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心の余裕のつくりかた

2018/11/12

あけびさんから質問いただきました。

Q:数字がつく某コンビニで
働いてます。

私の仕事は主に
レジ打ちなんですが
ここんとことにかく
しょうもない苦情や
クレームを言う客が増えて
ストレスがめっちゃ
溜まるようになりました。

おでんが熱すぎて火傷したから
慰謝料払えとか
おにぎりのビニールが
うまくはがれなくて
海苔がやぶれたから
返品したいとか。

先輩のおばさんなんて
缶ビールが
冷えてないってだけで
その缶ビールをおもいきり
投げつけられたこともあります。

舌打ちなんて
まだかわいいほうです。

でもさすがにもう
客が怖くて仕方ありません。

商品を渡したときに
「ありがとう」
って言ってくれる人が
神に見えるくらいです。

みんな心の余裕
なさすぎじゃないですか?

ずっと接客やってますけど
なんかどんどん客の態度が
悪くなってってる
気がしてます。

どうしてみんな
こんなにキレるように
なっちゃったのかな。

それとも私の器が
小さいだけ?

逆にそのへんの
器のちゃっちい客を
反面教師にして
自分だけは器が大きくて
心に余裕を持てる大人に
なりたいなと思うのですが
そもそも心の余裕って
なにをすれば
持てるようになりますか?




心に余裕がない人は自分の心を自分のために使っていない人


A:あけびさん
ありがとうございます。

ニュースなどでも
お客さんと店員のトラブルは
よくとりあげられますよね。

「態度が気にくわない」
とか
「バカにされた」
といった理由で
カッとなってしまうのか
どちらともなく手をあげて
最悪の場合
殺傷事件にまで
発展することも多いことから
僕はもはやこれは
「社会問題」
なのではないかとすら
感じているところであります。

いづれにしても
あけびさんが仰るように
すぐにカッとなる人や
理不尽な文句や苦情を
言ってくる
「心に余裕がない人」
の数は年々増えているように
思います。

僕はその原因を

「自分の心を他人のことで
いっぱいにしているから」

とよく表現しています。

少し
極論めいた意見になりますが
よろしければ最後まで
お付き合いいただけますと
幸いです。


自分の心を「他人」で埋め尽くしてはいませんか?


現代社会は
超がつくほどの情報社会です。

自分の人生に
なんら関係ない他人の情報で
埋め尽くされています。

普段何気なく見てるSNSも

「あのフォロワーさんが
あんな良いものを買ってた」

とか

「このフォロワーさんは
どんどん美しくなっていく」

「あのインフルエンサーは
どんどん有名になっていく」

「このインフルエンサーは
どんどん稼いでいっている」

そんな
自分とは全く関係ない
「他人の人生」が
情報として頭の中に
否が応でも入ってきますし
そんな人たちと比べたら
自分の平凡な人生に
劣等感すら
感じてしまうかも
しれません。

仕事なんてすれば
当たり前のように
ストレスが溜まります。

「先輩から
ひどいことを言われた」

「上司からバカにされた」

「理不尽なことで
言いがかりをつけられた」

など
主に人間関係でほぼ毎日
なにかしらのトラブルが起き
その度に気持ちが
憂鬱になったり
モヤモヤしたり
イライラしたりして
心の波が荒れていきます。

いやいや
みんなそういう
不平等で理不尽な社会で
毎日頑張って
生き抜いているんだよ!

と言えば
聞こえはいいかもしれません。

でも確実に
心は傷ついているし
SNSを見れば
自分の平凡過ぎる人生に
憂鬱にもなってくるし
毎日仕事なんてしていれば
ストレスは溜まる一方
なのではないでしょうか。

これを読んで下さっている
みなさまも
もうお気づきのはずです。

生きる上での
ストレスはほとんど
「他人から受け取るもの」
が原因となっていることに。

要は心の中が常に
「他人のことでいっぱい」
の状態になっている
ということです。


理不尽な苦情やクレームは自分を強く見せたい心理の裏返し


ここまでをまとめると

①情報社会により他人の
エレガントな日常生活を
目にする機会が増えたことで
自分の人生に
劣等感のようなものを感じ
自信を喪失しやすい
社会構造になってきた。

②仕事や人間関係での
トラブルにより
自尊心や社会的立場が
貶められていると
錯覚してしまいやすい。

もちろん
心に余裕がなくなる原因は
様々あるかと思いますが
僕個人の意見としては

「他人の情報や言動によって
もたらされるストレス」

これが要因だと思っています。

その結果として
自分の心が他人のことで
いっぱいになって
疲弊してしまい
最終的に

「心に余裕のない言動」

をとるように
なってしまうのです。

これは言い換えると
ともすれば
他人の情報や言動によって
見失ってしまいそうな
自信や自尊心を
取り戻すべく

「自分を強く
見せようとする」

心理の裏返しでもあり
自分の心をこれ以上
他人によるストレスで
破裂させないための
防衛本能でもあると
僕は見ています。


全ては自分を認めたいがため


今も昔も私たちは
人を魅了するような器量や
仕事においても
能力や結果を示せなければ
あっという間に世間から
淘汰されてしまうリスクと
隣り合わせです。

そのため
他人から発信される
キラキラした日常や
人間関係でのトラブル
職場で溜まるストレスなどは
自身の社会的な価値を
貶めうる危機になりえます。

しかしながら
そんな危機を抱えていても人は
SNSを見ることを止めないし
人間関係のトラブルも
尽きることはありませんし
仕事のフラストレーションは
溜まっていく一方です。

だからなのでしょうか。

人は失いつつある
自己効力感(有用感)や
自信や尊厳を自他ともに
認めさせようと
自分よりも
立場の弱い者を見つけて
攻撃するのです。

「認められたいなら
力を誇示せよ」

と言わんばかりに。

その最たる例が

「店員とお客様」

なのでしょう。


心の余裕のつくりかた3選


ここまでは
「心の余裕」
がない人の特徴として

「自分の心を
他人のこと(SNSの情報や
人間関係のストレス)で
いっぱいにしている」

という持論を
展開してきましたが
ここからは

「心の余裕をどう生み出すか」

に焦点をあてて
お話していこうと思います。


まず休養


まずなによりも優先すべきは
「休養」です。

しかしひとくちに
「休養」といっても
自分の心が
本当に求めていること
をしてください。

美味しいものを食べたいなら
満足のいくまで
たくさん食べましょう。

体力を回復したいなら
お昼過ぎくらいまで
ゆっくり休みましょう。

もちろん
人目を気にするなんてことも
しなくでいいですし
誰かに気を遣うことも
しなくていいですし
たらふく食べたり
昼過ぎまで寝ることに対して
罪悪感を覚える必要も
一切ありません。

自分の心を洗うことに
時間やお金を使ってください。

丁寧に洗ってあげて
ピカピカになった自分の心は
誰よりもまず自分のために
使ってあげましょう。


自分軸を持って生きる


あとは

「自分軸を持って生きる」

「自分の気持ちを優先する」

ことも
心の余裕を持つうえで
是非とも取り入れたい
考え方のひとつです。

“他人の目が気になるから…”

“今これが流行ってるから…”

などの「他人ありき」な
判断基準ではなく

「自分はどうしたいか」

「自分はどうありたいか」

を基準にして行動しましょう。

どんなにまわりが
自分よりも秀でていて
煌びやかな日常を
送っていたとしても

「人は人」
「自分は自分」

という風に
他人と自分の区別を
しっかりさせていれば
他人がどんなに
優雅な生活を送ろうが
他人にどんな
お小言を言われようが
基本的にはブレません。


キャパシティを把握する


最後に

「自分の心の
キャパシティを把握する」

ことも大切だと思います。

人にはそれぞれ
心の余裕を保つうえでの
キャパシティというものが
あります。

そのキャパシティが
大きいなら大きいで
余裕を多く
持つことができますし
小さいなら小さいで
あまり無理ができません。

ただここで
勘違いしてほしくないのは

「キャパシティは
大きい方が良くて
小さいのはダメ」

というわけでは
ないということです。

大事なのは
大きい小さいにかかわらず
自分のキャパシティを
「把握すること」。

自分のキャパシティを
把握していれば
心が他人でいっぱいになる前に
対処ができますからね。

たとえば
疲れやストレスが溜まって
少し余裕が
なくなってきたかな…?
と思っていても
自分のキャパシティを
把握していない人は
睡眠時間を削ってでも
仕事を優先したり
休日もなんだかんだ
他人との付き合いで
忙しくしたり
SNSを徘徊したりして
時間を潰してしまい
しっかりと身体を
休めることをしません。

その結果
自らのキャパシティ内を
疲れやストレス
他人のことで埋めてしまい
心の余裕をなくしていきます。

反対に
キャパシティを把握していれば
疲れやストレスが溜まって
少し余裕が
なくなってきたかな…?
と思った時点で
無理のない
スケジュールを組んだり
家に帰って
早めに寝たりして
心のキャパシティに
常に余裕を持たせられるよう
気を配ることができます。

こうした自己管理も
心の余裕を保つうえでは
大事な要素になりますので
是非とも参考に
してみてくださいね。

おしまい。


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