キタダ、詩を読む。…VOL.2 シンプルに、芳醇に
私の好きな歌を思いつくまま挙げるなら、
たとえば次のような数首が口を衝く。
書くことは消すことなれば体力のありさうな大きな消しゴム選ぶ 河野裕子
はらわたに花のごとくに酒ひらき家のめぐりは雨となりたり 石田比呂志
夕闇にまぎれて村に近づけば盗賊のごとくわれは華やぐ 前登志夫
ばかげたる考へがぐんぐん大きくなりキャベツなどが大きくなりゆくに似る 安立スハル
夕暮れといふはあたかもおびただしき帽子空中を漂ふごとし 玉城 徹
暗渠の渦に花揉まれをり識らざればつねに冷えびえと鮮(あたら)しモスクワ 塚本邦雄
鋭い声にすこし驚く きみが上になるとき風に揉まれゆく楡 加藤治郎
水滴のひとつひとつが月の檻レインコートの肩を抱けば 穂村 弘
しまつたと思ひし時に扉しまりわが置きし傘、網棚に見ゆ 小池 光
疾風はうたごゑを攫(さら)ふきれぎれに さんた、ま、りぁ、りぁ、りぁ 葛原妙子
いづこより凍れる雷(らい)のラムララム だむだむララム ラムララムラム 岡井 隆
「アッ落ちた」とハイビスカスの大胆に散る瞬間を集金人の言ふ 岩見みつ子
とまぁ、さまざまな歌が並ぶ。
一読した時点では奇想に近い感じさえする比喩表現の歌もある。
が、しかしどの歌も、歌意をとるうえでは誤解の余地の少ない、
ほぼすんなりとわかる歌ばかりだ。
(比喩がわかるわからない、というのは別次元の問題である。)
それは、これらの歌の構造が、日本語の流れとして自然だからだ。
加藤治郎さんのTwitterにも、
「短歌は部分部分で凝った表現をしないほうがよい。」
「一句一句は平明な言葉で、一首全体で微妙な味わいを出す」とあった。
(いずれも2012年9月18日の記事)
私は全面的にこの意見に賛成です。
わが師・萩原朔太郎も「詩の表現は素撲なれ、詩の匂ひは芳醇でありたい」と言っております。
一読して歌意を取りやすく、それでいてさまざまに読み込まれる歌。
そういう歌がいい。
すっきりとした立ち姿。シンプルであること。
そのシンプルさは、ときに作者の意図する読みに誘い込む仕掛けでもある。
無駄を削ぎ落とし平明であればあるほど、言葉の喚起力は増す。
そういう仕掛けに誘い込まれるとき、歌を読む愉楽が口を開いている。
歌会(リアルでもオンラインでも)は、
座の一同で、そうした愉楽へと分け入っていく場なのだと思う。
そうした場で、一首の歌はゆたかに完成されていく。
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