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思考力とは

今回は思考力について書いてみたいと思います。

昨今大学入試改革で思考力が大切と言われていますが、そもそも思考力とは何なのでしょうか。

大学入試での思考力の定義は私からすればただ文章が長くなっただけなので長い文章を読む能力なのかなと思っています。(冗談です)

しかし本当の思考力はそんなはずはなく私なりの定義を書いていこうと思います。

私は思考のプロセスは2段階あると思っていて、まずは「疑い」そして自分なりの「結論を出す」という2つのプロセスがあると思います。

まず疑うことができるかどうかですが、ここにまず思考力が必要です。

例えば高校生が先生の受験指導に対して、従うか、自分で勉強するかの2通りの選択肢があると思いますが、どちらにせよまずは疑って自分なりの論理を構築しないといけないわけです。

なぜなら自分の人生の貴重な時間を使うからです。

大学受験は自分の貴重な時間を大量に消費し、さらにどの大学名のレッテルを張られるかを決めるかなり重要なイベントです。

それを何も考えず、先生のいう事だけ聞いて落ちる人は自分の人生だという意識が薄いのかなと思います。

私は自称進学校に通う高校生だったため、学校の言うとおりに勉強して落ちていく先輩をたくさん見ているわけです。

受かった人は職員室前の壁に張り出されるのですが、張り出された人の多くが地元の国公立大学にも受からないようなそんな高校です。

また浪人の生徒も平気で掲載するようなそんな高校です。

しかし私の代でも多くの受験生が先生の言うとおりに勉強し受験して落ちていきました。

2次試験前には各大学の個別対策までやってそれでも5,6人の中から1人しか受からないそんな状況がほぼ毎年続いているのになぜ先生の言うとおりに勉強し受験できるのか本当に不思議です。

また落ちたことを学校や先生のせいにしている人もたくさんいましたが、それも寂しい人生だなあと思います。

自分の人生なので他人から勝手に干渉されて邪魔されたことを嘆いていてもしょうがないわけです。

私は学校を極力無視して受験勉強をしていてその過程でかなり工夫を凝らして先生からは白い目で見られながら合格しました。

私と同じ学部を受験した人は私以外全員落ちました。

その人たちは2次試験前に対策講座なるものに足しげく通っていたわけです。

私は1日も行きませんでした。

私の高校では命令によって勉強させられている人がほとんどなので試行する余白がないのかもしれません。



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