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『スーパー・フォーク・ソング』 矢野顕子

 矢野顕子は、独特のリズム感と旋律を駆使し、どんな歌でもすぐに“矢野顕子ワールド”を作る。
結婚前は鈴木顕子といい、スタジオミュージシャンの仕事をしていたが、アレンジャーの矢野誠と結婚し、矢野顕子へ。
その後、『ジャパニーズ・ガール』(1976)でデビューを果たすが、この作品からぶっ飛んでいた。リトルフィートをバックに従え、今と変わらぬアッコ節を披露している。それこそ民謡、歌謡曲からポップスまで矢野顕子の手にかかると、どんな歌でも全て彼女の歌になってしまう。それは旋律や歌い回しを意味するが、詞の世界を租借し類希なる表現力があるからこそ、あの独特な歌唱法が存在している。好き嫌いが分かれることもあるが、矢野顕子の世界が確実にそこに在る。

 別の視点から・・・。いろいろなセッションにも登場する矢野顕子だが、ピアノを弾かせればそこら辺のミュージシャンよりも達者にプレイする。スタジオミュージシャンをやっていただけのことはある。矢野顕子のピアノというと、あの変拍子リズムや独特な旋律を想起させるが、セッションのときはしっかりと楽譜どおりプレイする。そんな裏付けられた技術があるからこそ、アッコワールドが構築されるのだろう。ベルウッド系、URC系のフォークミュージシャンからYMOのワールドツアーまで務めたキーボードプレイヤーとしての腕は、ニコニコしながら歌っている矢野顕子からは想像できないスクエアなプレイだ。

 カバー(他人の歌を歌う)をするとき、まずその作品を聴きこみ、曲を理解する。詞を噛み砕き、自分なりに表現してみる。完コピの場合は技術面も鍛える必要があるが、自分なりの解釈を施す時は感性がモノをいう。以前山下達郎は、 “カバーを演奏する時は、その作品を通じてオリジナルとの戦いがそこに展開され、いかにその作品を自分のモノにするかだ” “オリジナルに対し決闘する気持ちで臨んでいる”とまで言っていた。そんな意気込みで演奏している達郎のカバーはどれも達郎のブレンドが施され、あたかも自分の歌のように演奏される。そんな達郎が認めているアーティストで、カバーを得意としているアーティストが矢野顕子である。以前達郎がどこかの本で大絶賛していたアルバムが矢野顕子の『スーパー・フォーク・ソング』(1992)だ。 

 カバーと言いつつモノマネで終わっているアーティストが多い中、矢野顕子しか出来ない創作は、カバーという常識では語れないのかもしれない。好きなように歌い、演奏する。それだけなのかもしれないが、それを見事に発表することがいったいどれほどのミュージシャンでできるのだろうか。
 『スーパー・フォーク・ソング』は、矢野顕子のピアノ弾き語りを中心としたカバーアルバムである。前述の山下達郎をはじめ、大貫妙子、佐野元春、ヤング・ラスカルズ、あがた森魚、ウェス・モンゴメリらの作品を取り上げ、彼女の音楽の幅の広さを伺わせる。矢野顕子は他のアルバムでも好んでカバー曲を収録しているが、カバーにこだわった作品としてこのアルバムは話題になった。もともと自分の表現力のひとつとして彼女にはカバーというファクターが存在し、それが作品として成立した。それだけのことかもしれないが、歌いたい歌を誰の気兼ねも無く表現することは、その力を持ち合わせた天才・矢野顕子の美の骨頂である。

 人の演奏に耳を傾け、自分のものにしていく天才。もちろんそこには誰も真似できない彼女のオリジナリティがある。カバーの天才・矢野顕子だが、矢野顕子をカバーできる人はいない。

2006年1月6日
花形

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