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「おはよう」っていわれたら?

ある日の朝の出来事。

自宅近くのインバウンド旅行者向けホステルの前に数人の男性外国人観光客が立っていた。どうやらこの宿泊施設は「禁煙」と思われ、おそらく彼らは「朝の一服」をしに屋外に出てきたのだろう。

私の住む町は東京の観光名所なので、このような光景をよく見かける。
コロナ5類移行により入国が解禁されてからより一層多国籍な人々を目にする。
お隣の中国人や韓国人はもとより、アメリカやヨーロッパ各国、東南アジアなどから訪れた様々な人種の坩堝になることも多い。

なので、別段驚きもせずに「どこの国の人かなぁ」などと思いながら通りすぎようとした瞬間、耳慣れた言葉が聞こえた。

「おはよう。」

「えっ?」と思いながら見返したら、また別の男性が

「おはよう。」

すると、すぐ横のもうひとりも続けざまに、

「おはよう。」

正直予想外なシュチュエーションだったため、「エンジョイ!」とか気の利いたセリフなども出ず、私も思わず返した。

「おはよう。」

眠そうな目を私に向けて、彼らは微笑んでくれた。

私たち日本人は知らない人に声をかけられたら警戒する国民だが、この「おはよう。」は別物だ。明らかに日本へのリスペクトであり、コミュニケーションだと理解できる。

「おはよう。」はやっぱり、気持ちいい。

・朝の様々なシチュエーションでも共通する合言葉。
・なぜだかさわやかに感じる、一日の始まりを告げる言葉。
・読んで字のごとく早い時間に出会う人へのあいさつ語。
・幼いころから慣れ親しんだ、多分最も多く発している言葉のひとつ。

この言葉が何より魅力的なのは、「前向き」だから。

「おはよう。」は、「がんばれ」とか「気つけて」とか、相手に対する「応援メッセージ」が込められているように思う。

「おやすみ。」も、もちろん優しくって労いや感謝を感じる言葉だが、それ以上に「おはよう。」には「エネルギー感」がある。
もちろん朝というシュチュエーションが後押しするのだろうけど、発する人の「気持ち」のようなもの、とはいえそれほど重たくもない、日常の軽やかな「人間同士のふれあい」を感じるのである。

人間は社会を構成して生息する動物。だからこそ、そんな軽やかながらも互いを「同じ居住空間を分かち合う仲間である」と認識しあう証明書のようなコミュニケーションが欠かせない。

たとえ相手のために発している言葉であっても、説教や教訓のような重たくて緊張するような言葉は返って息苦しくもあり、分かち合う気持ちにはなれないし、同じあいさつでも、「おはようございます。」「お疲れさまでした。」などの敬語口調も、距離や上下関係を前提に発せられている気がしてならない。だからこそ、この軽やかなふれあいのような「おはよう。」が気持ち良いと感じるのかもしれない。

異国の地で異国の文化に溶け込もうとするならなおさらだ。

あいさつもしない同僚が山ほどいる環境で息苦しく生活している中で、人々が平凡ながらも安心して暮らす上で必要な距離感を、おそらくはこの先一生会うこともない外国人観光客の彼らに教わった気がする。

今度外国へ行く機会があったら、私も“現地の言葉”で「おはよう。」と言ってみようと思う。(ぴん👆)


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