見出し画像

物理学の勉強をする人へ 教科書や参考書など著者が違えば、その説明の仕方が結構違うもの

こんにちは。
お久しぶりの方にはお久しぶりです。

 今日は物理の勉強において大切な調べ方についての僕なりの経験則を書こうと思います。
 その経験則は”本の著者が違えば、説明の仕方が結構違ってくる”というものです。例えば、電磁気学において、ファラデーの電磁誘導則の説明において、「理論電磁気学」(砂川重信著)の”1831年Faradayは閉じた導線回路の近くに磁石を置きこれを動かすことにより、回路内に電流が生ずることを発見した”、という記述に始まり起電力と磁束の関係と、起電力と電場の関係から
$$
{rot E(x, t) + \frac{∂B(x, t)}{∂t} = 0}
$$
が得られる。この説明の過程において”磁束は磁石の作る磁場だけでなく、発生した電流の作る磁場も含まれていることに注意しよう”などといった著者の経験則に基づいた注意点や頭の中で組み立てている構成は非常に著者の個性が出るわけです。だから、ある著者の物理学の本でわからない表現があるということは、別の著者を参考にすると、別の表現で説明してくれている場合が多いのです。
 僕の場合、電磁気学は砂川重信著の「理論電磁気学」と竹川敦、小宮山進共著の「マクスウェル方程式から始める電磁気学」のほか、ファイマン物理学の電磁気学編を読んでいます。これから、ランダウ・リフシッツの理論物理学教程シリーズの電磁気学も読むのですが、説明の仕方で理解のしやすさが大きく違ってきます。理解するのが難しいように書かれている本もあります。例えば、ランダウ・リフシッツのシリーズもそうです。でも、理解するのが難しいようにわざと書いているというか研究者から見た”難しさを内包した物理学のありのまま”を説明しているとも言えます。
 初学者の方には理解しやすい本をお勧めしますが、もっと深く勉強したいという方には、その深さを教えてくれるようなそれなりの本をお勧めします。また、物理で難しい概念や数式に当たったときは、知恵を与えるに似たようなものかもしれませんが、別角度からの説明を読むことが突破口になるかもしれません。僕が学部生だった時もそうですが、自分の中で間違った理論を組み立ててその仮定の下で話を進めてしまう時も時々あります。そういったときに、一風変わった視点から自分の状況を客観視するきっかけを与えてくれるのが、別著者の本なのかもしれません。ネットで検索すると英語版ですが、無料で公開されている名著がいくつかあります。僕は紙媒体が好きなので、ランダウ・リフシッツの物理学教程を印刷して、書き込んだり、計算チェックをしながら読み進めています。
 物理の本は基本的に読んでもわからないような言葉遣いと文章で書かれています。なぜなら、専門用語に数式、理系の本に特有な図表が多彩に盛り込まれているからです。専門用語は例えば、量子力学の”完全性”という言葉一つとっても、その裏には過去の物理学者が一生を費やして構築した説明が隠れています。数式には、その説明を要約したり、簡単化したり、もしくは新しい定義をして見方を明るくしてくれたりと道具のような役割を担う時もあり、たかが数式一つ、されど数式一つで文脈や説明の明快さやそこからさらに新しく生まれる言葉や概念が詰まっています。また、図表には、説明を明快にし状況を設定し結果を提示する役割などがあります。だから、コツコツ途中計算をしながら、自分の理解が本の記述を比較して大丈夫なのかと常に問いかけることが必要です。
 長々と書きました、物理の勉強に詰まっている人へのエールになれたかな、うーーん。
といった感じで今日は筆をおきたいと思います。ご清聴、ありがとうございました。

サポートお願いします。