【本の記録】屋根裏のチェリー
吉田篤弘さんの「屋根裏のチェリー」を読んだ。
秋の夜長にぴったりの、滋味深い紅茶のような一冊だった。
この本の好きな点はいくつかあって、
まず、クラフト・エヴィング商會が手がける本の装幀が好き。
「屋根裏のチェリー」も表紙の絵に惹かれて手に取ったと言ってもいい。
著者ご本人がイラストを担当されており、その多才ぶりがほんとに羨ましい。
孤独で優しい夜にひとつだけ瞬く音符の光。
まるで童話の1シーンのようで、額縁に入れて飾っておきたくなる。
童話といえば、作中に出てくる固有名詞もこっくりとしたクレヨンのような風情があって良い。
オーボエ奏者の主人公がかつて所属していた〈鯨オーケストラ〉、夢の中のハンバーガー屋の名前は〈土曜日のハンバーガー〉、
街にあったチョコレート工場は〈タンゴ洋菓子工場〉で、地元のローカル新聞社は〈流星新聞〉を発行している。
とても大切に名付けられたのだろうなと思う名詞がたくさん登場するのだ。
主人公のサユリは父の遺したアパートの家賃収入で暮らしており、日がな一日屋根裏部屋に閉じこもっている。
話し相手は、彼女の頭の中に住むチェリーという架空の女の子一人だけ。
友人も仲間もおらず、「どうせ私なんか」を繰り返すだけの毎日だった。
しかし〈流星新聞〉と一台のピアノ、そして二百年前から続く鯨の伝説が、サユリの日常を少しずつ動かしてゆく。
ひとつの出会いがまた次の出会いに繋がり、人との繋がりの輪がどんどん広がってゆく。
もちろん出会いがあれば当然、悲しい別れもある。けれどその喪失感を埋めるのもまた、新しい誰かとの出会いなのだ。
出会いはあやとりの糸のように、複雑に絡みあう。そして新たな形を作る。
物語の後半で主人公はとある人物と、人生が大きく変わるような出会いを果たす。
その人物は「そうか、そういうことなのね」「こういうことだったのよ。こういう未来が待っていたのよ」と声を大きくし、主人公にある素晴らしい提案をする。
私たちの日常も、後から振り返って「そうか、こういうことだったのか」と気づかされる出来事の連続かもしれない。
私がこの町で暮らす意味、今の仕事に就いた理由、こうして誰かに向けてnoteを書いている訳。
そう遠くない未来に、「そうか、だからこの選択をしたんだ」と納得できる答えが出てくる気がする。
ひとりぼっちの夜に読み返したくなる、優しい物語だった。おしまい。
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