掌編小説『うりうりがうりうりにきて』

        あらすじ

 “私”にはこの世から葬り去りたい奴がいる。だが捕まる気はない。やるのなら完全犯罪だ。
 よい方法を思い付かないでいた“私”に光明が差したのは、外見が“私”とそっくりな男と巡り会ったときだった。

         本文

 俗に『世の中には自分にそっくりな人が三人はいる』と言うが、由来は何なのだろう? 最初に言い出した奴は、この通りの体験をしたのであろうか。仮に実際に起きたのだとしても、一個人が体験しただけでは俗説にまではなるまい。
 私自身はもちろん信じていなかった。赤の他人なのに、私と瓜二つの人間があちこちにいるなんて、馬鹿々々しい。
 だが、そんな私の考えが今日、ひっくり返された。そっくりな人物はやはりいるものだと実感できたのだ。
 私、二俣和興ふたまたかずおきと瓜二つの顔貌を持ち、歳や背格好までが極々近い男が、目の前にいる。男の名は宇多田守男うただもりおといった。
 私は宇多田の気を惹くことに努めた。それはじきに奏功し、私のひいきとする隠れ家的なバーで、落ち着いて話をすることになった。
「なるほど。株で成功した人が酒を飲むのは、こういう店なんですね」
 ボックス席に収まると、宇多田が視線を私にじっと合わせ、感心した風に言った。私にとって格別高級な店ではないが、常に静かな雰囲気が漂い、他の客も店員も、必要以上に互いを詮索したり干渉したりしない。秘密の話をするのにもってこいの空間だった。
「外見が似ていても、どこをどう間違えたか、私はしがない月給取り。嫁さんでもいれば生活に張りが出るかもしれないが、そちらの方もつい最近、糸が切れたばかりで……」
 水を向ける前から、宇多田は愚痴混じりに暮らしぶりを語り始めた。私としては好都合だ。彼が殺したいほど憎い人物がいれば、こちらも話を持ち掛けやすい。
 そう、私には憎んでも憎みきれない相手がいる。そいつを葬るために、宇多田が協力してくれれば、大いに助かる。もしこちらの計画に乗るようであるなら、私も彼の憎い相手を始末するのに、一役買う意志があった。
「つまり……」
 声を潜め、私の“共犯候補”が確認してくる。
「私達似たもの同士で、各人のアリバイを確保する。その上で、ターゲットを亡き者に……」
「その通り。警察に疑われ、犯行時刻の行動を尋ねられても、アリバイで守られているから、全くの安全圏にいられる訳だ」
「ふむ。悪魔的誘惑に満ちたお話ではある」
 宇多田が私をちらりと見た。私も見返す。宇多田は私のおごりでそれなりの量のアルコールを身体に入れ、多少酔っているはずだが、顔色は最初とほとんど変わらない。
「それで、誘惑にはまる気はおありかな?」
「本気で言っているのだったら、お受けしてもいいなと思い始めたところです」
 宇多田の返答はしっかりしていた。
 彼の殺したい相手とは、井野川礼子いのかわれいこなる女だった。てっきり、婚約寸前まで行った元恋人だと思ったのだが、違った。会社での上司だという。詳細までは話してくれなかったが、この井野川は「これまでは男が女を踏み台にしていい目にあってきた。これからは立場が入れ替わり、女が男を踏み台にして当然」と考えている女性で、宇多田もその犠牲になって、出世を阻まれたようだ。未婚で独り暮らし、恋人の類もいないらしい点は、殺す側にとってやりやすいかもしれない。
「私は本気で提案している。あなたが今ここで、話に乗ると返事をし、なおかつ口外無用を誓うなら、より詳しい計画を話そうと思う」
「……チャンスは一度きりですかね?」
「ええ、今しかない。考える時間がほしいのはよく分かるし、こちらも時間を与えたいのは山々だがね」
「ふむ。普段なら私、こういう話には慎重になるんですよ。いやいや、殺人の話じゃなく、うまい儲け話とかね。でも、今夜は不思議と慎重じゃないようで。自分と同じ顔の人間から持ち掛けられたせいですかね、これは」
 決まった。

 私の計画は、いたってシンプルなものだ。
 まず、自分のターゲットは自分の手で始末する。これを原則とする。その上で、共犯者が殺人を実行している間、アリバイを作ってやる。これだけ。
 たとえば、宇多田が井野川を殺害している時刻に、私は宇多田になりすまして、殺害現場から遠く離れた場所で目立つ行動を取り、宇多田のアリバイを作る。後日、宇多田が警察にアリバイを聞かれたとき、彼がすらすらと答えられるよう、事細かに内容を伝えておくことが肝心だ。必要が生じれば、写真を撮ったり、ビデオカメラを回したりするのもよかろう。
 二度目に会ったとき、こういったことを説明すると、宇多田はちょっとした異議を唱えてきた。
「殺したい相手を入れ替えた方がよくありませんか? 交換殺人と言うんでしたっけ」
「我々は顔が似ているんだから、交換殺人をするまでもなく、アリバイ工作は容易いが……。交換する方がいいと考える理由を、聞かせてもらってもいいかな」
「いえね、他の人はどうだか知りませんが、私はいくら憎い相手であっても、知っている人を殺すのは、ちょっと心理的抵抗が……。知らない人をやる方が、よほど気楽だと思う。それに、私が殺意を秘めて前に立つと、井野川女史、勘付く気がするんです」
「なるほど。そういうタイプの人がいるのは、よく理解できる」
「だめでしょうか」
 不安げに視線をよこす宇多田。ここ手を退かれてはかなわない。それに、彼の提案は私にとってもメリットがある。宇多田の言う通りに計画を変更すると、顔が瓜二つである利点がどこかに行ってしまい、単なる交換殺人と同じになるが……。反面、本人がアリバイ作りの役を務める訳だから、内容を伝え合う面倒が省ける。それに、指紋の付着を気にしなくてよいのは大きい。それどころか、アリバイを確固たるものとする積極的な証拠になる。
「念押しするが、宇多田さん。あなたは私が指定した相手を殺せると断言できる?」
「大丈夫、必ずやります。そのターゲットが偶然にも私の知り合いでない限り、問題なくやり遂げてみせますよ」
「結構。あなたがやれるのであれば、問題はない。近い内に、ターゲットに関する情報を交換するとしましょう」

 宇多田守男に初めて遭ってから、およそ四週間後。
 私は井野川礼子を殺害した。初めての殺人だったが、予想していたよりずっと簡単に済んだ。井野川が私の顔を見たかどうか知らないが、もし見たのなら、宇多田だと思ったろうか。
 計画が冗談でも空想でもなく、本気であることを知らしめると同時に、共犯者からより一層の信頼を得るためにも、発案者たる私が率先して行動に移す必要があった。
 無論、これで共犯者に知らん顔をされてはたまらない。故に、保険を掛けておいた。一例を挙げると、井野川を殺害した凶器――大型のプラスドライバーには、事前に宇多田の指紋を付着させた。これを秘密の場所に隠し、宇多田がしらばっくれて殺人に着手しない場合、警察に届けることにしている。
 尤も、私が選んだ共犯者は、思った以上に計画に乗り気かつ忠実で、裏切りの欠片さえ見せなかった。保険を行使する日は来るまい。
 さて。
 私、二俣和興がこの世から葬り去りたい人物は、厄介なことに三人もいる。
 元恋人で、私を手酷くふった上に恥を掻かせた荒谷良美あらやよしみ。親友面してその荒谷を私からかっさらった鷹見秀たかみしゅう。この二人、現在は別れて各自、新たな恋人と付き合っていると風の噂に聞き、私の怒りはますます淀んだ。調べてみると、住居もそれぞれ岩手と佐賀に構えている。
 そして三人目は、荒谷に頼まれ、私をはめた奥菜直美おきななおみ。奥菜の別れさせ屋顔負けの芝居のおかげで、私は荒谷と別れたあとも、しばらく後ろめたい気持ちでいたのだが、からくりを知った今は忌々しい。奥菜は地元の福井で暮らしていると把握済みだ。よくもまあ、うまく散らばったものだ。
 荒谷、鷹見、奥菜。
 この三人の内、宇多田には誰を殺させようか。ちょっとした悩みどころだが、早く決めなければならない。交換殺人の共犯者とは、極力接しない方がいい。共犯でいる期間も短ければ短いほど、捜査陣にかぎつけられる確率は下がるはずなのだから。

           *           *

 刑事の免田めんだが同僚とともに、東京のRにある二俣和興宅を訪れると、先客がいた。男の二人組同士が玄関で鉢合わせした格好だが、スペースを広く取っているため、肩さえぶつかることはなかった。
 何者だろうと互いに牽制し合う二組の眼前には、二俣和興が立っている。彼が言った。
「先ほど、インターフォンで警察の方と仰いましたが、確かですか?」
「もちろん。この通り」
 手帳で身分を示す免田ら。
 二人の手元を一瞥してから、二俣は先客の二人組を指差した。
「失礼をしました。こちらの方達も警察だと言っていましたので」
 何?と目を剥く免田。先客二人の内、年配の方が軽く頭を垂れ、警察手帳を開きながら自己紹介をした。
「福井から来た、一課のくらと言います」
 物腰は丁寧だが、目つきは鋭い。
 免田は同じように自己紹介をした。「佐賀の免田です。殺しの捜査の一環でここに来たんだが、おたくは何の?」
「奇遇と言うべきかどうか分からないが、同じですよ。殺人。こちらの二俣さんと関係のある人物が、先々週の土曜に殺されましてね」
 二俣が、「さっきも言いました通り、今は関係ありませんよ」と唇を尖らせるが、その抗議を遮る形で免田は蔵の台詞の一部を繰り返した。
「先々週の土曜? それ、確かか? 間違いなく、なんですかね?」
「間違いありません。ひょっとすると、そちらの抱えている事件も、先々週の土曜に起きたとでも?」
「う、まあ、そういうことです」
 事前の腹づもりでは日時を伏せたまま、二俣和興のアリバイを確認するつもりであったが、この成り行きでは仕方あるまい。
「佐賀に知り合いはいませんが……」
 怪訝そうに眉根を寄せる二俣。免田はこの機会を捉え、事件をざっと説明した。
「被害者は鷹見秀だ。覚えがないとは言わせないよ、二俣さん。学生時代からの友人だと、調べは付いている」
「ああ、鷹見か。嫌な思い出として記憶に残ってますね。しかし、佐賀にいたとは知らなかった。まあ、彼に恨みがないと言えば嘘になるが、佐賀のどこにいて、どこで殺されようと、私は事件に無関係です。先々週の土曜日なら、私は東京にいましたので」
 気負うでもなく、饒舌すぎることもなく、日常会話の延長のように二俣はアリバイを述べ始めた。免田の横合いでは蔵達が首を傾げたり、苦々しい表情を見せたりしている。
 二俣の主張するアリバイは、先々週の土曜日は、午前中は雑誌の取材や対談で時間が潰れ、午後は三時から夜八時まで、某ファッションブランドが東京に新規出店したショップのお披露目パーティに出席。その後は、当日知り合ったばかりの人を含めて、数人で行きつけのレストランやバーなどを渡り歩いていた、というもの。即座に出せる証拠として、パーティにおいて彼の映った写真を多数見せられた。
「無論、合成じゃありません。今からでもこのお店に行っていただければ、証人は見つかるでしょう。――ああ、それに指紋があるはずだ。純金のプレートがケース入りで飾られているんです。一般オープン前のお披露目パーティの時点では、プレートはまだケースに入れられておらず、出席者は触り放題だった。私も少しですが触れてきたので、多分、残っているんじゃないかな。他の人があとから強くなでていたら、消えているかもしれませんが」
 二俣の自信に裏打ちされたものであろう平静ぶりに、免田は判断を迷わされる。ともかく、確かめてみないことには始まらない。雑誌の出版社及び数々の店の詳しい所在地を聞いて、メモを取る。
「念のために窺いますが、鷹見は土曜のいつ頃、殺されたんです?」
「……おおよそ、午後四時から六時までと思われます」
「教えていただき、感謝します、免田さん。それにしても、大変な偶然だ」
「何がです? 同じ日に昔の知り合いが殺されたってことがですか」
「それだけじゃなく、時刻も重なっているんですよ」
 かすかに表情を崩し、二俣は蔵刑事の方に首を振る。免田は思わず、「え?」と叫び気味に言った。
 蔵は何度も首を傾げつつ、認めた。
「こちらの被害者、奥菜直美という女性ですが、彼女も先々週の土曜、午後四時からの二時間に殺されたものと見られます」
「……何だか……」
 おかしいな、という言葉は呑み込む免田。今はアリバイの確認が先決だ。それとともに、この家を出たあと、蔵達と情報交換する必要がありそうだ。
「とりあえず、あなたの話が真実であることを確かめないといけませんので、ここいらで一旦――」
 辞去の意を告げようとしたその刹那、インターフォンのものらしき音がした。二俣が「しばらく失礼をします」と言い、少し奥まった場所まで下がった。どうやらそこの壁に、応答するためのパネルが設置されているらしい。
 二俣の声は、最初はぼそぼそと聞こえにくい音量だったが、不意に、「え、警察の方なんですか?」との台詞だけ、大きく聞こえた。
 免田達と蔵達は反射的に顔を合わせた。まさか……というつぶやきが口をついて出る。
 やがて二俣が戻って来た。苦笑を禁じ得ない、そんな顔付きになっている。
「今度は警視庁の方で、野堀のぼりという人らしいです。何でも、岩手県警から依頼があったとかで、確認したいことがいくつかあるんだそうですよ。私も薄気味悪いものだから、いつ起きた、どんな事件についての話なんですか?と尋ねたら、日付だけ教えてくれました。先々週の土曜だと。すぐに来られますから、詳しいことは皆さんと一緒に聞くとしましょうか?」

           *           *

 荒谷良美、鷹見秀、奥菜直美。
 三人が被害者となった別々の殺人事件について、アリバイが成立することをまとめて提示できた私は、刑事達ご一行が帰るのを愉快な心地で見送った。もちろん表面上は、早期の解決を願う、真面目な態度で通したが。
 あの分ならアリバイ証明は完璧であっても、しばらくは疑われるかもしれない。ちょっとやり過ぎだったかと思わないでもない。しかし、荒谷、鷹見、奥菜の三人を、同時刻に葬るという犯罪行為の児戯的魅力に、私はどうしても抗せられなかったのだ。
 改めて思い起こす。宇多田守男を見つけたときの気持ちを。あれは恍惚感さえ覚える瞬間だった。
 何しろ、自分自身にそっくりな男を見つけた、それも、三人目●●●のそっくりな男を見つけるという、俗説を地で行く事態が起きたのだから。

――終

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