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キタダ授業記録集 8 短歌に親しむ②

「生徒たちがテーマ別に選んだ短歌で行った授業」シリーズ その2です。

○テーマ「恋」で選んだ班

  自転車で君を家まで送ってたどこでもドアがなくてよかった

 枡野浩一さんの『ドラえもん短歌』のなかの一首です。選んだ班のコメントは、「どこでもドアがなかったら、自転車で君を送ることなんてなかったから、共感した。」でした。このコメントにわたしもすなおに共感しつつ、他の読み方も提案。たとえば、「君」を友達と読んでもいけるよねー。と投げかけると、うんうん。と うなずき多し。この歌の面白いのは、どこでもドアという「あってほしい道具」が「なくてよかった」という逆転の発想だねー。というと、これも生徒たちはうなずいてくれていました。

○同じ班の選んだ

  きみのため用意されたる滑走路きみは翼を手にすればいい

 萩原慎一郎さんの歌です。班のコメントは「きみのためと入っていたので、恋だと思った。好きな子に、はばたいてほしいという短歌。相手は女の子♡」でした。ふむふむ・・・。ということは、好きな子に自分から離れていってほしいという意味にならないかなあ?

 そこで、これを恋の歌として読むことは可能か? と投げかけ、次のように問うてみました。

「きみ」とはだれか
「ぼく」の立ち位置はどこか

《生徒たちの答え》

☆恋の歌として読むことは可能です。「きみ」は好きな人のこと。好きだからこそ、離れても幸せになってほしい。

 ・・・なるほど、そうか。ということは、この歌はむしろ恋の歌というよりは・・・。すると、「愛の歌」という声が上がりました。「恋」と「愛」のちがいに思いを馳せる一瞬。

☆親子愛。「きみ」はわが子のこと。
 ・・・ふむふむ。もう少し説明して。
「子どもの自立を親が見送っている歌」。
なるほどなるほど。その読みも可能だね!

 作者の萩原さんは、いじめに悩んでいたらしい。最後はビルから身を投げて亡くなってしまったのだけれど(「ああ、調べたらそう書いてあった!」という声があがる)、それを知ってしまうと、「滑走路」や「翼」をまたちがう意味に読むこともできてしまう。それはせつなく悲しい読み方ですが、・・・じつは、萩原さんはこの歌の近くに、こんな歌も並べている。

 抑圧されたままでいるなよぼくたちは三十一文字(みそひともじ)で鳥になるのだ

 いじめという「抑圧」=自由でない状態。
そこからいっとき逃れ、心の自由を得るために、・・・鳥になるために、
作者は短歌という「翼」を手にしたのだ。

この歌とつなげて読めば、
「きみ」は作者自身。
そう読むこともできる。
この日は、こんな感じの授業でした。

《生徒たちのふりかえりから。》

「萩原慎一郎さんの滑走路の短歌が、最初なんで恋のところにあるのかがわからなかったけど、みんなの考えを聞いて恋じゃなくて愛の方がしっくり来た。」
「悲しい話だったけど、その気持ちを癒せるもの(短歌)があるのは良いことだと思った。」
「短歌に示されている言葉の意味が家族に対してか、友達に対してなのか、恋人に対してなのか、いろいろな人への気持ちがあって良いなと思った。」
「恋と読むなら、きみのことが好きだけど、きみが幸せになるなら僕はきみの幸せを願うよ・・・みたいな意味かなと思った。家族愛なら自立する子どもを見送る親、としても読みとれるし、短歌のことだと思えば、短歌で才能発揮?というか短歌を楽しんで?自分を表現?わからないけどそんな感じで読みとれるし、いろんな解釈ができるものが好きなので、これも好きな歌でした。」
「作者さんのことを知って、見方がすごく変わった。作者さんは翼を手にして飛びたてたのかなと思いました。」
「私たち(の班)が恋だと思っていた萩原慎一郎さんの短歌は、いろいろな解釈ができたので、とても面白いと思った。しかも、萩原さんの他の短歌も、とても面白そうでした。」
「萩原さんみたいに短歌を書くことで心の自由を得る人もいる。僕は心の自由を得るのは趣味だけど、萩原さんは短歌を書くことなんだなぁと思いました。」
「『きみのため・・・』という短歌は確かに親子愛でも読み取れると思ったけど、僕は、どちらもお互いのことが好きで別れが辛かったから、『ぼく』が思い切ってそう言った場面かなと思いました。」
「『きみ』と『ぼく』は、違う道を歩む。寂しいけど、君が心に思う通りの道を行けばいい。お互いこれからも頑張ろうと、背中を押して勇気を与えてくれるように感じた。」

などなど。

生徒たちは豊かに読み味わってくれていると感じます。

第3弾は、また後日。

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