【読書日記】 「老いた親を愛せますか?それでも介護はやってくる」を読む
著者の岸見一郎さんの「介護のためのアドラー心理学入門」を先日読み、非常に共感しました。自分を見つめ直したく、さらに一冊手にとりました。
第1刷:2015年12月10日
発行元:株式会社 幻冬社
著者:岸見 一郎
内容:私たちにとって幸福とは何か?
70万部のベストセラー『嫌われる勇気』の著者にしてアドラー心理学の第一人者が、ありのままの家族の関係を提言。
「愛せますか」「それでも」・・・タイトルが衝撃的
「老いた親」というとマイナス面ばかり思い浮かんでしまいがちです。
「動きにくくなった」「融通がきかなくなった」など、「老いる」とは何かが「減っていく」「できなくなっていく」ということに目が行き、見ている私たちも気持ちが沈んでいくような・・・。
そんな「老いた親を愛せますか」とは、衝撃的なタイトルでした。
私も「老いた親」と過ごしていますが、そういった「減っていく」「できなくなっていく」親を追いかけるのではなく、今を見つめ直そうと思いました。
特に心に残り、自分も是非取り入れたいと思ったこと3つ
「ありのまま受け入れる」
以前の私は、老いた親(母)がなかなかできない場面を見ると「なぜできないの?」「もう少し〜してくれたらいいのに」の繰り返しでした。その度に、親は私の顔色を見て、シュンとします。私もイラッとし、気分が悪くなります。双方にとっていいことは全くありませんでした。
この本の中で、「ありのままの相手を見ることが『尊敬する』ということ」と述べられていました。そして以下のようにも書かれています。
そうだなあ、「これが母だ」「これが私だ」と、今の母と私が穏やかに暮らしていくためにはどうすればよいか、ということを考えようと改めて思いました。
「親がしたいことを子どもが止めてはいけない」
親が「〜したい」と言った時に、「どうせできないからやめておこう」とか「前できなかったから今回もできないに決まっている」と言う人を見ることがあります。少し前の私もそうだったかもしれません。
しかし、老いた親は、できるかできないかはわからないけれども、できるように努力することに喜びを感じるということです。
私自身もそうです。自分で決断し、目的を果たすために一生懸命やっている時間そのものが快感であったりします。私も少しずつ年老いていますが、その快感は変わりありません。
年老いた親もそうですよね。危険なこと、命に関わること以外は、年老いた親の自己決定を尊重し、できるだけ希望がかなうようにしてあげたいと思いました。「ありがとうを期待しない」
「介護のためのアドラー心理学入門」にもこのことは書かれており、非常に共感しましたので、実践してきました。
本当に、言わないんです「ありがとう」を、母は。
以前は、ありがとうと言わないこと=感謝していないこと→これだけやってあげてるのに、感謝しないなんてひどい!という思考回路でした。あげくのはてに「やってあげたんだから『ありがとう』くらい言ってよ」と「ありがとう」の強要。全くひどいことをしていました。
感謝されたいと思う人にとっては介護はつらいものになるとのこと。「ありがとう」と言うことだけが感謝の気持ちを表しているわけではないのですね。
私が「ありがとう」と言われたいということは、だれでもそうなのではないか、じゃあ、今度は私が母に「ありがとう」という場面を作っていこうと思いました。
ほんのささいなことでも母が自分でやってくれたら「ありがとう」。その一言で、母は、普段味わいにくかった「貢献感」をもてるのでしょう。
著者の体験がたくさん書かれており、「うんうん、」とうなずきながらも、時には「ハッ」として自分の行動を反省する内容でした。
他にも
「親とぶつかって悩んでみても、親との関係では何の意味もない」
とか
「自分が正しくて相手が間違っていると思えば権力争いになる。解決するためには、降りるしかない」
など、どの言葉も教訓になりました。
老いた親との関係においてもちろんですが、社会の中で生きていく上でも、ある意味では貴重な処世術だとも思いました。
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