モラハラ、毒親にならないように
最近、モラハラという言葉をよく聞きます。モラル・ハラスメントの略ですね。
ネットで意味を調べると、モラル(道徳)に反した精神的ハラスメント(嫌がらせ)のこと(wikipediaなど参照)。
職場でのパワハラもモラハラの一種らしいですが、この記事では家庭内での威圧的な言動によるモラハラについて書きたいと思います。
親として子供に今よりもっと成長して欲しい、もっと正しい行動をとって欲しいという気持ちが強いあまり、ついついキツイ言い方をしてしまう経験は多くの人にあると思います。
また、周りとの競争に勝って欲しいという思いから厳しい現実を伝えたりすることもあると思います。
残念ながら私も例外ではありません。
でもそれが本当に子供にとって良い関わり方なのかというと、正直言って自信がありません。
子供には厳しい現実を見せるよりも、明るい未来を見せて希望を抱かせることの方が、より本人の意欲を高めることにつながり、それが結果としてより良い現実を切り開くことにつながるのではないか、とも思います。
一方であまり楽観的なことを言い過ぎると、本人が努力しなくなるのではないかという恐れも親としてはあります。
どちらが正解なんだろう。
親業を始めて12年が経ちますがまだ正解は分かりませんし、子供一人一人が別の人間だし、同じ人間でもその成長段階によって望ましい対応って変わってくるんだろうなと思います。
そんな時、中川瑛さんの99%離婚という本を2冊読みました。
ここには、夫として妻や子供に威圧的に振る舞う男性や、子供に暴力を振るって縁を切られてしまった毒父が描かれています。
ネタバレになるので詳しくは書きませんが、2冊とも、自身が正しいと信じて疑わない行動が周りの大切な人を傷つけ、結局はその人たちが自分から離れてしまう、というストーリーです。
共通するのはいずれの主人公も悪気はないということ。
むしろよかれと思ってやっていたり、自分の時代にはもっと厳しいことをされたのだから、この程度は当然と思っている。自分はまだまだ甘いと思ってさえいる。
そして、家族が自分から離れて行く事に対して、ひどいことをされたと受け止める。
つまり、自分が加害者であるとは露ほども認識していないのです。
また、相手を傷つける言動は、ふとした弾みで突発的に出てしまい、自分でコントロールが効かなくなってしまう描写には、とてもリアリティがありました。
実は物語の加害者自身も、かつて自分の親などに加害的な関わり方をされていて、心の深いところで傷ついています。
だから自分の子供とのやり取りの中でその傷を抉られるような些細なきっかけがあると、衝動的に攻撃行動に出るのです。それが家庭内のDVやモラハラにつながるということが生々しく描かれていました。
もちろん自身が傷ついているからと言って、家族に暴力をふるったりキツイ言い方をして良いわけはありません。加害は絶対的に悪です。
しかし、加害者に心の傷があることを加害者自身が理解しないと、問題の解決に繋がりにくいと、この本では主張しています。
つまり、過去に自分の親などから受けたことは加害であり、自分へのケアが必要であることを加害者自身が理解し、心の傷が癒されなければ、負の連鎖は次世代に続いてしまうということです。
自身の心が癒されて初めて他者をケアできるということです。
この本に登場するのはかなり極端な例かもしれませんが、登場人物の1つ1つの行動を見た時に自分に当てはまる行動が全くないとは言えなくて、とても衝撃を受けました。
私自身も、家族にキツイ言い方をしてしまった後に、なんであそこまできつく言う必要があったのだろうと後悔することが多くあります。
そんなとき、私はすぐに家族に謝るようにしていますが、キツイことを言った事実が消えるわけではありません。
この繰り返しで家族の気持ちがいつか離れてしまうかもしれない。
そう思うととても怖いですし、後悔しきれないでしょう。
この本や中川瑛さんのSNSなどが、自分自身の親とのかかわり方から遡り、子供とのかかわり方を改めて考えるきっかけになりました。
私自身は両親から虐待を受けたわけではありません。
むしろ大切に育ててもらったと思います。
しかし、両親も常に余裕をもって私に接していたわけではなく、ときには心無い言葉を投げかけられた記憶はゼロではありません。
自分がこどもにキツイ言い方をしたときに、過去に親から言われた言動がオーバーラップすることがあり、ゾッとすることはあります。
気づかなくても、親から受け継がれた考え方や言動が無意識に子供に伝わっていくのだなと思います。受け継がれたもののなかで良いものだけを次世代に引き継ぎ、マイナスのものは自分のところで止めたいものです。
変わるべきタイミングは今なのだと、そして、変わるためには自分自身へのケア、家族へのケアが必要なのだと強く感じます。
そして、それは一時的に頑張ればいいのではなく、継続的にその努力がなされないければならない。
そうでなければ、形状記憶合金のように、もとの行動パターンを繰り返してしまうでしょう。この努力に終わりはありません。
自分自身が後悔のない子供との関わり方をしたいものです。
歳を取った時に幸せだったなと振り返ることのできる毎日を過ごしたいと思います。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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