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変わっていく母 4

認知症外来

母は抵抗なく病院に行くと言ってくれた。
70代のころから耳が遠かった。もっと早く手を打っておけばよかった。
耳が遠い人は認知症になるリスクがあると思う。

外の世界の音が聞こえないから。刺激が少ないのではないかと思う。

面談式のテスト(問診?)100から7を引いていく。100-7=93
93-7=86 86-7=79
わたしもあぶないかも?

冷蔵庫の中にある野菜の名前をたくさん言ってください。など様々な質問がある。

その中に、「あなたの人生は幸せでしたか?」という質問があった。
何て言うのだろう。思わず身構えた。

「えーどうでしょうかね。こんなものじゃないかと思います。幸せです」と母。
こんなもの。母の人生に思いを馳せる。

姑との仲が悪くて、いつも険悪な雰囲気だった。
姑よりも夫が先にあの世へ行ってしまった。これだけでも気の毒だ。

でも母が幸せですと言ったことに安堵していた。施設に入ってもらうことに罪悪感があるのかもしれない。

でもお互いのためなのだ。母の安全とわたしの心配を減らすため。わたしの頭の中も限界に近づいていた。

診断結果

テストのほかに脳の画像も撮った。

診断結果は「嗜銀顆粒性認知症」(しぎんかりゅうせいにんちしょう)
アルツハイマー型認知症より進行は遅いとのこと。「急に進んだと思ったらまた来て」と言われ、数年後に行ったら「何しに来たの?治ると思ってきたの?」と言われてしまった。

びっくりした。
わたし「急に進んだと思って来ました」
医師「一年後って言わなかったかな」

「聞いてません」と言ったところで、言った言わないの話。

もう薬もないしできることはないと。怒りでいっぱいになったが、ほかの病院に連れて行かなかったわたしが悪かったと、自分に言い聞かせた。

一回目の診察から間もなくして、母は施設に入ることになった。
本当は嫌だったのだと思う。でもわたしは心配事が減ってひとまず安堵したのを覚えている。でも今思い返すと涙が出そうになるのはなぜだろう。



今母は、施設で生活しています。備忘録として綴っています。

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