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「理科準備室のお狐様」第2話


 足もとには大きな蜘蛛がいた。しかも、大量の。


 大きさも普通の蜘蛛の大きさではない。

 世界最大級の蜘蛛は足まで含めると、全長30センチほどもあるというが、こちらは胴体だけでもそれを超えていそうだ。タランチュラのように、足も太い。


 その大群が、4階に続く階段や壁からワサワサと降りてきたのだ。

 辺りを照らしてよく見ると、2階へ降りる階段の壁にも、ちらほらといる。


 異様な光景だった。日本の学校に、このような蜘蛛がこれほど大量にいるだろうか。

 いや、そんなことはどうでもよい。


 竜次は、蜘蛛が大の苦手だった。


「何だよ、これ!?」


 パニックになって叫ぶ。

 落ち着いた声で、燈がたしなめる。


「あ〜、気づいちゃったか……。静かに、じっとしていて。何があっても、絶対に手を出さないで」


 しかし、残念ながら竜次の耳には届いていなかった。

 1匹の蜘蛛が今にも足をよじ登ろうとしていて、それどころではなかったのである。


「来るな!!」


 竜次は、無我夢中でそれを蹴りあげた。


 蹴りあげられた蜘蛛は宙を舞い、1メートルほどふっ飛ばされて、着地した。


 ガチガチガチ――。


 大したダメージはなさそうだが、妙に発達した牙を鳴らして威嚇している。

 どうやら、相当怒らせてしまったらしい。


 しかも、さざ波が広がるように、だんだんと周りの蜘蛛にもそれが伝染していく。


 ガチガチガチガチガチガチ――。


 次第に、音は増えて大きくなっていく。獲物でも狙うように、いくつもの眼が3人を見つめている。


 灼が忌々しげに、舌打ちをする。


「これはまずいな。逃げろ!」


 3人は、一目散に蜘蛛の侵略が進んでいない3階の廊下へ駆けだした。


「だから、手を出すなって、燈様にいわれたんだろうが……!」

「手は出してない。足だけだ!」

「そういうの、屁理屈っていうのよ……」


 走りながら喧嘩している3人のあとを、蜘蛛の大群がガサガサと不気味な音を立てながら、追いかけてくる。


「ついてきた! 何なんだよ、あれ!?」

「多分、土蜘蛛の子どもたちよ。あれも、お化けの一種。気をつけてね。子蜘蛛でも、危険だと判断した人間は襲って、ついでに喰べちゃうから」


 燈の言葉に、竜次は背筋にゾワっと悪寒が走った。


「お化けが人喰い蜘蛛だなんて、聞いてない! 知っていたら、来なかったのに!」

「だから、早く帰れと、何度もいっていただろ!」


 いい合いを続けつつも、竜次はほぼ全速力で走っていた。もともと鞄ももたず、身ひとつとスマホしかもってきていないため、身軽だった。


 しかし、それでもだんだんと、蜘蛛たちとの距離が狭まってきた。

 竜次は焦ったが、これ以上スピードは出ない。


「あれ、何とかできないのか!?」

「そういわれてもなあ……」


 竜次の問いに、灼は気乗りしない返事をした。

 それでも、走りながら、背中に斜めにかけていたボディバッグを胸の前に持ってきて、中身を探った。


 目的のものは簡単に見つかったらしく、すぐにバッグから手を引きぬいた。

 その手には、黒い拳銃が握られていた。


「へ?」


 驚いた竜次が素っ頓狂な声を上げた。

 しかし、灼は気にした素振りも見せず、銃を後ろに向ける。そのまま、躊躇いなく引き金を引いた。


 パーン、パーン――。


 銃声がしたと同時に、2匹の蜘蛛がふっ飛んで、あとから来た大群の渦に飲まれていった。

 走りながら撃ったと思えないような、速さと正確さだった。


 しかし、蜘蛛の大群は気づいていないのか、はたまた気にしていないのか、速度を落とすことなく、なおもこちらに迫ってくる。


「な? 僕だけじゃ、どうにもならないだろ? 足止めにすらなっていない」

「いや、待て待て、何だよ今の!? 拳銃!? ずっともち歩いていたの!?」

「ただのエアガンだよ。改造銃じゃないから違法でもないし、多分命中した奴らも致命傷にはなっていない。あ、お祓いとか諸々はしているから、その意味では改造しているけど」


 灼は平然としていた。


(いや、何いきなり銃をぶっ放してんの!? びっくりするわ!! お祓いって何!?)


 むしろ、竜次のほうがいろいろと動揺してしまっていた。そのせいで、気づかないうちに速度が落ちていたらしい。


「ほら、しっかり走って!」


 燈の声に我に返ると、数匹の蜘蛛がすぐ後ろまで迫っていた。

 それらが竜次めがけて、いっせいに口から勢いよく白い糸を飛ばしてきた。

 糸に絡めて、捕獲するつもりなのだろう。


「うわあ!!」


 竜次は間一髪でそれを避けた。

 命中していたら、蜘蛛の巣にかかったエサよろしく、食べられていたのだろうか。


「何で、口から糸を吐くんだよ! 大体の蜘蛛は腹部からだろ!!」


 思わず蜘蛛に文句を投げつけたが、蜘蛛は構わず突進してくる。


「竜次くん、今そんなことをいっている場合じゃない……」


 燈は冷めた声でいうと、ひとりだけ立ち止まった。

 竜次が気づいてふり返ると、ちょうど蜘蛛に向かって、突っこんでいくところだった。


「あんな化けもの相手に、やめろ!!」


 叫んでから、気づいた。

 先ほどまでは手ぶらだったというのに、どこからとり出したのか、いつの間にか燈は刀を握っていた。

 走りながら、スラリと鞘から刀を抜き、鞘を投げすてる。そのまま、特に接近していた数匹に斬りこんでいく。


 燈が1匹に刀を振りおろして、倒す。

 その隙をついて、数匹の蜘蛛が横からものすごいジャンプ力で飛びついてきた。燈は少しも怯まず、一度に薙ぐ。

 見事な刀さばきで、蜘蛛を次々に斬っていく。


「すごい……。けど、あれこそ銃刀法違反じゃないのか?」

「……まあ、人間だったらな」


 ボソッといわれた灼の言葉が聞きとれず、竜次は聞きかえそうとして振りかえった。


 灼は再びボディバッグをゴソゴソと探って、札ふだのようなものを数枚とり出していた。


「何をしているんだ?」


 灼は無視して、それらを1枚ずつ、投げた。


 不用意に投げたように見えたそれらは、灼の手を離れると、シュッと鋭く空を切り、目的の場所に貼りついた。

 燈がいる位置よりさらに奥の左右の壁、天井近くに1枚ずつ、その下の床との設置面付近に1枚ずつ。


 計4枚が貼りついたのを見届けると、灼は目を瞑り、何ごとかをぶつぶつと唱えながら、手で印を結んでいる。

 唱えおわると、4枚の中間辺りの虚空に、さらにもう1枚の札を投げた。


 何もない空間であるはずのそこに、最後の1枚は貼りついた。まるで、見えない壁にでも貼りつくかのように。

 いや、正確には最後の札が貼りついた一瞬、4枚の札を起点に、水色の薄い膜のようなものが広がったように見えた。


(見間違いか……?)


 竜次は目を擦って再度確認したが、もう膜は見えなかった。


 灼はひとつ息をつくと、燈に叫んだ。


「燈様、完了です!」


 ちょうど燈も、周囲の蜘蛛を倒して、こちらに戻ってきたところだった。


「うん、ご苦労様〜」


 鞘を拾って刀身を戻しながら、呑気な声で応じる。

 あれだけ乱闘をしてきたというのに、息も乱れていないようだった。


 一方、後続の蜘蛛たちは、見えない壁に阻まれたかのように、札からこちらに来ない。


「一体、何をしたんだ?」


 竜次がまた訝しげに、灼に問いかけた。


「燈様に協力してもらって、結界を張ったんだ。僕ひとりの力だと、張っている間に喰われるからな。これで、しばらくは時間が稼げるだろう」


 こともなげに、灼はいった。

 竜次はさらに結界について質問しようとしたが、燈に腕を引っ張られた。


「それより、急いで。結界のこちら側の蜘蛛たちは、峰打ちで気絶しているだけよ。すぐに追ってくるわ」

(あんなに容赦なく斬っていたのに、死んでないんだ……)


 竜次は蜘蛛も燈も、どちらも恐ろしく思えた。

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