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2.福岡ドーム

1996.8.16 ダイエー・ホークス対オリックス・ブルーウェーブ(入場未遂)
1997.8.5 ダイエー・ホークス対オリックス・ブルーウェーブ
❋この原稿は堀 治喜「球場巡礼 第1集」から抜粋し加筆したものです

アカンベーの赤いベロかよ博多湾に夕日でて

 雁の巣球場を出たのは午後4時過ぎ。ここからバスで西に、つまり玄界灘と博多湾とに挟まれた長大な砂州の突端に向けて走り、海ノ中道へと出た。ここから高速船で博多湾を渡って福岡ドームへと至り、ホークス対ブルーウェーブ戦を観戦するのが予定のスケジユール。試合開始は午後6時だから、それまでにはなんとかたどり着けそうだった。
 バスは時刻表の定刻より10分あまり遅れてやって来た。のどかな海浜にマッチした旧式のバスに乗りこみ、釣革につかまって砂州らしい白砂青松の景色に懐かしさ覚えている時間もあらばこそ、バス停にしてふたつめ、あっというまに最寄りの海の中道。あわててバス賃2Ⅰ0円を財布からとりだして《賽銭箱》に投げ入れ、あたふたと下車した。

 地の果てにあるかと思わせた雁の巣球場のまだ先に、一大レジャー施設があるとは想定外で、そこにはイルカとアシカのショーが売り物だという『マリンワールド』が広がっていた。ヤシの木が配され南国風にデザインされた敷地は、雁の巣球場の素朴なたたずまいとは対照的にモダンで幾何学的なたたずまい。白亜のシンボリックな巨大ホールの景観に気圧されながら船着き場の広場に出ると、桟橋には船待ちの乗客がすずなりに連なり、あふれた乗客が岸壁にものげに並んでいた。
 —おいおい、まじかよ。聞いてないぞ!
 ひなびた桟橋から客待ちの渡し舟にトントントンと乗りこんで、「船頭さん、ももちまでやっておくんなさい」と声かけて出航のプチ船旅を決めこんでいた私。ここは小走りになって、チケット売り場へと急いだ。
 あらためて「ももちまで!」と、ガラス窓の丸い穴に向かって告げると、応援で発券を手伝っているのか鷹揚に構えた場違いなおやじが、
「渡航時間は15分ばかりばってん、乗るまでに1時間は待ってもらわんといかんばい。それでもよかとね?」
 ことばでは「もうしわけない」といいながら、にやけ顔でチケットをつづりから切り取った。
 —よかとねもなにも、いまさらJRで博多までもどるつもりはなかとよ。
 私は650円で乗船券を買い、広場を横切って行列の最後尾に並んだ。
 時刻は4時半をまわっていた。いまから1時間待って渡航時間が15分、それから歩いて15分か20分だとして、6時の試合開始に間に合うか微妙になってきた。対岸は霞んだ湾の先にかすかに見えているのに、一歩も近づけないのがもどかしいかった。
 福岡ドームの収容人数は4万8千人。ダイエー・ホークスの集客戦略が功を奏して、いつもだいたい満員になっているらしい。しかも、きょうはイチロー効果で人気絶大のブルーウェーブ戦。入場は難しいかもしれない。まあ、そうなったらそうなったで仕方がない。縁がなかったと思っていさぎよく諦めようと覚悟を決めた。
 15分間隔で船が接岸し、30メートルほど行列が前進する。また、15分後に船が姿を見せ乗客を呑みこむ。それをくり返した4回目、おやじが予言したとおり1時間後にやっと乗船できた。
 高速艇は、それまで待たせた詫びのつもりか、モーター音をうならせ、白波を蹴立てて、怪しい雲行きのどんより曇った海上を疾走する。船は西日本鉄道㈱、つまり、かつて西鉄ライオンズを所有していた西鉄が運行していた。ライオンズ球団を身売りした西鉄が、南海からダイエーに身売りされ、大阪から福岡にフランチャイズを移したホークスの、一軍と二軍のホームグラウンドを結ぶ航路を運行していたのだ。なんとも奇妙な因縁、めぐりあわせに、洋上でひとり感慨にふける。
 ももちに近づくと、近未来の都市を思わせる福岡ウォーターフロントの偉容が海岸線に沿って迫ってきた。半円形のドームの左手には釣り橋がワイヤーで三角形を描き、右隣には金属でできたオベリスクのようなビル、シーホークホテルが鈍い光りを放っていた。間近に迫ってくる福岡ドームは、かたくなに殻を閉じた大貝のように、砂浜の向こうにうずくまっていた。

海路から訪れた〝まれびと〟はドームの結界に阻まれて入場できなかった

 接岸した桟橋で下船し、めぼしをつけておいた東方面へと歩く。通りには駐車場を物色する殺気立った車が列をなしていて、たぶんドームに向かう観戦客たち、パーキングを求めての混雑だろう。時刻はすでに試合開始の6時になろうとしていた。私は早足にビルの先に見えるドームへと大通りを急いだ。

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