。だが、小学生の頃に軽く付き合っていた同級生男子から、当時の小さな過ちを材料に脅しめいた行為を仕掛けられ、悩まされていた。このままでは将来のアイドル生命が危うい。我慢しきれなくなった幸音鈴はアリバイ工作をして元同級生の“処分”に成功。ところがそこから想像と違った展開を迎え、不安に駆られるように。「警察は何故、私を疑わないの?」

         本編

 くそ、困ったわ。
 誰にも疑われないなんて、まさかの想像の埒外。刑事が聞き込みに来ないって、あり得なくない?
 このままじゃ、折角のアリバイ作りが無駄になる。あー勿体なかったで済めばいいんだけど、何かのきっかけでアリバイ工作をしたとばれたら、一気に怪しまれるじゃないの。自然な流れで疑われた上で、アリバイを言ってやってこそ、効果があるっていうのに。
 尤も、そう簡単にばれやしないとは思うけれど。不安があるとしたら、証人の記憶が薄れることぐらいかな。でも、心配していない。あいつらの記憶力は異常。特に、矢代実和やしろさねかずの記憶力と記録魔ぶりは。私に関することなら事細かに記憶し、記録を付けている。イベントで、嬉々としてメモ帳を見せられたときは正直、引いたけど、お金がない分をカバーするための涙ぐましい努力と受け止めておいた。矢代はまだ未成年の学生らしく、時間だけはあるのか、イベントがいくつも重なったある日の私の居場所をまるでGPSみたいに記録していた。あの追跡能力は利用できると思った。だから、次に来たときはいつもよりほんの少し長く握手してやった。
 たったそれだけのことで、親しくなれたと思って、こちらのイリーガルなお願い(命令)に従ってくれるおバカなファンなら、そのままそいつに殺させるところだけど、さすがにそこまで盲目な奴はいまい。おバカだと口を割る恐れがあるし、そもそも矢代は見た目も言動も賢そうだし。
 だから私は他の共犯を選んだ。美梅みうめおねえちゃんだ。本当に血のつがった姉妹ではなく、親戚関係だけど、姿形は周りの誰もが驚くほどそっくりで、年齢も半年違いの同学年。私にとって美梅おねえちゃんは姉も同然、美梅おねえちゃんにとって私は妹同然。そして美梅おねえちゃんは、私に夢を託している。おねえちゃんが諦めさせられた、アイドルになるという夢を。
 私が今やっているのは、一時期、雨後の筍よりもにょきにょきとあちこちで芽吹いた地下アイドル、ローカルアイドルの類だけれども、ここからのステップアップを目指しているのは断るまでもない。三人組のグループでやっていて、“実は三人の仲が悪い”設定が意外と受けているみたい。大物漫才コンビとかによくある不仲を真似ただけなんだけど。実際問題、三人とも単独で売れることを目標にしており、メンバーの誰かが単独で大手から声が掛かったとしても、三人一緒にという殊勝な態度は取らないというのが約束としてできあがっている。もしも大手から三人まとめてと言われたら、そのとき考えるってことになってたけれど、実は今、私は打診を受けている。唾を付けておこうレベルだけど。五本の指に入る大手って訳ではないにしても、メジャーなのは間違いないとこ。
 そんな大事なときに、過去の亡霊が現れた。まだアイドルを目指すと決めていなかった小学生の頃、クラスで一番格好よく見えた男子、姉崎統一あねざきとういちと半分お遊びでキスを何度かした。何回目のときか知らないけれど、姉崎はキスしているところを私に黙って撮影していた。以来、写真をどう使ってきたかは知らないけれども、大事に保管していたのは確実。今になって、私を脅す材料にしてきたのだから。
 姉崎が格好良かったのは小学校までで、中学に入ってからは文字通り、伸び悩んだ。小学校ではずっと高身長のポジションだったのが、十三歳を境に背の伸び具合が一気に鈍くなり、周りの男子に追い抜かれた。それで萎縮したのかしら、性格が卑屈になって、子分体質が染みついた。男子は高校以降でも背が伸びるのが普通だろうから、そんな気にする必要なかったのに。
 姉崎に優しい言葉をかけていたら、今こんなことで悩まされなくて済んだかもね。けれども中学生の私は気が回らない上に、アイドルを目指すのに夢中になってた。結果論だけど、手を差し伸べなくて正解だったと思う。現在の姉崎は頭の方もちょっと足りない単細胞になったみたいで、私が下手したてに出たら、大事な写真を簡単に手渡してくれた。他にコピーを作ってもいない。
 その後、私がつれなくしたせいで姉崎は怒りを募らせ、証拠がなくても子供の頃のことをぶちまけるとか、イベントに乱入して邪魔してやるとか言い出した。そんな真似されたら、たとえ私に非がなく、身体的にも無傷で終わったとしても、受けるダメージは大きい。メジャーデビューの道が閉ざされる恐れもある。お金なんかで大人しく口をつぐんでくれそうにもないので、始末するしかないと決めたのよ。
 計画は至ってシンプルに。なるべくしっかりしたアリバイを作る、これだけ。具体的には決行当日、矢代に私を尾行させる。先立つこと十日ほど前に、矢代の前でメモ書きをわざと落とす。そこには、決行当日の私のスケジュールが記してある。スケジュールと言ってもオフ日で、要するに一人で遊びに行く予定みたいなもの。矢代からすれば、憧れのアイドルのプライベートを覗けるのだから、ついてこないはずがない。
 当日、私は軽い変装をして遊びに出掛ける。矢代が尾行してくれないことには話にならないので、確認するためになるべくゆっくり行動した。さらに、矢代には私が間違いなく私であることを一度は見せておく必要があると思えたから、電車の中ではすぐ隣に立てるように誘導した。興奮して痴漢行為でもされては面倒だったけれども、さすがにそれはなかったわ。
 とにかく思い描いていた通りにことは進み、予め決めておいたデパートのトイレに向かう。そこで待機していた美梅おねえちゃんと入れ替わるのだ。私とおねえちゃんは容姿や背格好はそっくりなので、ファッションを同じにすれば判別不可能。女性用トイレのスペースに矢代は入れないから、入れ替わりは楽勝でできる。
 矢代が美梅おねえちゃんを尾行し始めたら、もうこっちのもの。自由時間を確保した私は、姉崎を始末しに行く。首尾よく目的を達成し、再び女子トイレ――今度はアミューズメント施設の――で、おねえちゃんと二度目の入れ替わりだ。
 実際にやってみたら、時間のタイミングが意外と合わせにくかった。入れ替わるまで手間取って、姉崎との待ち合わせ時間に遅れそうになったり、逆に二度目の入れ替わりにはトイレに早く来すぎてしまったりしたけれども、何とか乗り切れた。
 最も困難だと思っていた姉崎の殺害はあまりにうまく行って、拍子抜けしたほどだったわ。おかげで、トイレ到着が早すぎた訳だけど。
 美梅おねえちゃんには、殺人のことはまったく話していない。入れ替わりをする理由として、「私の行動を全て把握したつもりでいい気になってるファンがいるから、ちょっと鼻を明かしてやりたいの。私とおねえちゃんが途中で入れ替わって、気付かなかったら、あとで入れ替わりの証拠を突きつけて、おあいにく様でしたって。ある意味、ファン冥利に尽きるでしょうし、悪いことじゃないと思うんだ」ってな具合に持ち掛けると、承知してくれたの。
 ――こんな風にして、うまくやり遂げたつもりでいた。いや、実際にうまく行っている。誰も私を疑っていない。事件が発覚し、被害者と私とのつながりが明らかになった時点で、美梅おねえちゃんは私を疑いの目で見ると覚悟していたので、そのための言い訳に頭を悩ませていたのだけれども、説明する必要に迫られていないのは助かる。ただ、こうまで何の音沙汰もないのは、かえって不気味。
 だって、警察が姉崎と私とのつながりを見逃すはずがない。この目で見た訳じゃないけど、姉崎は私の電話番号を知っているのは間違いないし、録音している可能性もあったから会話には凄く気を遣った。写真だって、小学生時代の分はうまく取り上げたけれども、こうして今また会ったときにこっそり撮られていたかもしれない。もっと言えば、日記のような形であいつが私について何か書いていれば、警察が私に注意を向けるのは絶対確実だと思える。なのに、何もなし。
 姉崎は、私に関する記録を一切残していなかったのか? だったらラッキーなんだけど、そう思い込むほど私は子供じゃあない。
 きっと、ちゃんとした理由があって、調べに来ないんだ。それがいいことなのか悪いことなのか、判断はつかない。とにかく、審判の下る期日を決められないまま待たされている感じが、途轍もなく嫌な心地。
 こんな心理状態だと、大手の事務所の偉いさんが見に来る日も集中できなくて、つまらないミスをしてしまうかも……。

             *           *

「僕がやりました」
 矢代実和は同じ主張を繰り返した。
 やってもいない殺人の罪を被ることが、今後の人生にどんな悪影響を及ぼすか、想像できない彼ではなかったが、そのマイナスを補ってあまりある、大いなる喜びに満たされることを彼は選んだのだ。後戻りはもうできない。
 あの日――矢代が追っかけをしているアイドル・上地幸音鈴かみじさおりのプライベートを知るべく、尾行をした日を思い起こす。矢代は途中で異変に気付いた。
 発信器の信号と、目の前を行く上地幸音鈴との動きがずれてきた。
 あの日は千載一遇の好機だった。だから、奮発して高性能の小型発信器を電気街で前もって購入しておいた。ただ、最初から彼女に発信器を取り付けられるなんて、気安く見通していた訳ではない。チャンスがあったらぐらいの気持ちだった。なので、ほんとにチャンスが訪れたときは、少々焦って興奮してしまった。電車の中で上地幸音鈴と異常なほど近距離まで接近できたからだ。荒くなった鼻息で気付かれるのではないか、周囲から痴漢と思われるのではないかと心配になったが、杞憂に終わり、発信器を無事に彼女の服の背中に取り付けることに成功した。
 それ以降の追跡は、発信器の所在を示すモバイルの画面を時折チェックしつつ、上地幸音鈴の後ろ姿を見失わぬよう、付かず離れず動いていたのだが。
 着替えてもいないのに、発信器の動きがずれを生じたのは何が原因か? トイレで発信器に気付いた彼女が取り外し、水で流してしまったか、他人にこっそり付けたかと思った。しかし、眼前の少し先を行く上地幸音鈴を見つめる内に、はっとなった。
 あの女、上地幸音鈴じゃない。
 理論立てての説明は無理だが、矢代には分かった。上地幸音鈴に似せた女だと。この現実を前にして、下した結論は一つ。トイレで入れ替わったのだ。発信器が上地幸音鈴に付いたままなのだから、偶然同じ服を着ていたのではなく、計画的に準備して同じ服にしていたことになる。そんなことをする理由も気になったが、それよりも何よりも、自分は上地幸音鈴を尾行せねばならない。他の女を追い掛けても何の意味もなく、人生の無駄である。
 矢代は発信器の信号を頼りに、本物の上地幸音鈴を捜し求め、見付けた。息も切れ切れになっていたが、努力して平静を装い、彼女の尾行を続けられたのは我ながら誇らしい。だが、彼のそうした幸福感は、約一時間後にひびを入れられる。
 崇拝の対象とも言うべき上地幸音鈴が、男を殺した。
 矢代はショックを受けた。アイドルの殺人行為そのものも多少はショックだった。それ以上に彼女が、誰も関心すら示さないであろう寂れた公園で若い男と二人きりで会い、しかも殺し殺されるというような関係にあったことの方が、より大きな衝撃だった。
 矢代は初めの衝撃から脱すると、今さらながら上地幸音鈴の狙いに思いが至った。僕はアリバイトリックに利用されたのだ――ああ、なんて僥倖だろう。光栄の極み、これを甘んじて受けなくて、何がファンだろうか。
 しかし、矢代はそれだけでは飽き足りなかった。もっともっと、彼女のためになりたい、身を投げ出してでも犠牲になってでも、上地幸音鈴を守ろうと強く思った。
 だから矢代はまず、上地幸音鈴が去ったあとの殺人現場に止まり、植え込みの一部をなす大きめの石を持ち上げると、横たわる男の頭に打ち付けた。男がその時点で死んでいたのか、まだ息があったのかは知らない。とどめを刺すというよりは、上地幸音鈴が残した刺し傷とは全く異なる損傷を男の身体に付けるためだった。こうしておけば、万が一にも彼女が警察に捕まり、厳しい尋問に耐えかねて自白したとしても、現場と状況が違うのだから、捜査員達も犯人だと断定するのを躊躇うに違いない。
 その上で、矢代は決意をしたのだった。男を殺した犯人として名乗り出ることを。動機は、僕の好きなアイドルの悪口を男が言うのを耳にしたから、とでもしておけばいい。今時の若者の無茶苦茶な犯行動機と捉えてくれるんじゃないか。
 未成年だから、自分の情報が簡単に公になることもなかろう。その点、気が楽だが、少し残念でもあった。顔写真も名前も表に出ないのなら、上地幸音鈴に自分の英雄的行いを知ってもらえないかも?
 まあいい。彼女のために自首すると決意した瞬間は、人生の中で最大級に至福の時だった。それを思い出に、生きていける。

――終

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