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第38話 秘密を秘めたまま暗殺されたロバート・ケネディの謎

私が書いている事は、自分なりに熟慮した結果、更に理論と状況、時代背景や、その人物が残した人生でやった事から人物像を考えぬき、それを総合して自分なりの持論を書いているものである。

アメリカ合衆国上院議員で暗殺されたのは3人いた。その中の1人が兄であったロバートは、何の為かと問われれば、私の考えでは不仲でも無かった兄の意志を継ぎ、大統領になろうとしていた。

兄のジョンからロバートは、何かとんでもない事を聞いていた可能性は高かった。それはジョンが暗殺されたからでもあったが、ただの暗殺では無かったからだ。ロバートが暗殺される理由は殆ど無かった。

アメリカ合衆国上院議員が暗殺されたのは歴史上で3人しかいない。
何かしら大きな陰謀があった事は間違いのないことだ。

昔は陰謀も容易にできた時代だった。今の我々には信じられない時代もあった。強大な力を持つ大マフィアのアル・カポネの時代は禁酒法で、今では考えれないが酒でアル・カポネは有名な今でも観光スポットでもあるアルカトラズ刑務所に送られたが、それまでも裁判はあったが、保釈金を笑って払うほどの力を持っていた。

正にアメリカ対アル・カポネの世界が昔にはあったのだ。あらゆる犯罪に手を染めて敵無しのカポネであった。勿論、買収された警官たちも多数いたとされている。

今も実際に陰謀はある。それは今、これを読んでいる自分の胸に手を当てて考えれば分かるはずだ。誰しも何か思惑があったり、恋人等に疑念を抱いている人もいるだろう。話の大小はあるが、人間とはそういう生き物なのだ。

国家単位になれば、当然、陰謀ばかりの世界だ。陰謀を無かった事にするような事もするし、国を守る為に、それぞれ考えに違いはあるが、皆、何かを守る為に戦っている。

今も戦いは続いている。それは戦争とかでは無くても、家族を守る為に自分を犠牲にして早死にすることもある。大切な人の為に、自分を犠牲にして頑張るのは当たり前のことだ。しかし、長い間、金や権力にまみれると、そういった本当に大切なものを忘れてしまう。

私にも勿論、経験はある。十代のガキの頃は彼女より男友達と遊びにいったり、可哀そうな思いをさせた。私はそう言う事を覚えている。だから繰り返さないと決めた。地元には多くの友人がいた中で、本当に妻を愛していたのは、1人だけだった。

彼は何よりも妻を優先する為に、我々の恒例であった年末の飲み会も、もう来れないと私に電話で言ってきた。私はじゃあ、また今度にでもと、言うと彼はそれも断った。私は理由は聞かなかったが、彼は以前から結婚して良かったとよくしみじみ言っていた。

だから理由は聞かずに「さよなら」と言った。どんな人間かを理解していれば分かることだ。

私は父の陰謀に敗れた。医者ではあったが、頭は私のほうが遥かに賢かった。あの父親が私を騙せたのは、当時はショックで白髪になったほどであったが、あらゆる方法を考えたのだと思う。その点については称賛する。

私を騙す為に必死に考えて、見事に成功させた。四段階目まで手を打ち、私を追い込み、私がどんなに考えても、勝てないと知りながら戦うであろうとまで心をよまれていた。私を殺すつもりで、幾重にも罠を張り、完敗した。

数年前の事なのに、大昔のように感じる。それほど濃い内容が数年続いた。
以前の私では無いと言う事を知る為にも数年かかった。起きる事もできなくなっていた私が今はこうしてエッセイや小説を書いている。

人生は本当に何があるか分からない。だからこそ自分自身を成長させ、信頼できる友人や、相談できる人と出会える確率を上げる為に、自己啓発が必要になる。私には今は院長とカウンセラーさんだけであるが、数日前にようやく、偉人たちの頑張れの意味を知ってからスタートラインに立てた。

本当に心が解放されたように、ずっと分からなかった事が分かって、これなら頑張れると思った。幾度も苦難を乗り越える事さえも愉しみに思える。
戦国時代にいた尼子家に仕えていた武将に山中鹿之助という武将がいた。
彼は天に向かって言った。「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と、彼は有名な武将の1人ではあるが、勇名で知れ渡ったのは結果であるだけで、彼自身は自己啓発をする為に天に願った。

彼もいつもスタート地点にいるつもりで、頑張って生きたのだろうと思う。自分が成長してるとは思えない気持ちが、よく分かる。今の時代だから特に感じるが、昔の人の世界は狭かった。狭い分、濃い世界だった。

今では誰もが知る前田慶次も、仮に彼を知らなかったら、ただの金持ちの息子だと思うだろう。実際、金持ちの息子だから、生きたいように生き、本来はあまり許されない行為も許されたとも言える。

彼はある意味、特別な存在であった。だからこそ無茶がまかり通ったのは彼の人格はやはり大きい物でもある。

何時の時代にも人は生きている。しかし活きている人は少ない。微笑んで死ねる人は多くはないだろう。私はまだスタートラインにいるが、これから長い道のりが愉しみで仕方がない。

そう言った意味では、多少なりには自分に自身もある。自分の力が通用しなかった事は、人生においてまだ片手で収まる程度しかない。今の私なら苦難に立ち向かえる。笑いが出る。本当に人生はどうなるか分からない。

だからこそ愉しい。実に愉しみだ。

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