100回目のダイイングメッセージ

      あらすじ

町内会の旅行先で初老男性が殺される。遺体のそばには「百」という血文字が残されていた。担当警部から相談を受けた探偵は、ダイイングメッセージにあまり興味が持てず、適当な推理を繰り広げるが、ある異様な状況を知らされて、本気になる。

       本文

「今日はどんな事件ですか、警部?」
 いわゆる名探偵の流山ながれやま探偵事務所を訪ねた長野ながの警部は、にこにこ顔で歓迎された。難事件に困って相談に来たのだと決め付けられている。そう思うと、しゃくではあるが事実なのだから仕方がない。
「流山さんが好きそうなタイプですよ。ダイイングメッセージってやつ」
「ダイイングメッセージはあんまり好きじゃないなあ」
 揉み手をやめ、椅子の背もたれに身を預ける流山探偵。六畳ほどの応接スペースに、軋む音が短く響く。
「そうでしたか。いかにもミステリっぽくて、小説や映像作品でもよく見掛けるなと思ってましたよ」
「作り物の世界ではね。ダイイングメッセージのネタは、比較的簡単に作れるから。出来不出来は別にして、それを使った作品が多くなるのは必然。襲われた被害者が助けを求めず、死を早々と覚悟して、捻ったメッセージを薄れ行く意識の中ひねり出すなんて現実味がないけど、完全否定もできない。さらに――」
 ひとくさりけなして終わりかと思いきや、まだ続きがあるようだ。長引くと察した警部は、話を元に戻しにかかる。
「申し訳ないが流山さん。無駄に時間を過ごしたくない。依頼を受けられないのであれば、私ゃさっさと退散するとしましょう」
「いやいや、事件の概要すら聞かない内に断れませんよ」
 再び揉み手をすると、流山探偵はデスクを離れ、長野のいるローテーブルの方にやって来た。互いに向き合う形でソファに収まったところで、ようやく本題に入る。
「被害者は浜谷勇はまやいさむ、六十六歳男性。遊具メーカーを定年退職後、熟年離婚で独り身になるも特に不自由せずに暮らしていたようです。というのも蓄えがかなりあり、個人的に金貸しをやっていたと。まあ、それが殺された動機につながるかもしれんのですが。先月の七日、町内会の旅行に参加して、ちょうど十名で温泉宿に一泊した。一晩明けてみると、宛がわれた部屋で、浜谷が死んでいた。備品の重たい灰皿で、後頭部を殴られておりました。大量出血による失血死。で、被害者は自らの血を使って、床というか畳の上に『百』と書き残していたんです。しっかりと、こう――」
「それはアラビア数字なのか漢字なのか。あるいはまさかの仮名文字で『ひゃく』?」
「あ、ええっと、漢数字ですな。で、面倒なことに、旅行に参加した残りの九人の内、六人までもが浜谷から金を借りていた。額は上は百万単位で、下は十万前後。返済期限が迫っていた、もしくは過ぎてしまっていたのが四人」
「旅行に参加する金があるなら、早く返してくれよとなってもおかしくない」
「私らもそう睨んでいます。ところが、ダイイングメッセージのおかげで、ちょいとおかしなことになってきた。実は、参加者――容疑者の中に、百田達吉ももたたつきちという男がおり、こいつで決まり!的な空気でしたが、アリバイが確認された。この百田、夕食後に悪酔いしたとか言って早々に部屋に籠もったように装い、実際には宿を抜け出て、近くに住む愛人のところへ行っていた。それだけなら信憑性に疑問が持たれるが、いくつかの防犯カメラにも、いそいそと夜道を歩く百田の姿が捉えられており、これは認めざるを得ないなと」
「状況は分かりました。他の容疑者の名前を教えてもらえますか」
 探偵の求めに応じ、長野警部は手書きのメモを渡した。予め、用意しておいたもので言及済みの百田も含まれている。

百田達吉ももたたつきち

手塚朱美てづかあけみ

小村桃子こむらももこ

万代史郎ばんだいしろう

白戸一しらとはじめ

木田沼栄樹きだぬまえいき

「被害者に借金をしていた六人です。百田以外で、百を当てはめられる人物はいますかね」
「その前に確認だけど、百田達吉以外のアリバイは不成立?」
「そうなってます。一晩中アリバイを確保できてる人間なんて、普通はいません」
「確かに。さて、百に当てはまりそうな人物となると、まずは小村桃子かな。桃と百を勘違いした」
「いやいや、いくら何でもそれは」
「冗談です。だが、こうして見渡しても、冗談めいたものしか浮かばないな。白戸一は白と一、白の上に一を乗せれば百になる」
「……まあ、捜査会議でも、ダイイングメッセージの百は元々は白で、それに気付いた白戸が一を書き足したのではないかという意見は出ましたが」
「うん、そうなんだ。ダイイングメッセージってのは、犯人や第三者による付け足しか消去、あるいは全面的な破壊、全面的な偽装というのがあり得るからねえ。可能性が広がりすぎて、かえって面白味に欠けるきらいがある」
「面白味云々は知りませんが、物証として認められるか否か、ボーダーライン上であるのは確かです」
「もう少しこねくり回してみましょうか。英語で百を?」
「え、ワンハンドレッド?」
「そう、ハンドレッド。これをハンドとレッドに分解する。綴りは異なるんだが、ハンドとレッドを日本語にすると?」
「手と赤、ですか」
「赤を朱色だと解釈すれば、手塚朱美が怪しいとなる」
「はあ」
 こじつけの度が過ぎていて、何と反応していいのか困る。
「まだある。百の上の部分をクロースアップすれば、片仮名のエに見えなくもない。これはエイキと書こうとして、途中で力尽きたのかもしれない。その血文字に気付いた木田沼栄樹は、とっさの機転でエに書き足して百にした。この手法は、万代にも当てはめられそうだね。ああ、一万は百かける百だ。現場に百という血文字は二つなかったかい?」
 流山探偵は大いに笑った。冗談のつもりで言ったらしいが、長野警部は首を縦に振った。
「実は……流山さんが前のめりに推理を始めたので、言いそびれていましたが、百の血文字は複数個見付かっています」
「ええ? 早く言って欲しかった」
 目を丸くして驚き、次に口を尖らせる探偵。
「で、いくつあったの? やっぱり二つかな。だからといって、万代を犯人とするのも躊躇われるけれども」
「それが、数え切れないくらい多かったんです」
「ほう?」
「もちろん、実際には数えましたよ。捜査員二人がそれぞれ数えてみました。重なり合った箇所もあって、正確なところは判断が難しいのですが、百文字というか百個はあった」
「な、何ですそりゃあ。殺害現場に百という血文字が百個!」
 この件で初めて流山探偵が、本気で興味を持った瞬間だった。
「そんなにたくさんの字を、瀕死の被害者が書けるはずがない。これはもう犯人の仕業でしょう」
「警察も概ね同意見ですが、その先がさっぱり進まない。理解できない行動としか」
「うーん、攪乱するにしても百回はやりすぎ。そんなことをしている暇があれば、現場から一刻も早く立ち去るのが当たり前……。念のために伺いますが、犯行現場の畳は赤系統の色をしており、血で描いた文字が読みづらいなんてことはありませんよね?」
「無論です。そんな特殊な事情があれば、会議で上がってきます」
「ということは、部屋の電球が赤く塗られていて、灯すと赤系統の光が放たれるなんてこともないと」
「ええ、請け負いますよ。血文字を書いたが赤が読みにくかった、という状況ではなかった。そもそも、そんな理由だったら、犯人も程なくして気付くんじゃないですか。灯りのせいで見えにくかっただけだって。百回も書き続けるとはちょっと信じられんです」
「警部の仰る通りだ。では、他に考えられるのは……犯人は恐慌を来していた。パニックに陥っていたとしたら……」
 手のひらを擦り合わせ、沈思黙考に入った流山探偵。目を閉じて集中し、次々と可能性を検討しているときのポーズだ。それを承知している長野は邪魔せぬように静かに見守る。
 五分強が経過したところで、流山が目をしっかり見開いた。
「もう一点だけ、馬鹿げた可能性を潰すための確認。赤系統のサングラスを持って来ていた者はいませんでしたね?」
「いなかったはずです。町内会の温泉旅行でそんな変わった物を持ってきたら、目立って仕方がないでしょうし、犯行時に装着する意味も不明だ」
「結構。ではこれでしょう。事件後、字をまともに読めなくなった人物がいると思う。恐らく隠しようがないから、検査すればすぐに明らかになるはず」
「字を読めなくなった? そいつが犯人だと言うんですか」
「十中八九ね」
 言葉とは違い、百パーセントの自信がありそうな流山探偵。
「恐らく犯人は犯行時、被害者と揉み合いになり、頭を打つか何かして、失読症になったんじゃないかな」
「失読症、ですか」
 おうむ返ししてみたものの、ぴんと来ていない長野警部。
「大雑把に説明すると、脳へのダメージ等の後天的理由により文字を読めなくなる症状と言えばいいかな。文字が歪んだりぼやけたり、あるいは逆さ文字になったり、点描画のように見えたりするそうでしてね。想像するに、犯人は自らの小細工した血文字が、点描のように見えたんじゃないだろうか。ほら、畳は表面が細かい升目になっているとも言えるでしょうが。あそこに文字をドットで点々と描いたとしたら、凄く読みづらくなるに違いない」
「はあ、まあ、何となく想像はできます。で、どう百個の百につながるんで?」
「突然、失読症になった犯人は大いに慌てたろうね。自分の書いた文字が自分で理解できないのだから、慌てるどころじゃ済まず、パニックになった。百田に罪を擦り付けるべく、必死になって何度も百と書いたが、どうやっても百と読めない。数が百を超えるくらい繰り返した時点で、ようやく諦めが付いたか被害者の血が乾いてしまったか、書くのをやめて現場から逃げた」
「……何とか飲み込めました。早速調べるとしましょう」
 立ち上がった警部は、ドアを開けて出て行く前に、しっかり立ち止まった。振り返って、探偵に話し掛ける。
「謝礼は答がはっきりしてからでかまいませんかね」
「待ちましょう。調べればすぐに分かることだから。百聞は一見にしかずと言うしね」

――終

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