神様なんかじゃない
——ここは死者が通る島。不思議な事が起こる。会いたい人に会える島。
この何もない小さな孤島にはそういう言い伝えがあるらしい。この島は霊界とこの世界との狭間にあたるため死者の通り道なのだと言う。
本当か嘘かは証明できないだろうが、俺がこの島に来た時に、島の有能な神職が教えてくれた。
***
俺は、岸壁のすぐ横に立つ診療所の前の、古びたベンチに気怠い身体をあずけて座っている。
海向きにあるベンチからみる景色は、南国特有のソーダー水色の海が一面に広がっている。太陽に照らされ海は輝いていた。
時折強く吹く風に白衣がなびく。ベンチと診療所の間に立つ大きな杉の木の枝も、風を受け揺れている。
——俺は今、全てがどうでもよくてここにいる。
小さい頃、ある時から神様のように人を助けたいと思い、それから医者を目指していた。
そしてついに夢叶った。
しかし、それは思い描いていたものとはほど遠く、自分の考えの甘さに医者という仕事に魅力を感じなくなっていく。
医者は神様ではない。
患者全てが願う事を叶えてやるこなんてできない。どちらかと言うとできないことの方が多いのだ。それでも患者も医療者もみんなが崇める。
助けたい人も助けられず、病態を知ればこの先まで予想がついてしまう。それでも、その中で精一杯治療をおこなっていく。
こんな孤島の診療所に飛ばされた原因も、医者という職業への熱意がなくなり、気持ちがついていかなかったからだ。
当直の時に、交通外傷の患者の家族にどうしても助けて欲しいと言われた。勿論手はつくしたが、外傷がひどい。そして、患者自体の既往歴もあり、抗凝固剤も内服していた。それがあだとなり、頭の中では出血がどんどん広がり止まらない手術をすることもできない。
——もう助からない。
家族には手術できない理由や病状を説明をしたが、家族は諦めがつかずに怒り出し、俺を訴えると言いだいた。間違った処置や判断はやってなかったし、しっかり説明もおこなったつもりだった。
ただ、俺の諦めた気持ちや表情が家族の気持ちを逆撫でし、説明不足、対応が悪いととってしまわれたのだろう。トラブルは始めではなかった。
結局大学が患者家族に説明し、怒りも鎮まり訴えはなくなったが、俺はこの孤島に飛ばされた。
脳外科医がこんなとこにいたら手術の一つもできないのだから、いわゆるクビだと言われているようなものだ。
それでも、この島の人達は俺が来ることを本当に喜んでくれた。始めはいろいろ世話をしてくれたが、俺は誰とも馴れ合う気はなかった事を、そのうち島の人も感じとり、あまりよりつかなくなった。
診療所なのに必要最低限の時しか島の人も来ない。この島から船で1時間ほどで本土に行けることもあり、緊急でない限りはみんなそっちに行ってるんだろう。
俺は、生きたまま買い殺されている気分で毎日何もすることがなく呆然とすごしていた。
今日も何もする事がなく、いつもと同じこの青い海だけを抜け殻のように眺めていた。
突然ベンチの横に誰かが座った気配を感じ、顔を向ける。すると日に焼けた小麦色の肌に、につかわない、白衣に紫の袴、雪駄をはいた秋神空哉(あきがみくうや)が横ににこにこして座っていた。
「柚斗(ゆうと)は何してるの?もしかして元気ない?」
へらへらした顔で俺の顔に近づき顔色を伺う。
俺は、左手で近づいてくる空哉の体を制止した。
「神社暇なのか?」
「えーひどいよ柚斗!神職色々大変なんだよ?しかも誰でもなれるわけじゃないんだから!大学行って試験とかあるんだからね?僕それに結構優秀なほうなんだよ?」
「は?優秀?」
「そうだよ〜!僕霊感とかもあるから、優秀なの!僕のこと見直したでしょ?」
「霊感?」
「ここは死者が寄り道する島だから、結構いるから見るよ?」
「えっっ?」
俺は死者とか目に見えないものは、あまり信じてないが、空哉があまりにも真面目な顔でいうので、気味が悪くなりキョロキョロあたりを見回した。
空哉はそんな俺の行動を見て、嬉しそうに鼻で笑う。
「忙しいなら神社戻れよ」
「柚斗はツンデレだよね〜。今日はお誘いに来たんだ。夜台風くるらしいから、俺の家に避難しとかない?」
「台風くらいいいよ」
空哉は、わざとらしく溜息をして、人差し指を立て横に振る。
「この島に当たる台風の風はいつも強いんだ。ここに来たばかりだからわからないんだよ。診療所はあんな海の崖っぷちの横でしょ?しかも横にこんな大きい杉の木あるから。あ・ぶ・な・い!」
「いいよ。その時はその時だろ」
いつもへらへらしている空哉の顔が険しくなり眉間に皺がよった。
「柚斗……。そん時って……。医者でしょ?そんな事いっちゃだめでしょ!」
今度は俺の眉間に皺がよる。
俺だって本当はわかっている。医者として、いや。人として最悪な事を考えたという事くらい理解している。
でも一度闇に迷い込んだこの思考は止まらないのだ。どうにもならないのだ。もがいても、もがいても蟻地獄のように、はいあがれない。誰にも理解してもらえない。当人じゃないとわからないのだ。
また説教かと思った。
俺は舌打ちをし、空哉を残して診療所に歩いていく。わかっているのに動けない自分が嫌だった。自分に腹がたっている。自分が自分じゃないみたいなんだ。
「柚斗……」
空哉の悲しそうに俺を呼ぶ声だけが耳に残った。
***
夕方から急に雨風がでてきた。徐々にキツくなっていく。ボロい診療所はザーザーの雨の音以外にも、バリバリ、ミシミシの音が聞こえる。
家がきしむ音なのか?それとも窓の音なのか?家はコンクリートできていいるはずなのにこんな音がするなんてどういう作りなんだ?そんな呑気なことさえ考えていた。
夜中の0時をまわり、けた違いに酷い雨風に変わる。布団に入っていると、屋根に何かが落ちてきた。
『ガシャン!!』
大きい音と同時に家が揺れる。
そして電気も同時に消えた。
俺は自室で、停電になり真っ暗で何も見えない。ただ、『ポトッ。ポトッ。』とどこからか雨が部屋の中に滴る音がする。
都会と違って島の窓外の光は殆どない。暗闇の中、天井を見渡すが、この自室には穴が空いているようには思えない。
——診療所か?もしかして閉じ込められたのか?
真っ暗な部屋では視界をさえぎられ、音ばかりが耳に届き、悪い事ばかり考えてしまう。それでも今の俺は怖いものなんてない。人生を諦めているのだから。
——俺は死んでしまうのか?ああ……でもそれも運命かもしれない。仕方ないか……。
この状況で、逆に慌てることもなくどこか他人のことのように冷静になっていく。
——ドンドン……ドンドン
戸を叩く音だがする。こんな日、こんな時間に来るやつなんている?
部屋のドアを開け、住居部分から繋がる長い廊下の先の、診療所の玄関を見つめた。
——ドンドン…
「柚斗!大丈夫か?」
必死に誰かが叫ぶ声。こんな俺の所に来るやつなんてしれている。空哉だ。
こんな時間にこんな天候の中、空哉は俺を心配してきてくれたんだろう。
——俺なんてほっとけばいいのに。
空哉の性格は昔のもう会えない友人によく似ていた。ふざけているようで実はふざけてなくて、心優しい。あいつと同じで優しいさが眩しいから空哉とは馴れ合いたくなかった。
だが、空哉はどれだけつき離しても、諦めずに話かけてくる。この島でよく話すのは空哉だけだった。
俺はお人好しの空哉に呆れながら、少し頬が緩む。玄関のドアを開ける為、玄関までの廊下を歩きながら少し大きな声でドア越しで話しかける。
「こんな雨の中どうしたんだよ?」
「柚斗……よかった!診療所の屋根に木が落ちてきてるよ。ほらみろだよ。だから迎えにきたんだよ。俺の家に行こう?」
「お前の方がこんな台風のまっただなかに外でたら危ないだろ?」
「僕は大丈夫。柚斗迎えに来たから俺の家に避難しよ?……あっっ!」
ゴンという鈍い音。その後バタンと音がした。
玄関ドアの一部分のすりガラスになってる所から空哉が倒れたことがわかった。
「空哉!!」
俺は急いでドアを開ける。
目の前にはカッパを着ているが、顔も体も雨でずぶ濡れの空哉が倒れている。飛んできたと見られる瓦が空哉の側に落ちていた。
雨風は思ったり強く、俺自身も数分も立たずにずぶ濡れになる。
突風にのり、ゴミの袋や木の葉が舞う。横殴りの風や雨は容赦がなく恐怖を感じる光景だ。
雨に打たれながら、空哉の体を必死に揺さぶるも意識はない。
「空哉!空哉!」
何度も両肩を叩きながら名前を呼ぶ。空哉の顔の近くに耳を近づけ呼吸を感じようとするが、顔には台風の強い風が吹き付けわからない。
俺の耳には普段聞こえない風の音がヒューヒューと悪魔の笛のように薄気味悪く聞こえる。
空哉の腹の上に手を当てると小さく動き、少し横隔膜が動いている。息をしているのがわかり少し安心した。
しかしやはり体は動かない。空哉の両方の瞼を無理矢理開けてみる。右の瞳孔が散大している。
——外傷による血腫か?出血か?
俺はとりあえず空哉を抱き抱えるように診療所に連れていく。人間が力をいれない時の身体は、本当に重たい。それでも必死にひきずり診察台に空哉を寝せた。
停電になっていたが、診療所のほうは、奇跡的に自家発電でまだ動く。だか何時間もこの自家発電はもたないだろう。
空哉のCT検査をして画像を見る。
——やはり急性硬膜下血腫だ。
これは生命に関わる。
俺は、診療所の棚からメスを取り出す。大きく深呼吸をするとメスを手に持つ。空哉の右側頭部にメスで皮膚切開をする。専用のドリルで穿頭する。勢いよく血液が飛び散る。ガーゼで押さえ、ドレーンをいれ固定する。30分程で終了した。
空哉にモニターをつけ、酸素マスクをつけ点滴を開始する。
——とりあえずこれでひとまず安心だ。
でもこのままここにいてもいずれ電気は消える。屋根が壊れ雨もりしているこの診療所は、短時間のはずなのに、かなり広範囲に雨が漏れ部屋を侵食している。
空哉の命はとりとめたものの、この壊れた診療所にいて安全なのか?何度も考えを巡らせる。
もう俺に関わり命が無くなるのだけは耐えられない。俺は死んでもいいが、空也は生きないと駄目なんだ。何だか胸が苦しい。
暫くすると、診療所のドアを叩く音がする。
——ドンドンドンドン!ドンドンドンドン!
「先生ーー大丈夫か?」
「先生ーー。先生ーー!」
「おーーい先生!返事は?」
5人程人影が見える。俺は息を呑む。
「みんな……」
俺は島人と慣れあいたくなくて、距離をおいてきた。それなのにこの人達は、この台風の中、俺の心配をしてきてくれたんだろう。
「大丈夫です!」
俺はすぐにドアをあける。島の人達は、カッパを着てはいるが、雨風から強く吹き付けられびしょ濡れなのに、俺の顔を見るとにこりと笑い、安堵した声が聞こえてくる。
「良かった。先生ここは海から直接風あたるから、あたりが強い!屋根もやられとるから家にきとかんね」
「1人で怖かったやろ?」
島人の声を聞き鼻がツンとし胸が詰まり、何も言えない。が、俺は空哉のことがすぐに頭に浮かんだ。
「皆さん頼みがあります。実は空哉がさっき来てくれたんですが、頭を強く打って意識がないんです。今処置はしたから命は大丈夫だと思うんですが……。うちは停電で今自家発電に切り替わってますが。どれくらいもつかわかりません。空哉を一緒に神社まで運んで下さい。お願いします」
島人は始めは驚いた顔をしたが、俺の必死の頼みにすぐに頷き、嫌な顔せず、協力してくれた。
「先生!俺、ワゴンに乗ってきたから機材とかも乗る。」
「俺らは何したら……どうしたらいいんだ?」
俺は手際良く島人に指図する。
酸素ボンベ、モニター、診療セットの機材を島人の車に乗せるようお願いした。
最後にタンカーに乗せた空哉を車まで運ぶ事にした。島人は、みんな漁師の仕事をしており、歳をとっても力強い。風に煽られそうになるが、無事に車の中に空哉を運ぶ事ができた。
皆んなカッパを着ていたが、体はびしょびしょに濡れた。横風に揺られながら何とか俺達を乗せた車は発進する。
皆んな車が横転するかもしれない恐怖で車に乗っている。車の中は緊張がはりつめていた。
みんな無言で、タオルでそれぞれ顔や体を拭いている。俺は濡れた空哉の顔を丁寧に拭いていた。
「ありがとうございます。僕の心配なんかしてもらって。しかも皆さんも危険な目にあわせてしまいまして。僕の皆さんへ対する態度も悪かったのに……」
「何言ってんだ?当たり前の事しただけだ!あそこは風が当たるから困ってる時は助け合う。ただそれだけだろ?」
「ありがとうございます……」
なんだか温かい気持ちが充満しすぐに車内の空気が緩む。
俺は島人の話を聞いて自分が今までしてきた事が恥ずかしくて頭が上がらない。後悔ばかりがよぎる。医者という生命に近い場所にいる自分は誰よりも大切さを知っているはずなのに、当たり前のことを島の人に教えられる。当たり前のことをも放置した自分が恥ずかしい。
「先生!それにしても空哉は何でこんな台風の中外にいたんだ?あいつ何してたんだ?」
「違うんです。空哉も皆さんと同じで僕を心配してきてくれました」
島人は驚いた顔をしたが、眉尻が上がり嬉しそうな顔をして頷いている。
「そうかそうか……」
「先生。空哉はお調子もんだがいいやつだよ。あいつなりに心配しとったんだな」
「はい……。優しい奴です」
俺の返事を聞いた島人達は小さく笑ったが、それ以上はもう何も言わなかった。
車で10分程走り、無事に空哉の家の神社についた。そして、雨風も強く島人達も空哉の家に泊まる事になった。
***
朝の6時ごろ目が覚めた。
色んな事があったし、空哉の付き添いもあり、ぐっすりは眠れなかった。気が張り詰め交感神経が強く興奮しているのか?目がしっかり覚めている。
夜中のような音はもうない。外は静かになり鳥の澄んだ鳴き声が聞こえる。窓から見える少し群青色で明るくなってきた空と明るい光に少しだけ安心できた。
空哉の状態は安定し、頭に入れたドレーンからの出血ももう止まっている。
——もう大丈夫だろ。
後は空哉が目を覚ましてドレーンを抜く。
外の様子を見にいく事を空哉の叔母さんに伝え、付き添いを変わってもらう。
その後、俺は徒歩で診療所へ向かう。
湿った診療所までの道は昨日の台風の爪痕が残る。折れた木の枝、どこからか飛んてきたわからないビニールシート、枝や葉などが道に散乱している。
あまり台風に慣れてない俺は戸惑いを隠せない。
愛着があった訳ではないが診療所が気になり、胸がそわそわしながら少し足早に歩く。
診療所に着くと目を見開いた。
診療所の横に生えていた、大きな杉の木の大枝が折れていた。
夜中ではよく見えなかったが、屋根の上には折れた杉の大枝が横たわっている。屋根は潰れ窓も割れ、ドアには木の枝などがつき悲惨な光景がある。
ただいつも座る古びたベンチは無事で、沢山の枯葉や小枝が乗っているだけだ。それらを払いのけ、いつものように体をあづけベンチに座る。
——診療所は修復しないと使えないだろう。診療はできない。本当に何もなくなったな……。これからどうすればいいのか……。もうこの島にもいれなくなるかもしれない。
優しい島の人達に逆に人の繋がりの大切さを教えてもらった。人は1人では生きていけない。
理解しているようでしていなかった。診療所が無くなった今、今更わかっても遅いが、自分に呆れ、手で顔を覆う。
「大丈夫だよ」
誰もいないはずの自分の左側から聞こえてくる声に驚き、すぐに横を見た。
見覚えがある11歳くらいの少年が足をぶらぶらさせ座り、こちらをはにかんだ顔で見ている。
俺は信じられないものを見て、驚きを隠せない。
心のずっと底にあった後悔の先駆けになった少年がいるのだ。俺は息を呑んだ。
少年は笑って鼻歌を歌いながら朝日をみつめる。鼻歌は懐かしい子供の頃に見た人気漫画の歌だ。
俺は、少年を釘いるように見る。あの頃と変わらない。少年は叶羽(とわ)と言う俺の小学生時代の友人だ。
叶羽は、小学5年生の時に俺と祭りに行く約束をしていて俺の目の前で事故にあった。
飲酒運転で、歩道に車が乗り上げ叶羽は犠牲者になったのだ。
事故に合う前、俺は待ち合わせ場所から、叶羽に手を挙げお互い顔を見合わせ手を振り合う。
その時、叶羽の所に車が突っ込んできた。その瞬間、叶羽の顔は崩れた。
その光景は今でも忘れない。
自分が悪かったんじゃないかとずっと心にあった。子供ながらに考えたすえ、少しでも叶羽みたいな人を助けたいと思い医者になった。
実際は思ったよりも助けられなくて、神様だと思っていた医者という仕事に悲しくなった。
その時にいつか聞いた空哉の言葉がよぎる。
——ここは死者が通る島。不思議な事が起こる。会いたい人に会える島。
俺が無意識にずっと叶羽と話したいと思っていたのかもしれない。だから叶羽は今ここに現れたような気がした。
俺はそれならば尚更、叶羽と話しをしようと思った。
「叶羽……。ごめんな……」
俺は勢いよく頭を下げた。謝ってすむものではない事くらいは理解していたが、叶羽が生きていた時に謝ることができなかったからずっと後悔をしていた。自分の震える声に涙が出そうになるが唇に力をいれた。
「柚斗なんで謝るの?」
「おれがあの時、声かけたから……車避けれなかったんだろ……」
「柚斗のせいじゃないよ。避ける暇なんてなかったよ」
叶羽は、眉を下げ優しい顔で俺を見て鼻で笑った。その顔は、見覚えがある懐かしいお調子者の叶羽の笑顔。俺は、久しぶりの叶羽の笑顔に胸がいっぱいになる。
「柚斗……花火みたいね」
その一言で事故のあの日を鮮明に思い出した。
俺達は、祭りの後にあがる花火を楽しみにしていた。
——叶羽も心残りだったのか?
俺は、家の中に花火があった事を思い出す。
「ちょっと待ってて」
叶羽が消えてしまわないように、何度も振り返りながら壊れた診療所の中にはいっていく。
この前、空哉が持ってきてそのままになっていた花火があるはず。
だが昨日の台風で濡れてなければいいが……。
診療所の中は、壊れた屋根の所から水が浸水したようで、予想以上に雨や木の葉、ごみなどが散乱している。穴が開いた部分の診療室は濡れて全滅していたが、幸運にも住居にしている部屋は無事だった。
住居の部屋のTV横の棚に袋に入れたまま見つけた。花火は濡れてない。
——助かった。
その花火の袋を握り締め、すぐに叶羽のところに戻る。叶羽が消えていたらどうしようという気持ちで、胸の鼓動がどんんどん大きくなるのを感じながら走る。
診療所を出るとすぐにベンチを見た。
鼻歌を歌いながら、叶羽の姿はまだある。叶羽は振り返り、俺の顔を見るとニコリと笑い俺の手に持っている袋に目をやる。
俺は、叶羽がまだいることで安心して息を吐く。
ゆっくり歩きながら、何だか子供の頃に戻ったように叶羽のキラキラしている目を見ながら、自然に花火を上に挙げた。
「叶羽!花火あった。やろ?」
「うん!」
ベンチから飛び降り叶羽は、笑顔になり力強い声で返事をしながら俺のところにかけよってきた。
俺は、叶羽と手持ち花火を始めた。
叶羽は、嬉しそうに花火を持ち、くるくる花火を回す。火花は赤や黄色や銀色が変わるがわる色を出し、くるくる光の円を浮かび上がらせる。
俺も同じようにくるくる花火を回す。
何だか子供に戻ったようなすぐに感情が溢れてしまいそうな気持ちだ。
花火の白い煙は俺と叶羽の周りを埋め尽くす。
朝日が上り初めている空には似つかわしくないが、それでも俺と叶羽には関係ない。
「柚斗と花火できてうれしい。綺麗だね〜」
「そうだな……」
懐かしい笑顔をみると久しぶりに俺もつられて声を出して笑った。
「柚斗。昔と同じ笑顔してる。柚斗と友達で良かった。友達になってくれてありがとう。」
俺は、突然の叶羽の言葉に思わず目が潤む。
俺は感情深くなっているし、花火の煙が俺たちの空間を占める。涙を浮かべる目に煙がしみて目を開けられなくなり擦る。
目を開いた世界にはもう誰もいなかった。
「叶羽……」
俺の掠れた声だけがこの空間に残り、白い煙も叶羽もいない。俺は握りしめたままの線香花火を力強く握りしめた。
「まだ線香花火残ってるのに……」
俺は叶羽がどこからきたのかわからないし、もしかして、自分がみた妄想だったかもしれない。
それでもまだ叶羽がいるような、そんな温かい空気を感じていた。
残りの線香花火をライターで火をつける。
先程までの勢いがある花火とは違い、線香花火は火玉を振るわせ、力を蓄えた後チカチカと激しく金色の花をおりだした。咲き方を変え、だんだん力も音も消え入りそうになる。
それでもその線香花火が終わってしまう所までもが魅了された。
そして、ついに最後の線香花火も終わる。
「叶羽ありがとう……」
不思議といつもの線香花火が終わった後のしんみりした気持ちではない。心につかえていたものが取れなんだか心が軽くなる。
目を閉じ叶羽の顔を思い出すと、いつものあの最後の苦顔ではない。先程の笑っている叶羽の顔に変わっていた。
朝日は何事もなかったようにキラキラ眩しく光る。光は前を進むように背中を押してくる。
——間違えたらまたやり直せばいいんだ。
笑いかける朝日に、照らされ新しい自分になれた気がした。
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