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「6月1週目」不安を感じながら選んだことを正解にする。

6月は自分の誕生日だ。


月末ぐらいだけど、いつも6月には
何か特別な時間でなるべく
自分のお願いを叶えてあげたい。

祝日がない月でフエは暑い日々が続いていて、
自分が相変わらず孤独を好んで一人の時間がリラックスを感じている。

仕事以外では人に出会ったり話したりすることが非常に少ない最近。
一人がこんな普通でいられるのは多分この歳になるぐらいだと思う。

一人で何かするのが珍しくない自分、
というより社会人になると基本的に独りだけど、
こんなに心地よく感じられるのは自分の中に
恐らく内側に向かって旅しているような本物のリラックスを
求めているじゃないかと思う。

そうと言いながら本当は自分が大切で尊敬できる人も来て欲しい。
バランスも必要で独りしかできないことと大切な人と一緒だと更に楽しめること
もあるだろう。
ただ、最も大切なのは今の自分とこの瞬間だ。


6月の一週目の日記

  • アボカドを食べ過ぎてる。

姉から安く購入してもらった大量なアボカドたち。
自分用だと恐らく8キロぐらい。
五日間毎日3食を食べたら飽きてしまった。
私はいつもそうだけど、好きなものを嫌いまで食べてみたいという欲。
バランスがない、いや、それこそバランスかもしれない。

メキシコ産と違い、ベトナム産は本当に大きくて長くて美味しいんだ。
日本にいた時いちごを食べ過ぎたこともあり
それからいちご味が苦手になった経験もある。
ほら、私。いい加減にして程良い量をちゃんと意識してよ。

  • 自分のことを全て理解してくれる人なんていない。

自分よりわかってくれることがあるだろうけど、
全て理解するのは不可能である。(あるいはまだ現れていなだけ)
誰かに期待して期待はずれることがあると
自分勝手に怒ったり落ち込んだりすることは良くないと改めて思う。

自分こそ自分のことを理解できないところが多いのに、
全てが人に理解して欲しいとは理不尽なことかもしてない。

もしこの先誰かと出会えることがあるなら、
完全に理解できないだろうという前提で
お互い理解し合おうという姿勢が必要じゃないかと。
なんでこれが好き?嫌なこと?どう思うのか?
自分も相手もどう思うのか話し合える人で話し合える時間ができるのは良いかなと。

  • 罪と罰という歌。

Adoさんがカバー版を最初聞いてそれから本歌の方も繰り返しで聞いているけど。
何かが共感できることがあるような歌詞で、色々自分も叫びたいだろう?

あたしが望んだこと自体
矛盾を優に超えて
一番愛しいあなたの声迄
掠れさせて居たのだろう。

罪と罰

素敵な作品にはいつも自分勝手な解釈で色々考えさせられるけど、
その感動や気づきが残っている作品がその後から自分自身を辛くするのだ。
ある意味嫌なことをちゃんと向き合わせるような
意識的でも無意識的でも逃げるではなく、
ちゃんと一個ずつ向き合っていって少し本物の強さが増えるような。。。


今の自分を正解にしつつもっと良い自分のバージョン
を目指す。


人が良い意味で平和で生きても
頭の中には過去の良い思い出や
新たしいことがある希望な未来を
考えてしまうことがあるだろう。ただそれより、

良く悩んだりもがいたりした過去の自分を正解にして
もっと自由でクリエティブで新しいことを追求する現在の自分をアップデートすること自体の方がよっぽど良いだろう。

それを信じて28歳を迎えたいのだ。


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