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「ある」ものは「ない」ものより重視される、他者(社会)との関わりを通して生まれる自我(人格)


人間の脳にはもともと、
変わることを支える力が
あることがわかっています。
まず、鍵になるのは
「偶有性」という言葉です。
偶有性とは、半分は決まって
いるけれど、半分はどうなるか
わからないこと。


少し難しくいうと、
半分は規則的で、あとの半分は、
偶然に左右されるということです。
たとえば、人の会話がそうです。
ある程度はそれまでの流れなどから
決まりますが、残りはどう展開して
いくかわかりません。


人生も決まっているようでいて、
決まっていない。
”どうなるかわからない”ことを
脳は大事な要素として動いています。


逆にいえば、
決まり切ったことばかりだと
脳本来の働きが死んでしまいます。
ある程度までは予想できるけれども
あとは何が起こるかわからない
偶有性の中で、うまく生きていくために、
脳は進化してきたからです。


もちろん、人間の脳はある程度、
遺伝子で決まっています。
たとえば、知能指数で言えば、
一卵性双生児の調査で、
全体の50%が遺伝子で決まる、
とされています。
しかし、あとの50%は生まれた後に
何を経験し、学ぶかで変わってくる、


アメリカで詳細な研究が行われて、
現在では、性格形成における
親の影響は2割、ほかの人の影響が
8割と言われています。
私たちは人生の中で実に多くの人と
出会います。


私自身もこれまでの人生で、
いろいろな人にお会いしてきました。
そのお目にかかったさまざまな方から、
あるいは感動した映画や強い影響を
受けた本など、そういうものとの
巡り合いの総体として、
少しずつ影響を受けて「人格」は
つくられていきます。


「天才」や「超一流」と呼ばれる
人々は、実績や作品だけを目にすると
私たちと遠くかけ離れた偉大な存在に
感じてしまいますが、
実は誰にでもできる習慣をコツコツと
続けていることがわかります。


私たちも毎日やっている習慣として
たとえば、
健康のためのランニングや食事、
知識を増やすための読書など、
逆にいえば、これからもまだまだ
いろいろな出会いがあるでしょうし、
それによって変わっていくと
思います。


本来、キャラクター(character)
とは「性格」「人格」という意味で、
キャラという言葉はもともと
ゲームやマンガ、アニメなどの
登場人物=キャラクターの略称として
1980年代から用いられるように
なりました。


ある個人がしっかりした
キャラを持っていることを
「キャラが立っている」と言い、
そうでない場合には
「キャラが薄い」と称される、
また、ひとつの集団内で
同じキャラが二人以上いること、
つまり、
「キャラがかぶっている」場合には、
その人の居場所が危うくなる、


今や小学校から大学まで、
子どもや若者たちの対人関係や
自己のあり方を知るうえで
キャラに関する理解は欠かせない、
なおかつ、それは決して
若者に限った現象ではなく、
政治家ですら、自他のキャラを
取り沙汰するほど、
現代の日本社会全体に浸透した
現象でもあります。


したがって、キャラ化した
対人関係と自己のあり方を
考えることは、現代を生きる
全ての世代にとって極めて
根本的な問題であると
言えるでしょう。


発達心理学的の観点によれば、
現在キャラをもっとも色濃く
生きている思春期・青年期の
若者にとって、最重要の発達課題は
アイデンティティの確立だとされて
きました。
そうした従来の見方によれば、
キャラを生きることは、
ペルソナや偽りの自己に支配され、
真のアイデンティティが
確立されていない状態であり、
発達上の問題を抱えている状態と
捉えられるのではないでしょうか。


しかし、それは従来の理論を
現象に当てはめているだけであり、
あくまで今現実に生じている現象に
立脚して理論を見つめ直すこと、
すなわち、
現代の対人関係と自己のあり方を
改めて”心理学的に見直すこと”が
必要なのではないだろうか、
そのとき、キャラ(人格)という現象は
私たちに新しいパーソナリティ発達の
あり方を示してくれるのでは
ないかと思うのです。


しかしながら、
キャラが変わること=”キャラ変え”には
周囲から強い抵抗感を持たれるし、
自分自身で自分のキャラを変えることは
かなり困難なのですね。


世間では「自分さがし」とか
「自分に正直に」といった
言葉が聞かれますが、
人間をはじめ、生物の感覚器は
皮膚組織が発展したものであり、
すべて外を向いています。


目も、耳も、自分以外の存在を
感知するための器官であり、
自分の中を知るための機能はなく、
自分の顔や頭の後ろ、
背中などは見えないし、
ましてや内臓となれば、直接その存在を
自らの目で確かめることは
不可能であります。


心や意識を司る脳をはじめ、
体内のいろいろな臓器に対する
実感はなく、自分自身の状態や
意識を直接観察することはできない。
普段から自分で自分のことが
わかっているつもりの人間でも、
自分の体の中を見ることすら
できないのですね。


ここに2種類の数字の列が
あります。
ひとつ目①は
次のような並びです。
これらの数字に共通するものは
何でしょう。

①724、947、421、843、
 394、411、054、646


ふたつ目②は
次のような並びです。
これらの数字に共通するものは
何でしょう。

②349、851、274、905、
 772、032、854、113


①の答えは→
全て「4」という数字が含まれている、
おそらく、②のほうが難しく
感じられたのではないでしょうか。

②の答えは→
どの数字にも「6」が含まれていない、


これらのふたつの質問に
答えてみると、
「欠けているものを見つける」のは、
「存在するものを認識する」よりも
ずっと難しいということがわかります。
別の言い方をすれば、
「そこにあるものには、ないものよりも
ずっと重きが置かれる」、


つまり、
「存在しているものは、ないものより
ずっと価値があるように感じられる」、
存在するものに過剰に価値を
置いてしまうということです。


経済学者たちはこの現象を
「特徴肯定性効果」と呼んでいて、
”予防キャンペーン”にも
活かされています。
たとえば、わかりやすくいうと、
「禁煙は肺がんの原因になります」
というほうが、
「禁煙しなければ肺がんにならない
人生を送れます」というよりも
インパクトはずっと強くなります。


特徴肯定性効果のために、
私たちはネガティブなアドバイス
(Xはしないほうがいい)より、
ポジティブなアドバイス
(Yをしたほうがいい)のほうに
耳を傾けてしまう、
私たちは「起きていないこと」
について考えるのが不得意で、
「存在しないもの」は認識できない。


つまり、
私たちの世界にあるもの全ては
「エネルギーが変形したもの」であり、
エネルギーは、誰かの意識が
介在しないと具現化しません。
このことは、量子力学の素粒子の
「二重性」でも科学的に
解明されてきています。
言い換えれば、
まだ起きていない現実は
エネルギーの状態で、
人が意識して具現化したことが
現実に現れるということです。


ヒトが持つ特徴肯定性効果は、
一見すると当たり前で取るに
足らないことのように聞こえますが、
実は幸せな人生を歩むためのカギ
でもあります。


では、どうやって自分自身の
ことを自覚するのでしょうか?
それは、他者を観察することで
はじめて、自分自身を類推することが
できるというものです。


心や感情という実体のないものも、
他者との社会的な関わりの中で
その存在が確信できるものになっていく、
相手に心があると思うから
自分にも心があると信じられる。
他者を観察することが、自分を理解する
ことにつながるのですね。


他者の気持ちを考えたり、
コミュニケーションをとったり
することは、自分自身について
考えることと同じこと、
自分の中を直接見ることはできないが、
他者を見て、相手に感情があるとか
意識があると感じられれば、
自分も同じように感情や意識が
あると思えるというもの。


もし、この世にたった一人の
人間しかいなければ、
他者との比較も生じないし、
コミュニケー ションのための
言語も生まれない。


つまり、
自分自身を認識することができない。
自我は、遺伝的に発現するように
あらかじめ準備されていますが、
他者とコミュニケーションをとることで
はじめて生成されるのですね。


人間は多くの他者と関わることで
自分の欲求や意図を知ることができ、
自分の意識が見えてきます。
他者との関わりの中で、
相手と自分との違いを知ることが
できます。


たとえば、フランス生まれの
ファッションデザイナー
”ココ・シャネル”は母を亡くし、
行商人の父によって育てられたため、
姉たちと孤児院に入れられて
しまいます。
しかし、孤児院での画一的で
粗末な服に嫌気がさし、
自ら別のスタイルを生み出して
着ていました。


彼女の意識は成人になっても同じで
コルセットや丈の長いスカートが
流行っていた時代に、動きやすくて
スタイリッシュな、他の人とは違う
自分流のアレンジをすることで、
”他の人と同じ服を着ない”
「モード(流行)」を生み出した
のです。 


また、70歳を超えた彼女は、
新進気悦のデザイナー
クリスチャン・ディオールへの
敵愾心から15年間の沈黙を破り、
表舞台に復帰し、復帰後の作品が
アメリカなどで再評価され、
過去50年間でもっとも大きな影響力
を与えたデザイナーとして表彰
されました。


多くの人間から少しずつ異なる
要素を取り込んでいくことで、
自分の中の側面を集めて
映し出していくことになる。
これが自分を理解するという
プロセスであるということ
でもあると思います。


脳が発達すると、未知の部分も
認識できるようになり、
わからないことがたくさんある
ということが、
次第にわかってきます。
そうなると、いろいろな面で
効率がよくなり、
他者の気持ちを想像してみるとか、
何をしようとしているのか
考えることができ、
社会生活を円滑にしている
外界にある面白いもの(こと)、
他のものに目線を向けることで
幸福感を得られるというわけです。


生物は、より高等な生物へと
進化する中で感覚器が発達して
いきます。
下等な生物では認識できなかった
外部環境が、感覚器の機能の
充実によって認識できるようになり、
外界を把握する外部観測の能力が
増加していくのです。


相手の心とさまざまな響きあい
をしながら生きていくために
大事なこと、
他人の気持ちがわかるためには
総合的な意味での学力であり、
他人の心を読み取る能力
(人格、哲学的な概念)
「心の理論」が必要になって
くるというわけです。


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