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将来が不安な独身アラサー&アラフォーに読んで欲しい話

いちOLが一家の大黒柱となり身の丈に合わない家に住む

私は今37歳独身。2012年に母親を迎え入れ、私が養う形で都内の賃貸マンションに暮らしています。実家は売りに出し、そのお金は妹の学費や父亡き後の生活費に全て消えたとのことで、親や家には財産もありません。

母と住み始めたとき、私は知人と共に会社経営していましたが、カクカクシカジカありまして、その後会社を休眠させ、私は会社勤めに戻り、2019年春まではサラリーマンをしていました。

DMMという一応名の知れた企業に勤めていたけど所詮サラリーマン。毎月の給料はしれていて、そのまま生活費や奨学金の返済、家賃となり、貯蓄はほとんど出来ずにいました。また、母と一緒に愛犬も連れてきたため、犬にも暮らしやすい環境を用意したので、家賃も給料に見合わず高く、(当時はサラリーマンに戻ると思わなかったので、その時の収入で選んだ家)だからといって引っ越し資金もなく、家賃のために働いているような毎日でした。

将来の不安しかなかった2018年

給料は足りないけど、そのかわり会社の環境が良すぎて転職する気にもならず、ぬるま湯の中でただ漠然とした不安だけが常に頭の中にありました。将来の不安とは、極論を言えばつまりこのまま独身でいた場合の老後の不安のことです。

もしこのまま年を重ねても、IT企業の終身雇用なんて聞いたこと無いし(まだ世代的に存在してない説)、定年手前のおばさんがWEBマーケティングだの、WEBデザインだの、最先端についていけているイメージも出来ないし、そもそもビジネスのコアな所に直接関わらないデザイナーという業種で昇進して管理職に、みたいなイメージもわかず、ただただ、この先どうしようと憂うだけで完全に思考停止していました。

せめて実家だけでもまだあれば、最悪老後の住処だけは確約されるので、いくらか気が楽でしょう。だけど私の場合、誰にも頼れない、持ち家も無い、貯蓄も親の資産も何もない、自分が働いて資産を作る以外、誰も助けてくれないわけです。

今から言うことは「いかにも日本人の女性にありがちな考え方」だと認めざるを得ませんが、その時は「最終的には結婚して逃げ切りたい」とか「結婚が最後手段」なんて思っていました。(まぁ婚活とか一切やっていなかったし、行動は一切伴ってませんでしたが。)

ターニングポイントは知人の言葉

2018年の夏に、1週間の断食合宿に参加しました。(昔からやってみたかったんですよね。)大自然の中でデジタルデトックスも一緒に出来るような素晴らしい環境なのに、副業と本業のピークが重なってしまい、毎日誰とも交流せず、運動もせず、食堂でパソコンに向かって朝から晩まで仕事をしていました。

そこで、毎日食事の時間に私の向かいに座って酵素ジュースを飲む男性の合宿参加者とポツポツ会話をするようになりました。私はやっと話し相手が出来たことが嬉しかったのかその後堰を切ったようにマシンガントークしました。たまたま彼は本業がメンタルトレーナーだったので、聞き上手で、多くの助言をしてくれました。

その時私は、仕事や職場の愚痴にはじまり、上記に挙げたような将来の不安などを赤裸々に話していたと思います。そして(今思えば完全に自惚れですが)自分はこんなにスキルがあるのに、みんなに知ってもらえず社内で過小評価されていることに腹が立つ、なんてことを延々と語っていました。

コーチングの奥義を繰り出してきたのかどうかはわかりませんが、その男性は本当に褒め上手の聞き上手、そして持ち上げ上手で、

話を聞いた感じ、川原さんが雇われの身でくすぶっている意味がわからない。自分で十分にやってけるスキルがあるように感じるし、早いとこ自分で何か始めたらいいと思う。それで収入もどんどん増やせると思うので、今悩んでいる老後の年金ガーとか、生活費ガーとか、数年後には小さな悩みすぎてどうでもよくなると思いますよ

みたいなことを言うではありませんか( ゚д゚)
それまで現状を嘆くだけで何も行動しなかったし、突破口が見えずひたすら悶々とするか愚痴るかだった私が、自分でまたなにか始めるなんて無謀だと思ったし、また失敗するの怖いし、それだけはナイナイって思っていたんですよね。というかひらめきもしなかった。だから副業も本業の妨げにならないようセーブしながら収入の足しになる程度にやっていました。

考え方を変えるきっかけを掴んだ私は早かった。

そうか、自分でやってみて、もし万が一うまく行けば、今の悩み(老後をなんとか切り抜けたいとか、よく考えたら人並みな悩み)なんていつの間にか忘れてるかもしれない。だってさらにその上に行けるとしたら・・・?
そっちにエネルギーを注いでみようかな?今の会社が私の老後を保証してくれるわけじゃあるまいし。

と思いました。

そこからは早い。セーブしていた副業を受け入れだしたら、ダムの水門を開くように一気に仕事が舞い込んで来ました。不思議なもので、仕事が仕事を引っ張ってきて、営業活動一切せずとも、人が人を繋げてくれる。本当にありがたいです。

そして、その時の私はもうゴールを決めたので、最強でした。ゴールとは具体的に、会社を退職する時期と、副業だけでこのくらい稼ぐというライン。そして、事業計画書や助成金について勉強をするため都が主宰している起業塾的なものへ通い、コンサルタントに色々と相談に乗ってもらい、本業と副業をいつも以上にこなす。人生で一番忙しい半年を送ったのち、会社を設立しました。

現状に常に危機感を持って何かを探す姿勢

今、法人設立して10ヶ月ほど経ちました。私をサポートしてくださる超優秀な税理士さんが色々と税金対策してくださってて、月収こそ笑えるくらい安く設定してもらってますが、売上でいうと、サラリーマン時代から4倍くらいになったかなと思います。

それでも、身を粉にして働くのが好きすぎるみたいで、まだまだ超非効率で生産性の低い働き方をしているので、今年はもっと、チームを作って効率よくスマートにいい仕事をもっと増やしていきたいと思っています。

今のメインの仕事は、WEB広告やソーシャルメディアマーケティングが半分、クリエイティブ系が半分という感じですが、実は私はソーシャルメディアにはかなり懐疑的で、インスタなんて明日無くなるかもしれないと思っていますし、クリエイティブだって、そのうち若い人や世の中のトレンドについていけなくなる日が来るだろうと思っています。というかその思いに毎日支配されてとても焦っています。

今は日々の業務の傍ら、クライアントワークや世の中のトレンド、あるいは偏ったスキルに頼らない「何か」を見つけることに脳みそフル回転させています。自分にしか出来ない「何か」を発信して世の中の為になることが一番長続きするだろうし、成功すればお金になるということはわかっているのですが、その「何か」がまだわからず探しています。

ふと振り返ると自分の気の持ちようの変化にビビる

2018年から2019年にかけて、生活が大きく変わりました。気の持ちようはまるで別人です。2018年は保守的で不満ばっかりの言い訳ばばぁだったし、今思えば自分を過小評価していたのは自分自身なんじゃないかなと思います。

老後2,000万円問題をいち一般市民として普通に受け止めビビっているようでは、本当にその程度の生活しか出来ないだろうと今なら思います。最近は (私はそのはるかに上を行くわよ!)といつも自分に言い聞かせています。

伝えたいことは 「自分でストッパーをかけたらそれなりの人生になるってこと」

です。ほんとこれです。今くすぶっていると感じるなら、とりあえず自分自身が現状を変えようと動いてみない限り、明日も1年後も10年後も、というか一生くすぶっているはずです。結局「自分が変わる・自分で変える」しか方法はなく、またその過程では、死ぬほどの努力もやむを得ないです。私は根が怠け者でできています。毎日ケータイいじって寝っ転がっていたいタイプです。でも副業を本業にするための半年は本当にキツかったです。でもそういう地味な頑張りと努力を経て、ひとつずつ、レベルアップしていくはずだと思っているし、そんな辛い頑張りは一過性のものです。

なんにせよ思考停止だけは避けたいものですね。「私なんてなんにも出来ないし」と言うなら何か出来るようにチャレンジすればいいだけの話ですし、今は世の中のほとんどの学びはYoutubeから無料で得ることができますしね。私も今年は色々挑戦します。

良い世の中になったもんだ。

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