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【マインド】評価はどちらを重視?プロセスか、結果か

友人と話していて興味深いなと思ったことがあったので、記しておきます。

友人は非常に優秀で、私も尊敬しています。
しかも、私と価値観が近いので、「そうそう、うんうん」と共感することも多いです。
同じ職場では働いた経験はないので、実際の働きぶりは分かりません。
でも、関わったプロジェクトや成果として残した活動、それに伴う学習のねらいやアプローチの方法とかを聞いていれば、「おぬし、デキルやつだな」とすぐ察します

で、ここからが本題。
ある方(仮にAさんとする)が行なっているある活動(B活動とする)について、彼女が非常に褒めていました。
「AさんがやっているB活動、すごい良いんだよ」

彼女が評価するのだから、間違いないと私は思いました。
私が知らないAさんを、優秀な彼女が正しく評価している、と。
ここで私は、「知らない人だけど、Aさんは優秀な人」というバイアスがかかります。

数日後、別の友人に会いました。
彼も、やはり優秀な方です。
前述した友人とはまた違うタイプですが、尊敬できる素敵な方です。

彼もAさんのことを知ってるようでした。
しかしなんと、先程の友人とは真逆の評価だったのです。
私はそれを聞いてびっくり。

Aさんに対しての見方
友人1→◎
友人2→△

ふむ、と思って、この現象を自分なりに分析してみました。
自分が考察して出した結論は、評価の観点ポイントが違うということ。(考えてみりゃ当然か!)

評価ポイント(私の推測)
友人1→プロセス重視
友人2→結果重視

B活動について、私は詳しく知りません。
他校のことなので、よっぽど実績を上げたり数字として示したりしなければ、外の人間の目に触れることはそんなにありません。

友人1はAさんと仲が良いので、活動スタート当初からどんなふうに取り組んでいたのか聞いていたようでした。
Aさんの思いや考えなどにまで理解ができていたので、取り組み方そのものに共感していたのだと推察します。

一方、友人2も、Aさんとは近い場所にいます。プロセスもある程度、見聞きできる立ち位置です。
ただ、B活動に成果や実績が伴ってないことに着眼しているようです。
結果が伴わなければ、アプローチやプロセスも改善の余地がある、と。

皆さんは、自分が何かに対しての評価者になる場合、どちらに重きを置きますか?
この場合、勝手に自分の中で行う秘密評価が対象です。
オフィシャルな評価であれば、既に明確な評価基準が設定されているのがだいたいデフォルトなので、それは除きます。
(こちらであれば、それに即して進めれば良いから楽)

私の場合は、

過去→完全プロセス派
現場→成果・結果派に移行中

って感じです。
変化した理由は複合的なので、これは言葉にまとめるのが大変だからまた後日。
でも、ライフステージの変化や社会の変容、仕事に対する捉え方などが理由であることは確かです。
もっと言うと、「結果を出したら、プロセスも見てもらえる」というのを、経験を積んできて肌で感じてきたからです。
逆に言うと、「結果が伴うまでは、試行錯誤しながらプロセスを踏み続ける」必要があるってことに気づいたから。
これは、過去の20代の私とかだったら分からなかったことです。
伊達に年を重ねてないな。
そしてこの視点は、自分への評価が対象です。

話を戻すと、私の知らないAさんが別の取り組みで結果を出した人なのか、まだプロセスを繰り返す最中の方なのか、それは分かりません。
Aさんの話は、自分がこの件に関していろいろと考えてみるきっかけになったのは確かです。

加えて、カジュアルな評価であっても、評価者なりの明確な基準を持っていることで、より評価の意義が高まるってのも確かです。

ただし、教育活動が評価の対象であればプロセス重視という側面は死守したい。
ゴールはしっかり設定するのは絶対だけど、結果ありきだけでは、フレキシブルには対応できない。
そのときそのときに一番良い形で動ける柔軟さは常に持っておきたいです。
もちろん、結果は子供たちにとっての大きな成長を示せるものだから、それはそれで当然大切ではあるのだけど。

それとおそろしいことに(?)、今回、知らないうちに、人は誰かの何かを勝手に評価してるってことも知った機会となりました。
評価のために行動するなんてことは本末転倒だし、ぶれずに自分軸を大切にしないと、ですね。

あと、語弊があったら嫌なので付け加えると、
「評価」は「悪口」や「非難」とは違います。
評価は、自分を成長させてくれる存在
でもあるし、社会に出ればさまざまな尺度、あり方で評価はされるもの。
後者は、よく分からん。
そういう声が渦巻くスペースからは逃げておきたい。
でも、意外といろいろな場所で案外そういうのを言う人も多いのだとか。
それに翻弄されないようにせねば。
くわばら、くわばら。

追記
これが子育てが評価の対象ともなると話が変わってくる!
子育てにおける評価とは??
発育や発達の評価基準は、あくまで目安。
プロセスは大事だけど、結果は必ず出る訳ではないし。
愛情を持って子に接して、誠実に育児に向き合うことが第一である。
増しては他人に評価されるものではない、と思いたい。
でも、年児健診で下される所見に振り回されて心中穏やかじゃない母の思いよ。

まだ週は始まったばかり。
今週も頑張りましょう。
では、また!

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